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『晋書』列伝68、王敦伝 2)曹操の楽府を熱唱
尚書監だった王敦は、司馬越と衝突して、揚州に飛ばされた。

其後征拜尚書,不就。元帝召為安東軍諮祭酒。會揚州刺史劉陶卒,帝複以敦為揚州刺史,加廣武將軍。尋進左將軍、都督征討諸軍事、假節。帝初鎮江東,威名未著,敦與從弟導等同心翼戴,以隆中興,時人為之語曰:「王與馬,共天下。」尋與甘卓等討江州刺史華軼,斬之。

のちに王敦は、洛陽から尚書を拝したが、着任せずに揚州に残った。
元帝は王敦を召して、安東軍諮祭酒とした。たまたま揚州刺史の劉陶が死んだから、
「揚州刺史は、ふたたび王敦がやれ」
と元帝は命じ、さらに廣武將軍を加えた。 王敦は左將軍に進み、都督征討諸軍事、假節となった。
元帝がはじめて江東に出鎮したとき、威名はショボかった。王敦と從弟の王導らは、心を合わせて元帝を翼戴(サポート)した。東晋が中興すると、時の人は語った。
「王と馬が、天下を共にしている」
〈訳注〉言うまでもなく、馬とは司馬氏のこと。「王」が先にきて、しかも「共に」というのがポイントか。君主権力は弱いのだ。
王敦は甘卓らとともに、江州刺史の華軼を討伐して斬った。

蜀賊杜弢作亂,荊州刺史周顗退走,敦遣武昌太守陶侃、豫章太守周訪等討韜,而敦進住豫章,為諸軍繼援。及侃破弢,敦上侃為荊州刺史。既而侃為弢將杜曾所敗,敦以處分失所,自貶為廣武將軍,帝不許。侃之滅弢也,敦以元帥進鎮東大將軍、開府儀同三司,加都督江揚荊湘交廣六州諸軍事、江州刺史,封漢安侯。敦始自選置,兼統州郡焉。

蜀賊の杜弢が叛乱した。荊州刺史の周顗は敗走した。
王敦は、武昌太守の陶侃、豫章太守の周訪に、杜弢の討伐を命じた。王敦は豫章郡に進駐し、諸軍を後ろから支えた。陶侃が杜弢を破った。王敦は、
「手柄があるので、陶侃を荊州刺史にして下さい」
と上奏した。
しかし陶侃は、杜弢の部将である杜曾に敗れてしまった。
「私は誤った上奏をしました。私を廣武將軍に降格して下さい」
「その必要はない」
元帝は、王敦を降格しなかった。
陶侃が杜弢を滅すると、王敦は討伐の元帥だったから、鎮東大將軍に進み、開府儀同三司とされた。都督江揚荊湘交廣六州諸軍事を加えられ、江州刺史となり、漢安侯に封じられた。王敦は州郡を新しく設置して、自らそこを統率した。

頃之,杜弢將杜弘南走廣州,求討桂林賊自效,敦許之。陶侃距弘不得進,乃詣零陵太守尹奉降,奉送弘與敦,敦以為將,遂見寵待。南康人何欽所居險固,聚黨數千人,敦就加四品將軍,於是專擅之跡漸彰矣。

このころ、杜弢の部将である杜弘は、
「南方の廣州に行き、桂林郡の賊を討ちたいと思います」
と願い出た。王敦は、申し出を許した。
〈訳注〉杜弘は、旧敵の残党。信じちゃダメだろうに。
かつて杜弢と戦った陶侃は、杜弘を警戒して、進軍を阻んだ。杜弘は敗れ、零陵太守の尹奉に降った。尹奉は杜弘を、王敦のところに送り返した。王敦は杜弘に会うと、将軍に取り立てて寵待した。
南康人の何欽は、険阻な土地に立てこもり、衆党は数千人もいた。王敦は、何欽を四品の將軍にした。王敦の專擅之跡は、ようやく彰らかになり始めた。
〈訳注〉国家の規則より、自分の好き嫌いを優先するから、専断の兆しだと言われて当然だ。

建武初,又遷征南大將軍,開府如故。中興建,拜侍中、大將軍、江州牧。遣部將硃軌、趙誘伐杜曾,為曾所殺,敦自貶,免侍中,並辭牧不拜。尋加荊州牧,敦上疏曰:(以下略)

