王甫、王萌、王吉を拷問した、陽球伝
吉川版で、陳球伝、陽球伝をやります。ただ抄訳して、読みなおしやすくした。
上表文のたぐいをはぶき、、関連する事件と人物にしぼった。どうぞ。
ふたりとも、名が「球」で、しかも関係がある。
『後漢書』では、陳球は列伝46、陽球は列伝67(酷吏)だ。はなれてる。
撃剣をやる、天然で過酷な役人
陽球は、あざなを方正という。漁陽の泉州の人だ。家は、世よ大姓で冠蓋だ。
陽球は、擊劍、弓馬がうまい。申韓の学問をやる。郡吏が、陽球の母をはずかしめた。少年をつれて、郡吏の家を滅ぼした。
孝廉にあがり、尚書侍郎となる。故事を知り、章奏はすばらしい。高唐の県令となる。陽球の政治は、嚴苛すぎて、太守につかまる。大赦にあう。
劉寵の司徒府に辟された。高第にあがる。
九江の山賊が、連月、おさまらない。三公府は、陽球を九江太守とした。九江につき、陽球は奸吏を殺しつくした。
平原相となる。陽球は、教令を出した。「私は、高唐令のとき、厳しくやりすぎて、太守につかまった。だが今回も、厳しくやる」と。郡中は、みな畏服した。
ときに日照した。司空の張顥は、苛酷で貪汚な人をリストアップし、みな免じた。陽球は、廷尉に渡され、免官された。霊帝は、陽球に九江での功績があるから、ゆるして議郎とした。
霊帝の、鴻都門学を批判する
伏承有詔敕中尚方為鴻都文學樂松、江覽等三十二人圖像立贊,以勸學者。臣聞《傳》曰:「君舉必書。書而不法,後嗣何觀!」案松、覽等皆出於微蔑,鬥筲小人,依憑世戚,附托權豪,俯眉承睫,微進明時。或獻賦一篇,或鳥篆盈簡,而位升郎中,形圖丹青。亦有筆不點牘,辭不辯心,假手請字,妖偽百品,莫不被蒙殊恩,蟬蛻滓濁。是以有識掩口,天下嗟歎。臣聞圖像之設,以昭勸戒,欲令人君動鑒得失。未聞豎子小人,詐作文頌,而可妄竊天官,垂象圖素者也。今太學、東觀足以宣明聖化。願罷鴻都之選,以消天下之謗。書奏不省。
将作大匠となる。罪を言われる。このころ尚書令となる。陽球は上奏して、鴻都門学を辞めろと言った。
「樂松や江覽ら32人は、ろくでもない趣味の達人だ。鴻都門学をやめて、天下の謗りをなくせ」と。霊帝は、鴻都門学をなくさず。
王甫、王萌、王吉を、いたぶって殺す
中常侍の王甫、曹節らは、つよい。陽球は、ももを叩き、発憤した。「もし私・陽球が司隷校尉になったら、曹節らを容赦しない」と。光和二年(179)、陽球は司隷校尉になった。
王甫は、私邸で休暇をとる。陽球は宮城にゆき、上奏した。「王甫、中常侍の淳于登、袁赦、封トウ、中黃門の劉毅、小黃門の龐訓、朱禹、齊盛らは、子弟を太守や県令にする。太尉の段熲も、宦官にへつらうから同罪だ。王甫や段熲らをとらえ、洛陽の監獄におくろう」と。
王甫の子・永楽(霊帝の母の宮)少府の王萌、沛相の王吉までおよぶ。
みずから陽球は、王甫らに5種類の拷問した。王萌は、陽球に言った。「父の王甫と、私・王萌は、死罪だろう。だが、もうちょっと優しくせよ」と。陽球は言った。「王甫らの罪は、死んでも償えない。手がけんできるか」と。王萌は言った。「陽球は、王甫に奴隷のように仕えたくせに」と。
陽球は、土で王萌の口をふさぎ、竹や木の棒で、めった打つ。王甫の父子は死んだ。段熲も自殺した。王甫の死骸を、夏城門に磔にした。「賊臣・王甫」と書いた。財産を没収した。妻子を、比景にうつす。
司隷校尉を延長すれば、曹節を殺すのに
陽球は、王甫を殺した。上表し、つぎは曹節らを殺したい。中都官の從事(都の諸官府勤務の従事の官)は言った。「大猾(王甫)のつぎ、豪右をやっつけよう」と。權門は、贅沢な品物をかくした。京師は、びびった。
ときに、順帝の虞貴人を葬った。道すがら曹節は、王甫の磔を見た。「宦官同士で、食いあうならよい。なぜ犬に、王甫の体液を舐めさせるものか」と。曹節は常侍らに語り、霊帝に陽球をチクった。霊帝は、陽球を衛尉とした。
ときに陽球は、司隷校尉として、陵墓をチェックしていた。陽球は、衛尉への異動命令を見て、あわてて霊帝に叩頭した。「私に、あと1ヶ月、司隷校尉の任期をくれ。罪人を罰する」と。叩頭して、血を流した。霊帝は、殿上から陽球を叱った。「衛尉の陽球は、詔をこばむか」と。陽球は、再三こばみ、衛尉を受けた。
同年の冬、司徒の劉郃と陽球は、張讓、曹節らを弾劾した。曹節らは、劉郃らを誣告した。陳球伝にある。陽球を、洛陽の監獄におさめた。殺された。妻子は、辺境に移された。
宦官と、二球の戦いでした。おしまい。陽球が、王甫を拷問するシーンとか、小説がかっていて、おもしろい。小説なんだろな。宦官が大嫌いな士大夫が、「陽球ガンバレ」と励まして、デタラメを書いたのだろう。おもしろければ、それでいい。110426