01) 曹丕の死、諸葛亮の凡
11月6日は、大阪で同窓会。移動&散歩の時間がおおい。
この日のために、宮城谷『三国志』9巻を買いつつも、読まずにとってありました。発売してから、2ヶ月弱の放置してました。予定どおり、大阪で読み終わったので、記憶の濃いうちに、気になったことを書き留めます。
曹丕_007:鮑勛を殺して30日で死ぬ
作者はいう。鮑勛は、曹丕に諫言する。鮑勛がいるおかげで、魏の王朝は自浄される。鮑勛のような臣下は、曹操からの遺産。
ぼくは思います。ずっと前の巻にて。作者は、まるで私怨でもあるかのように、後漢の霊帝と宦官を責めた。
作者は、鮑勛が大好きである。曹丕は、鮑勛を殺したせいで、宮城谷氏から裁きを受けて、わずか40歳で死ぬ。もし鮑勛を殺さなければ、この小説のなかで曹丕は、あと20年は生きられただろう。
司馬懿と陳羣は、そろって鮑勛を推した。
鮑勛は、曹丕の孫呉攻めを、批判した。曹丕の戦い方は、受身だ。孫権が出てこれば応戦するが、孫権が出てこなければ、兵糧を消費しまくるだけ。
作者は、曹操と曹叡の軍事能力をもちあげる代わり、曹丕を責める。
ぼくが思うに、曹丕は、そんなに下手ではない。曹丕にも、きっと考えがあった。孫権が劉備と夷陵で戦った直後、曹丕は孫権を滅ぼすことができた。だが「帰順する者をこばまず」として、孫権を呉王にしてあげた。
曹丕なりの考えを無視され、ただ失敗した結果を、作者は責める。なぜか。作者ごのみの、鮑勛を殺したからである。まったく、不遇だなあ、曹丕。
「言語は、もはや彼(曹植)の理性と感情を経由することなく、言語が言語を産みつづける」と。
20世紀の思想的には、どうなんだ、これ。笑
平原王の曹叡が、即位した。曹叡は、生母を曹丕に殺されている。地方の王として、ひっそり死ぬ人だと、人々から思われていた。曹叡に交誼をもとめた人は、いない。だから劉曄が、観察にいった。
劉曄ひとりなのは、第一印象の影響の大きさに、曹叡が注意したから。最初に得た情報は、たとえ正しくなくても、曹叡の政治を左右する。だから、偏私がなさそうな劉曄が、選ばれた。
司馬懿が登場。司馬懿は、つねに曹操にとって必要ではないから、曹丕に付けられた。
曹丕が魏王になったころ。孫権に攻められ、曹丕は襄陽を放棄した。曹仁を、襄陽から宛城まで後退させた。孫権は、タダで2城を得た。司馬懿は、後退する必要がないことを、見抜いていた。
曹丕は、最初の好悪をつらぬいた。司馬懿は、曹丕から見て、はじめの印象が良かったから、厚遇された。
司馬懿の例でも分かるが、第2代の君主を助けた人が、真の実力者となる。創業を手伝った功臣は、浮き沈みしがち。
孟達_036:諸葛亮も孟達も、相手の出方を待つ小人
出師の表のとき、内憂も外患もない。益州は、疲弊してない。諸葛亮は、将来の蜀を見て、楚辞っぽく、悲愴なレトリックをつかった。後漢初、公孫述は、防御に終始して、ほろびた。公孫述は、反面教師だ。
孟達を利用するとき、諸葛亮、蒋琬、費禕は、降将の李鴻からの情報に頼った。李鴻は、孟達が諸葛亮を尊敬していると、告げた。
当時、尊敬する敵将と文通することは、禁じられていない。孟達は、諸葛亮と文通した。孟達は、はじめに自分から動かない。こんな「小人」たる孟達が、諸葛亮の戦略のカナメにいる。
作者はここで、孫資の列伝をひく。孫資が、「蜀を討ちたい」という曹叡に反対したから。孫資は、曹魏は防衛を徹底し、敵が衰えるのを待てと云った。
漢中郡の上庸に、申耽がいる。申耽は、張魯につうじ、勢力図を安定させた。
申耽は、諸葛亮が漢中から動かないので、不審に思った。孟達が、諸葛亮に通じていることを、疑った。
諸葛亮は、孟達が挙兵するのを待つ。孟達は、諸葛亮が曹魏に進入してくるのを待つ。たがいにお見合いして、戦争が始まらない。
この小説で諸葛亮は、実戦で成長するタイプの指揮官。初戦では、最低の馬鹿者として登場。諸葛亮ファンは、憤ると思うけど、その必要はない。馬鹿な諸葛亮は、作者の趣向。初戦の諸葛亮が拙いほど、成長の幅を大きく描くことができる。読者は感動させられる予定だ。五丈原で諸葛亮は、神算の軍神に化けるかも。五丈原は単行本で未発売。楽しみです。
荊州と豫州の全権をもつ司馬懿が、孟達に手紙を書いた。孟達は、すぐに挙兵することを、思いとどまった。
箕谷_065:魏延が主張した、蜀漢の正義
司馬懿は、神速で孟達を攻めた。司馬懿が成功した理由は、曹叡との連絡のよさだ。諸葛亮は孟達に向かったが、申儀に妨害された。
諸葛亮は、魯(にぶ)かった。孟達が叛旗をかかげるのを、ダラダラこだわって、待った。司馬懿に孟達を攻められて、助けられなかった。
司馬懿は、諸葛亮の意図が分からなかった。雍州に手を回した報せも、司馬懿にとどかない。なんのために、漢中に1年も駐屯したのか。
諸葛亮は軍議で、「孟達の死は、失敗ではない」と示した。「劉備を裏切った孟達を、司馬懿の手を借りて、始末させた」と。これが、諸葛亮の言い分。諸葛亮の強がり。
諸葛亮の言い分を、的確に見破ったのが、魏延。魏延は劉備から、漢中を任された。作者の解釈では、張飛よりも「軍事的才能が上」である。
諸葛亮は、魏と戦うのがはじめて。初戦が、すべてである。いちど戦うと、クセを見抜かれる。魏延は、初戦の重要性を知っていた。
魏延は思う。西方の交通を遮断し、蜀の版図を広げる戦いは、蜀の欲望をあからさまにするだけ。蜀の正義を示すには、魏の首都を攻めなければならない。
諸葛亮の軍事の才能は、袁紹とおなじくらい。もし黄権が、夷陵で置き去りにならなければ、魏蜀の戦いは、まるで変わったはず。
曹魏には「蜀軍は解散したのではないか」とまで、云われるほど、諸葛亮の情報がない。だが諸葛亮は、曹真に重傷を負わせる前に、天水郡に姿を現してしまった。曹叡は、蜀軍の正体が見えたので、喜んだ。
曹魏は、趙雲の消息が聞こえないから、趙雲が死んだと思っていた。趙雲は、曹真を防ぎながら、撤退した。曹真を、漢中に入れてはいけない。
次回、この巻のハイライト。馬謖が斬られます。