建武初(317年)、王敦は征南大將軍となり、開府は元のままだった。東晋が建国されると、王敦は侍中を拝し、大將軍、江州牧となった。
王敦は、部將の硃軌や趙誘を遣わして、杜曾を討伐した。だが逆に、杜曾に殺された。
「敗戦の責任を取ります。侍中を免じ、江州牧もお返しします」
王敦は、自ら貶めた。だが東晋は、代わりに王敦を荊州牧にした。王敦は上疏した。
「(抄訳すると)東晋は中興したばかりで、政権は不安定です。ところが私の一族(瑯邪の王氏)は、身に余る恩を受けています。失敗を見逃してもらう理由はありません。荊州牧は要りません」

帝優詔不許。又固辭州牧,聽為刺史。時劉隗用事,頗疏間王氏,導等甚不平之。敦上疏曰:(以下略)
表至,導封以還敦,敦複遣奏之。


元帝はそれでも王敦に、荊州牧を与えようとした。王敦が固辞したから、荊州刺史と与えることで妥協した。
〈訳注〉牧は州を支配する実権があり、刺史は郡国を見回るだけの役職。俸禄も3倍以上違う。
ときに劉隗は、王氏と関係が悪かった。王導らは、劉隗のことを不安に思っていた。王敦は上疏した。
「(抄訳すると)王導は、いい人材です。劉隗に浮気などせず、王導を重く用いて下さい。私が王導の血縁だから、こんなことを言うのではありません。国のために言うのです」
王敦の上表が届いた。王導は封をして、王敦に返却した。だが王敦は、また同じ文を上奏した。
〈訳注〉王導は、みっともないから、上奏を付き返したようで。だが上奏を盗み見てしまうのは、後漢の宦官と同じだよな(笑)

初,敦務自矯厲,雅尚清談,口不言財色。既素有重名,又立大功于江左,專任閫外,手控強兵,群從貴顯,威權莫貳,遂欲專制朝廷,有問鼎之心。帝畏而惡之,遂引劉隗、刁協等以為心膂。敦益不能平,於是嫌隙始構矣。每酒後輒詠魏武帝樂府歌曰:「老驥伏櫪,志在千里。烈士暮年,壯心不已。」以如意打唾壺為節,壺邊盡缺。

はじめ王敦は慎み深くて、清談を雅尚し、金儲けの話や下ネタを口にしなかった。もとより名声が重く、東晋の建国に大功があった。そのため軍事の専権を与えられ、強兵を率いて、貴顕な人たちを従えた。王敦の威権に並ぶ人はなく、朝廷を専制した。
王敦は、問鼎之心を抱くようになった。
〈訳注〉「鼎の軽重を問う」とは、春秋時代の故事で、皇帝の位を狙うことを指す。
元帝は、王敦を畏れて悪んだ。王氏に対抗するため元帝は、劉隗や刁協らを心膂として頼った。王敦はますます不平に思い、元帝に遠ざけられることを嫌って、ことを構えた。
王敦は酒を飲むと、曹操が作った楽府を歌った。
「老驥伏櫪、志在千里。烈士暮年、壯心不已」
〈訳注〉三国ファンには訳は不要でしょう。王敦の野心は、まだまだ満足していない。
王敦は、意のままに唾壺を叩いてリズムを取るから、壺のふちが全て欠けてしまった。

及湘州刺史甘卓遷梁州,敦欲以從事中郎陳頒代卓,帝不從,更以譙王承鎮湘州。敦複上表陳古今忠臣見疑于君,而蒼蠅之人交構其間,欲以感動天子。帝愈忌憚之。俄加敦羽葆鼓吹,增從事中郎、掾屬、舍人各二人。

湘州刺史の甘卓が、梁州に遷ることになった。王敦は、
「從事中郎の陳頒を、甘卓の代わりに梁州に行かせたい」
と、朝廷の決定に反対した。 元帝は王敦の要求を、はねつけた。
譙王の司馬承が、湘州に出鎮した。
〈訳注〉湘州は王敦のテリトリーだ。そこに皇族を派遣したのは、王敦を牽制したことになる。
王敦はふたたび上表して述べた。
「古今の忠臣で、君主に疑われた人は、而して蒼蠅之人は其間を交構し、以て天子を感動せんと欲す」
〈訳注〉分かりません。蒼蠅之人って何?ホラー映画の怪人?
元帝は、いよいよ王敦を忌み憚った。にわかに王敦に羽葆鼓吹を加え、從事中郎を増し、掾屬と舍人を2人ずつ与えた。
〈訳注〉「特権を上げるから、機嫌を直してくれ」という処置だ。

元帝との対決が始まりそうです。。
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このコンテンツの目次
『晋書』列伝68、王敦伝
1)蜂の目、豹の声
2)曹操の楽府を熱唱
3)瑯邪に帰らせて下さい