表紙 > 読書録 > 渡邉義浩『三国政権の構造と「名士」』序章の要約と感想

2節_三国時代の諸問題

三国ファンのバイブルである、
渡邉義浩『三国政権の構造と「名士」』汲古書院2004
をやっと入手しました。要約しつつ、感想をのべます。

地の文は渡邉氏の論文より。グレイのかこみは、ぼくのコメント。


この節は、三国時代に関する、先行研究の紹介でした。
単独で読んでも、何のことだか分からないです。。

史料_31

編纂史料と一次史料がある。

なんか用語が気持ちわるい。「編纂史料と非編纂史料」もしくは「一次史料と二次以上の史料」じゃないのかなあ。意味はわかるが。

編纂史料は、陳寿『三国志』だ。陳寿は、津田資久2003を参照。

渡邉氏の注釈にいう。津田氏いわく『三国志』には、至親輔翼体制をつよく主張する偏向があるとする。
後日きっとチェックしますが。いま、この短い注釈から推測します。西晋は、皇族の地位がたかかった。だから陳寿は、三国についても、さぞかし皇族が貢献したかのように、脚色した。とか?

『後漢書』『後漢紀』『華陽国志』も重要だ。

一次史料は、長沙走馬楼呉簡。伊藤敏雄2003、安部幸信2001を参照。

政治_35

石井仁は、黒山や白波を、群雄とする。黄巾の延長だとは云わない。村塢を支配する、豪族のゆるやかな連合体だからだ。公権力にたいして、村塢の既得権をみとめさせた。
石井仁は、監軍使者と将軍が結合した州牧が、分権させたとする。

石井氏のほかの人の論文も、紹介されてました。余力があったら、読む。


中国人が書く伝記は、概説的だ。曹操については、張亜新1995、張作耀2000が、すこし新しい。諸葛亮は、王瑞功1997がいい。
異民族対策。関尾史郎2000は、山越は自立勢力だとする。曹魏は、山越に印綬を与えた。曹休が敗退するまで、曹魏は山越を利用した。

経済・法制_40

屯田制の基礎知識は、西嶋定生1956にある。
屯田制は、潁川・汝南の黄巾を討伐して、曹操が得た「資業(田土・耕牛・農具)」をもとに、許県ではじまった。棗祇は、定額賦課でなく、分田の術を主張した。

土地制度は、マルクス史家の独擅場。べつに、痛い目にあった記憶はないのに、土地については苦手意識があります。いかんなあ。

許や洛陽あたりにある民屯田と、前線にある軍屯田がある。民屯田は、曹魏の財政基盤。軍屯田は、異民族や呉蜀へのそなえ。民屯田は司馬氏がつぶし、軍屯田は司馬氏が手に入れた。

この屯田の構図は、西嶋氏が言い出したのか。話がキレイすぎて、どうも不自然だと思う。でも土地について語っても、だれも勝てまい。


官僚制度。後漢をつぐ蜀漢は、後漢とおなじく尚書がつよい。孫権が皇帝権力をつよめた呉では、中書や校事が力をもった。曹魏は尚書省がそだち、隋唐につながった。三国とも、丞相がトップ。
川合安1995は、九品官人の二面性をいう。曹操の実務重視と、名経を奉じる地方名望家の支持とりつけ。

軍事制度。都督と四征将軍が、地方を運営する。越智重明1957,1980は、四征将軍が東晋よりあとに、虚号になるという。石井仁1993は、地方の軍制は、都督にうばわれたという。
法制。西晋の泰晋律令は、中国史はじめの本格的律令。曹魏がさだめた新律十八篇には、栗原益男1984がある。

脈絡なく、紹介していくだけの文章は、要約できない。打つのがたいへんなので、引用をはぶきまくっています。渡邉義浩氏の本を見れば、、


文化_45

後漢の儒教国家は、今文学。今文『尚書』堯典にある「五教在寛」を典拠に、後漢は寛治した。在野の王符は、『春秋左氏伝』にある「寛猛相済」を論拠に、寛治と猛政をまぜることを考えた。後漢の学説は、鄭玄がまとめた。
鄭玄がまとめた後漢経学に、荊州学が反対した。荊州学は、王粛の源流となり、魏晋につながった。

王粛について、渡邉氏はうしろで書いている。お楽しみ。


「序論」の要約はここまでです

以上、序論でした。
とりあえず、先行研究との関係性を明らかにしなければならない。そういうシキタリに基づいて、もうけられていた話です。
いま渡邉義浩氏の本を、60%ぐらい読了。いろいろ、疑問に思うところは、出てきています。考えたいことが、出てきています。
次回から、名士の話をまとめます。100726