表紙 > ~後漢 > 『後漢書』列伝46・王龔、王暢、种暠、种払、种邵伝を抄訳

种暠、子の种払、孫の种邵

吉川版で、种暠伝をやります。ただ抄訳して、読みなおしやすくした。
上表文のたぐいをはぶき、、関連する事件と人物にしぼった。どうぞ。

訓読された文書を見て、口語に要約する。それほど意味のある活動ではない。では、なぜやっているか。「読んだ」という行為の痕跡を、ホームページに叩きつけているだけ。あとで読み直すとき、自分用のガイドとする。

1ページ目は、王氏の父子。2ページ目は、种氏を3代。

辺境を平定し、匈奴に国ぐるみで慕われた种暠

種暠字景伯,河南洛陽人,仲山甫之後也。父為定陶令,有財三千萬。父卒,暠悉以賑恤宗族及邑裏之貧者。其有進趣名利,皆不與交通。始為縣門下史。
時河南尹田歆外甥王諶,名知人。歆謂之曰:「今當舉六孝廉,多得貴戚書命,不宜相違,欲自用一名士以報國家,爾助我求之。」明日,諶送客于大陽郭,遙見暠,異之。還白歆曰:「為尹得孝廉矣,近洛陽門下史也。」歆笑曰:「當得山澤隱滯,乃洛陽吏邪?」諶曰:「山澤不必有異士,異士不必在山澤。」歆即召暠於庭,辯詰職事。暠辭對有序,歆甚知之,召署主簿,遂舉孝謙,辟太尉府,舉高第。

种暠は、あざなを景伯。河南の洛陽の人だ。仲山甫(周の宣王の賢臣)の後裔だ。父は定陶令となり、財産が三千萬ある。父が死ぬと、种暠は、宗族や貧者にプレゼントした。名声や利益がほしい人とは、交通せず。縣の門下史(県令が自ら選ぶ属吏)となる。
ときに河南尹する田歆の外甥・王諶は、人物眼がある。田歆は王諶に言った。「6人の孝廉をあげる。人選は、貴戚の書命にさからうな。しかし1人の枠だけ、名士をあげて国家に報いよう。人物の選定を手伝ってくれ」と。
王諶は、种暠を異とした。「河南尹の田歆がお探しの、孝廉がいた。洛陽の門下吏だ。田歆は笑った。「山沢でなく、足もとに人材がいた」と。田歆に認められ、种暠は河南尹の主簿となる。孝廉にあがり、太尉府に辟された。高第にあがる。

順帝末,為侍禦使。時,所遣八使光祿大夫杜喬、周舉等,多所糾奏,而大將軍梁冀及諸宦官互為請救,事皆被寢遏。暠自以職主刺舉,志案奸違,乃複劾諸為八使所舉蜀郡太守劉宣等罪惡章露,宜伏歐刀。又奏請敕四府條舉近臣父兄及知親為刺史、二千石尤殘穢不勝任者,免遭案罪。帝乃從之。擢暠監太子于承光宮。中常侍高梵從中單駕出迎太子,時太傅仁喬等疑不欲從,惶惑不知所為。暠乃手劍當車,曰:「太子國之儲副,人命所系。今常侍來無詔信,何以知非奸邪?今日有死而已。」梵辭屈,不敢對,馳命奏之。詔報,太子乃得去。喬退而歎息,愧暠臨事不惑。帝亦嘉其持重,稱善者良久。

順帝の末、侍禦使となる。順帝がおくった八使のうち、光祿大夫の杜喬、周舉らは、おおくを糾奏した。大將軍の梁冀や宦官は、糾奏をやめてほしい。順帝は、糾奏を握りつぶした。
种暠は侍御史だから、検挙をつかさどる。八使がリストアップした、蜀郡太守の劉宣を検挙した。种暠は順帝に言った。「三公と大将軍の府に命じ、近親の父兄で、刺史や太守として殘穢する人を検挙させよ」と。順帝は、种暠にしたがう。

「八使」は、地方官の不正を見に行った。种暠が、意図を徹底させた。

种暠を抜擢し、承光宮で太子(のちの沖帝)を監督させた。中常侍の高梵は、車1台で太子を迎えた。太傅の杜喬は、宦官にびびり、文句を言えない。种暠は言った。「太子は、国の儲副だ。いま中常侍は、詔書がないのに太子を連れ出した。死罪だ」と。高梵は、順帝に許可をもとめた。杜喬は种暠の行動を見て、宦官にびびった自分を愧じた。順帝は、种暠をほめた。

