表紙 > 人物伝 > 孫策の家族を拉致し、袁術を裏切らせようとした朱治伝

01) 袁術のため、徐州に潜入

「呉志」巻11より、朱治をやります。
『三国志集解』を片手に、翻訳します。
グレーかこみのなかに、ぼくの思いつきをメモします。

巻11は、朱治、朱然、呂範、朱桓です。孫氏の創業を支えた人たちの1つ。このうち、190年代に記述があるのは、朱治と呂範だけです。


故郷の揚州を出て、孫堅にしたがう

硃治字君理,丹楊故鄣人也。初為縣吏,後察孝廉,州辟從事。

朱治は、あざなを君理という。丹楊郡の故鄣県の人だ。

丹楊郡は、強兵の産地。ここの出身者は、河南あたりで影響力がでかい。陶謙が有名。

はじめ朱治は、県の役人となった。のちに孝廉にえらばれ、州は從事として採用した。

揚州の役人になった。故郷で就職。朱氏の祖先は書かれていないが、「現地でそれなりに力のある人」だろう。県の役人で止まらなかったのだから。


隨孫堅征伐。中平五年,拜司馬,從討長沙、零、桂等三郡賊周朝、蘇馬等,有功,堅表治行都尉。從破董卓於陽人,入洛陽。表治行督軍校尉,特將步騎,東助徐州牧陶謙討黃巾。

朱治は、孫堅にしたがって征伐した。

具体的に書いてないが、黄巾平定か? 揚州は黄巾は盛んでなく、それより王朝に対抗して、王侯を名のる賊が多い。そちらか。
孫堅は、揚州の役人を動員する力があったのか。そっちが、驚きだ。

中平五年(188年)孫堅の司馬となり、長沙、零陵、桂陽ら3郡を討った。討ったのは、周朝、蘇馬らだ。功績があった。孫堅は上表し、朱治に都尉をかねさせた。

孫堅伝がいう。長沙の賊・区星を討った。孫堅は、長沙太守になった。周朝、郭石は、零陵や桂陽で起きた。区星と呼応した。孫堅は郡境をこえて、討った。3郡は、粛然とした。
ぼくは思う。孫堅の活躍は、荊州だ。故郷を軽々しく離れてまで、朱治は孫堅にしたがった。なぜ? 孫堅と、個人的につながった?


袁術&孫策の密命をおびて、徐州を切りとる

從破董卓於陽人,入洛陽。表治行督軍校尉,特將步騎,東助徐州牧陶謙討黃巾。

朱治は孫堅にしたがい、董卓を陽人で破った。洛陽に入った。

孫堅のメインの戦いに、朱治は、全部参加している。孫堅の司馬&都尉だから、副官のように、ピタリと寄りそったのかな。
孫堅が袁術に従うときも、そばにいた?

孫堅は上表し、朱治を督軍校尉とした。孫堅とわかれ、歩騎をひきい、東に徐州牧の陶謙を助け、黄巾を討った。

陶謙は、朱治とおなじ丹楊の人だ。陶謙を助けたというのは、不自然ではなさそう? ぼくは、ちがうと思う。
どこが、ちがうか。
陶謙は、この時期、長安に使者をおくり、徐州「牧」と安東将軍になった。袁紹や袁術とはべつに、董卓を討つ同盟をつくる。つまり袁術&孫堅から見て、別勢力である。
朱治は、袁術&孫堅の密命をおびて、徐州を切り取りにいった? 陶謙のかわりに、丹楊兵のトップに座ろうとした? のちに朱治は、孫策を面倒みる。袁術&孫堅を脱し、同郷の陶謙に帰したなら、こうはならん。
袁術は荊州をおさえ、孫堅を豫州牧とし、つぎは徐州を狙った!


次回、孫策の時代。劉繇と袁術のあいだで、朱治がゆれます。