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『史記』より、尭舜禹の禅譲劇 2)虞舜に死んでほしい
◆帝尭のいやらしい試練
「失敗しちゃえよ」
という、捻くれた試験を課された、虞舜。
邪悪な家族をなだめつつ、天子の娘2人を妻として、女の幸せを味あわせてやらねばならん。

しばらくして、帝尭は報告を聞いた。
「どうだ、虞舜はギブアップしたか。家庭崩壊したか」
「いいえ。嫁いだお2人は、天子の娘という身分に驕らず、慎み深く暮らしています。きっと虞舜に影響を受けたのでしょう」
帝尭のいじわるな期待に反し、虞舜は人間関係をうまく回した。
――手ごわい奴だ。
帝尭はそう思っただろうが、顔に出さない。
「それは殊勝なことだ。虞舜には、葛布の衣と琴をプレゼントし、倉を建ててやり、牛羊を贈ってやれ」
一見すると、褒美だが、そうではない。
ひねくれた人の心を察知できるのは、ひねくれた人だ。

虞舜の父は、家に届いた財宝に心が乱れた。帝尭の思惑どおりに。
「おい、倉の屋根に登って、修繕してくれないか」
虞舜が高所で作業していると、父は倉庫に火をつけた。息子を焼き殺して、財産を奪おうとしたのだ。虞舜は、笠を両手に持って空気抵抗を作り、飛び降りて助かった。
虞舜を殺し損ねた父は、次の作戦を立てた。
「新しい井戸があれば便利だな」
虞舜は、井戸を掘らされた。父と弟が、虞舜を生き埋めにした。
「天子の2人の娘と琴は、俺がもらおう。親父たちは、牛羊と米倉を取るがいい」
邪悪な家族は、虞舜の財産を山分けをした。
そこに、抜け穴から脱出した虞舜が帰ってきた。虞舜は、以前と変わらず家族を大切にした。
家族は更生した。
『史記』によれば、 成功したコツは、
「父は義理、母は慈愛、子は孝行、兄は友愛、弟は恭順」
という大原則を、家族に叩き込むことだったと。
そういうまとめ方をすると、古代の中国人は納得がいったらしい。

「虞舜は、期待できる若者だ」
帝尭は、表面上は嬉しそうな顔を見せつつ、サディスティックな快楽を得られなかったことに、腹を立てたんじゃないか。
『史記』を素直に読むなら、帝尭が後継者選びに慎重になり、国の未来を思いやっているように見える。だが、やり方に愛がない。フェアではない。獅子の子育てよりも、無茶振りである。悪意がある。
普通ならば、
家庭環境で苦労している俊才がいると知れば、召し出して労い、話を聞いてやる。いきなり娘を2人も送りつけない。
また、父親が歪んだ人格の持ち主と聞いていたら、争いの材料になるような中途半端な財産を与えない。全員で分配しても余りある大金か、物欲を刺激しない生活補助程度を支給してやれよ。

◆虞舜を殺す気かも知れない
虞舜が家庭問題では転ばないから、帝尭は次の試練を課した。
「よし、虞舜を連れてこい。天子の服を着せろ。私の代わりに、仕事をやってもらう
仕事をしたことのない人の手腕を見るなら、まずはインターンで簡単な仕事からさせてやれ。いきなり天子の代理なんて、ひどい。
だが虞舜は、段取りよく政務した。
次に命じられた、諸侯や賓客の接待係もできた。遠方への使者、未開地の探検をさせた。暴風や雷雨に襲われたが、虞舜は道に迷わなかった。
帝尭が虞舜に課したのは、
「粗相して死ね。もしくは遭難してしまえ」
という試練である。

帝尭は、疲れた疲れたと言いながら、よほど天子の位に執着していたんじゃないか。
「天子の仕事は、帝尭さまにしか務まりません。あなたがいなければ、この国は潰れてしまいます」
チヤホヤされて、自尊心を満足させていたいんだろう。
「私は辞めたい」
と言えば、群臣が色めき立つ。本心は別にしても、動揺した芝居を見せてくれる。それが、帝尭には愉快で仕方がない。
だから、後継者を探すと言いつつ、ちっとも決めない。優れた若者が出てきたら、何とか口実を見つけて、芽を摘んでしまいたい。
「私は、重要な人間だ」
と内に外に宣言して回りたい。病的では、ある。

3年が過ぎた。この間、虞舜は休みなく、無理難題に付き合った。帝尭は、ついに降参した。
「虞舜よ、君を3年間試したが、ミスもウソも1つもなかった。危なっかしい場面すらなく、全て成功した。天子を継ぎたまえ」
「遠慮いたします」
このときの虞舜の心を、『史記』では、
――不悦。
と書いてある。曹丕が禅譲を受けるとき、何度も辞退するのだが、その原型がここにある。まさに、この気持ちである。
いよいよ断り切れなくなり、虞舜は受けた。
帝尭の祖先の廟で、天子を受け継ぐ儀式をした。祭られているのは、文祖だ。
「文祖よ、あなたの子孫からは、ついにロクな人物が輩出されませんでした。だから、あなたの子孫ではない他人に、名誉ある天子の地位を譲ります。報告だけはしておきます」
ということだ。
天子を手放す側が嬉しいはずがないし、受け取る側も気が重い。禅譲とは、関わった全員の気分が塞ぐ儀式である。
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このコンテンツの目次
『史記』より、尭舜禹の禅譲劇 1)性格の悪い、帝尭
2)虞舜に死んでほしい
3)割を食わされた帝禹
4)マジシャンの王莽