杜喬は、李固とならび、大物。种暠は、その杜喬を愧じさせた。


出為益州刺史。暠素慷慨,好立功立事。在職三年,宣恩遠夷,開曉殊俗,岷山雜落皆懷服漢德。其白狼、槃木、唐CC31、邛、D358諸國,自前刺史朱輔卒後遂絕;暠至,乃複舉種向化。時永昌太守冶鑄黃金為文蛇,以獻梁冀,暠糾發逮捕,馳傳上言,而二府畏懦,不敢案之,冀由是銜怒於暠。會巴郡人服直聚黨數百人,自稱「天王」,暠與太守應承討捕,不克,吏人多被傷害。冀因此陷之,傳逮暠、承。太尉李固上疏救曰:「臣伏聞討捕所傷,本非暠、承之意,實由縣吏懼法畏罪,迫逐深苦,致此不詳。比盜賊群起,處處未絕。暠、承以首舉大奸,而相隨受罪,臣恐沮傷州縣糾發之意,更共飾匿,莫複盡心。」梁太后省奏,乃赦暠、承罪,免官而已。

益州刺史となる。3年務め、岷山の雜落が、漢德を慕ってきた。白狼らの種族は、前任の益州刺史・朱輔が死んでから、後漢から去った。种暠がくると、交流を再開した。
ときに永昌太守は、黄金の蛇を梁冀にあげたい。种暠が賄賂をとがめた。司徒と司空は怖気づき、梁冀をとがめない。梁冀は、种暠に怒った。
たまたま巴郡の人が「天王」を自称した。种暠は、巴郡太守の應承ともに討伐したが、勝てない。梁冀はこれを理由に、种暠と應承を捕らえた。太尉の李固が弁護した。梁太后が、种暠と應承を救った。免官されただけ。

後涼州羌動,以暠為涼州刺史,甚得百姓歡心。被征當遷,吏人詣闕請留之,太后歎曰:「未聞刺史得人心若是。」乃許之。暠複留一年,遷漢陽太守,戎夷男女送至漢陽界,暠與相揖謝,千里不得乘車。及到郡,化行羌胡,禁止侵掠。遷使匈奴中郎將。時,遼東烏桓反叛,複轉遼東太守,烏桓望風率服,迎拜於界上。坐事免歸。

涼州の羌族がさわぐ。种暠は、涼州刺史となる。任期が終わっても、宮城でとどめられた。梁太后は嘆じた。「种暠ほど、人気のある刺史はいない」と。梁太后は、涼州刺史の留任をみとめた。
涼州刺史を1年延長し、漢陽太守となる。羌胡がなつく。使匈奴中郎將となる。遼東で烏桓が反叛し、遼東太守となる。烏桓も慕ってきた。罪があり免ぜられた。

後司隸校尉舉暠賢良方正,不應。征拜議郎,遷南郡太守,入為尚書。會匈奴寇並、涼二州,桓帝擢暠為度遼將軍。暠到營所,先宣恩信,誘降諸胡,其有不服,然後加討。羌虜先時有生見獲質於郡縣者,悉遣還之。誠心懷撫,信賞分明,由是羌胡、龜茲、莎車、烏孫等皆來順服。D477乃去烽燧,除候望,邊方晏然無警。

のちに司隷校尉は、种暠を賢良方正にあげる。応じず。議郎、南郡太守、尚書。匈奴が、并州と涼州を寇した。度遼將軍となる。郡県にいる、羌族の人質を返した。羌胡、龜茲、莎車、烏孫らは、みな順服した。狼煙や展望の台をのぞく。辺境は、警戒しなくてよい。

入為大司農。延熹四年,遷司徒。推達名臣橋玄、皇甫規等,為稱職相。在位三年,年六十一薨。並、涼邊人鹹為發哀。匈奴聞暠卒,舉國傷惜。單于每入朝賀,望見墳墓,輒哭泣祭祀。二子:岱、拂。

大司農となる。延熹四年(161)、司徒となる。名臣の橋玄、皇甫規らを推達した。太尉の肩書きに恥じない太尉だった。3年つとめ、61歳で死んだ。并州、涼州の人は服喪した。匈奴は、国をあげて服喪した。朝貢のたび、种暠の墳墓で祭祀した。

种暠は、曹操の祖父・曹騰とのエピソードがある。ここにないが。

2子がいる。种岱と、种払だ。

剣をふるい、李傕と戦って敗死した种払

岱字公祖。好學養志。舉孝廉、茂才,辟公府,皆不就。公車特徵,病卒。
初,岱與李固子燮同征議郎,燮聞岱卒,痛惜甚,乃上書求加禮於岱。曰:「臣聞仁義興則道德昌,道德昌則政化明,政化明而萬姓寧。伏見故處士種岱,淳和達理,耽悅《詩》、《書》,富貴不能回其慮,萬物不能擾其心。稟命不永,奄然殂殞。若不槃桓難進,等輩皆已公卿矣。昔先賢既沒,有加贈之典,《周禮》盛德,有銘誄之文,而岱生無印綬之榮,卒無官諡之號。雖未建忠效用,而為聖恩所拔,遐邇具瞻,宜有異賞。」朝廷竟不能從。

种岱は、あざなを公祖。孝廉、茂才、三公府に辟された。就かず。三公府の車が、とくに徵した。病没した

とんだ、未遂ヤロウ。期待させただけ、罪がおもい。

はじめ种岱hあ、李固の子・李燮とともに、議郎にめされた。李燮は、种岱が死んだと聞き「种岱に加禮したい」と求めた。朝廷は、种岱に加礼せず。

拂字穎伯。初為司隸從事,拜宛令。時,南陽郡吏好因休沐,遊戲市里,為百姓所患。拂出逢之,必下車公謁,以愧其心,自是莫敢出者。政有能名,累遷光祿大夫。初平元年,代荀爽為司空。明年,以地震策免,複為太常。
李C765、郭B023之亂。長安城潰,百官多避兵沖,拂揮劍而出曰:「為國大臣,不能止戈除暴,致使凶賊兵刃向宮,去欲何之!」遂戰而死。子劭。

种払は、あざなを穎伯という。司隸從事、宛令。ときに南陽の郡吏は、休暇に百姓をわずらわす。种払は下車して、郡吏にむけ、公人として挨拶した。郡吏は恥じて、百姓の前に出てこない。光祿大夫となる。
初平元年(190)、荀爽にかわり司空となる。翌年、地震で免ぜらる。太常となる。李傕と郭汜が、長安をつぶす。种払は剣をふるった。「大臣なのに、暴を除けない。凶賊の兵刃が、宮城にむかう。どうして、くれよう」と。种払は、戦士した。子は、种邵。

最期の台詞、よい。キャラ立ち。


董卓を河南で足止めし、馬騰と同盟した种邵

劭字申甫。少知名。中平末,為諫議大夫。
大將軍何進將誅宦官,召並州牧董卓,至澠池,而進意更狐疑,遣劭宣詔止之。卓不受,遂前至河南。劭迎勞之,因譬令還軍。卓疑有變,使其軍士以兵脅劭。劭怒,稱詔大呼叱之,軍士皆披,遂前質責卓。卓辭屈,乃還軍夕陽亭。

种邵は、あざなを申甫。中平末(189)、諫議大夫となる。
大將軍の何進が、宦官を殺したい。并州牧の董卓を、澠池に召す。何進は董卓の意思をうたがい、种払に詔を持たせ、董卓を止めさせる。董卓は受けず。董卓は、河南にすすむ。种邵は、董卓をねぎらう。种払は董卓をさとし、軍を戻させた。董卓は、事変をうたがう。軍士は、种邵をおどす。种邵は怒り、詔を読み上げ、董卓をしかる。軍士は、种払になびき、董卓を質した。董卓は言葉を屈し、軍を夕陽亭にもどす。

种邵は、董卓の軍を戻した。成功したのだ。すごいなあ! 今月、于濤氏の著作を読んだとき、この种払の活躍が書かれていた。どこに書いてあるか、知らなかった。やっと見つけた。


及進敗,獻帝即位,拜劭為侍中。卓既擅權,而惡劭強力,遂左轉議郎,出為益、涼二州刺史。會父拂戰死,竟不之職。服終,征為少府、大鴻臚,皆辭不受。曰:「昔我先父以身徇國,吾為臣子,不能除殘複怨,何面目朝覲明主哉!」遂與馬騰、韓遂及左中郎劉範、諫議大夫馬宇共攻李C765、郭B023,以報其仇。與B023戰于長平觀下,軍敗,劭等皆死。騰遂還涼州。

献帝が即位し、种邵は侍中となる。

父の种払は、司空だ。父子で、董卓の朝廷に参加し、高位についている。太傅の袁隗、光禄勲(だっけ)の袁基とおなじである。

董卓は、种邵の強力を悪む。議郎に左遷した。益、涼二州刺史とする。

劉焉、劉璋とぶつかる。2州の刺史を、兼務したわけじゃないよね?

たまたま父の种払が死んだので、赴任せず。服もが終わり、少府、大鴻臚となるが、受けず。「李傕を除けないのに、なんの面目で官位につけるか」と。馬騰、韓遂、左中郎の劉範、諫議大夫の馬宇とともに、李傕と郭汜を攻めた。父の仇討だ。長平觀のもと、敗死した。馬騰と韓遂は、涼州にかえる。

ふつうに、三国志的に、おもしろい列伝でした。楽しかった。


李賢注、もっとふくらましてほしいのに。おわりです。110426

列伝46は、つぎは陳球伝。べつにやった。
『後漢書』陳球伝、陽球伝を抄訳し、『三国志』を補う