いつか書きたい『三国志』
三国志キャラ伝
登場人物の素顔を憶測します
『晋書』と『後漢書』口語訳
他サイトに翻訳がない列伝に挑戦
三国志旅行記
史跡や観光地などの訪問エッセイ
三国志雑感
正史や小説から、想像を膨らます
三国志を考察する
正史や論文から、仮説を試みる
自作資料おきば
三国志の情報を図や表にしました
企画もの、卒論、小説
『通俗三国志』の卒業論文など
春秋戦国の手習い
英雄たちが範とした歴史を学ぶ
掲示板
足あとや感想をお待ちしています
トップへ戻る

(C)2007-2009 ひろお
All rights reserved. since 070331
『晋書』列32、劉琨伝の翻訳 2)劉聡と石勒との戦い
并州に赴任して、政府から大量の援助をもらった劉琨。匈奴との戦いをむかえます。

時東嬴公騰自晉陽鎮鄴,並土饑荒,百姓隨騰南下,餘戶不滿二萬,寇賊繼橫,道路斷塞。琨募得千餘人,轉鬥至晉陽。府寺焚毀,僵屍蔽地,其有存者,饑羸無複人色,荊棘成林,豺狼滿道。琨翦除荊棘,收葬枯骸,造府朝,建市獄。寇盜互來掩襲,恆以城門為戰場,百姓負楯以耕,屬鞬而耨。琨撫循勞徠,甚得物情。劉元海時在離石,相去三百許裏。琨密遣離間其部雜虜,降者萬餘落。元海甚懼,遂城蒲子而居之。在官未期,流人稍複,雞犬之音複相接矣。琨父蕃自洛赴之。人士奔迸者多歸於琨,琨善於懷撫,而短於控禦。一日之中,雖歸者數千,去者亦以相繼。然素奢豪,嗜聲色,雖暫自矯勵,而輒複縱逸。

東嬴公の司馬騰が(并州の)晉陽から鄴に移って出鎮した。このとき并州の土地は饑荒していたから、百姓は司馬騰に随って南下した。
并州に残ったのは二萬戸にも満たず、寇賊は専横を続け、道路は斷塞された。劉琨は募兵して千余人を得て、晉陽を守った。寇賊によって、府寺(役所)を焼き壊され、死体は地を覆っていた。生存者は飢えて人間らしい表情を失い、荊棘は林のように茂り、豺狼が道に満ちていた。
劉琨は荊棘を伐採して切り開き、遺骨を埋葬して、府朝を造り、市獄を建てた。寇盜がたびたび襲い掛かったから、つねに城門は戰場となった。百姓は楯を背負って耕作したが、しばしば虐待を受けた。劉琨は、見回って住人を労わり、晋陽の実情をよく知った。
劉淵が離石にいるとき、劉琨の軍から300里のところに近づいた。劉琨はひそかに使者をやって、劉淵の下の部族に離間をしかけた。劉琨に降伏したのは、萬餘の部落に及んだ。劉淵は劉琨をひどく懼れて、城蒲子にいた。在官いまだ期せず、流人はいよいよ増えて、(劉琨と劉淵の連れている民が)飼っている鶏や犬の声が互いに聞こえるほど近くにいた。
劉琨の父である劉蕃は自ら洛陽に行った。
人士で戦乱から避難している人は、多くが劉琨に保護を求めた。劉琨は優れた人士をよく懷撫したが、劣った人士を拒んだ。1日で劉琨を頼ってくる人は数千人もいたが、拒絶され去っていく人も多かった。
劉琨は普段から奢豪で、声色を嗜み、しばらくは自制していたものの、すぐに元のように好き勝手に楽しむようになった。
〈訳注〉并州では偉人の仕事をしたようですが、根は腐敗した西晋の貴族なのです。

河南徐潤者,以音律自通,游於貴勢,琨甚愛之,署為晉陽令。潤恃寵驕恣,干預琨政。奮威護軍令狐盛性亢直,數以此為諫,並勸琨除潤,琨不納。初,單于猗以救東嬴公騰之功,琨表其弟猗盧為代郡公,與劉希合眾於中山。王浚以琨侵己之地,數來擊琨,琨不能抗,由是聲實稍損。徐潤又譖令狐盛於琨曰:「盛將勸公稱帝矣。」琨不之察,便殺之。琨母曰:「汝不能弘經略,駕豪傑,專欲除勝己以自安,當何以得濟!如是,禍必及我。」不從。

河南郡の徐潤という人は、音律に通じて、貴族たちの中で遊んだ。劉琨は徐潤をとても愛し、晉陽令にした。徐潤は、劉琨の寵愛をカサにきて、驕恣に振る舞い、劉琨から政務を預かった。
奮威護軍の令狐盛は、性が亢直な人で、しばしば「徐潤を辞めさせて下さい」と劉琨に諫言したが、認められなかった。
はじめ單于の猗□は、東嬴公騰を救った。その功績により、劉琨は上表して、その弟の猗盧を代郡公にした。猗盧は、劉希と兵を合わせて、中山にいた。王浚は、劉琨が己の領土(幽州)を侵すので、しばしば劉琨を撃退した。劉琨は王浚に対抗できなかったから、声望を損じた。
徐潤は、劉琨に向けて令狐盛をそしった。
〈訳注〉陣営が危機になり、音楽だけは達者なお気に入りの芸人が、忠臣を陥れた。亡国の典型だ。
「令狐盛は、あなたに皇帝を名乗れと勧めています」
劉琨は真相を確かめもせず、令狐盛を殺した。
劉琨の母は言った。
「お前は經略を弘められず、豪傑を引き連れて、ただ己の欲望を満たして、いい気持ちになりたいだけです。どこに救いようがありましょうか。お前の行いのせいで、必ず禍いが(母である)私に及ぶでしょう」
劉琨は母の忠告を聞かなかった。

盛子泥奔于劉聰,具言虛實。聰大喜,以泥為鄉導。屬上党太守襲醇降於聰,雁門烏丸複反,琨親率精兵出禦之。聰遣子粲及令狐泥乘虛襲晉陽,太原太守高喬以郡降聰,琨父母並遇害。琨引猗盧並力攻粲,大敗之,死者十五六。琨乘勝追之,更不能克。猗盧以為聰未可滅,遺琨牛羊車馬而去,留其將箕澹、段繁等戍晉陽。琨志在復仇,而屈於力弱,泣血屍立,撫慰傷痍,移居陽邑城,以招集亡散。

令孤盛の子である令孤泥は、劉聰のところに逃げ込み、つぶさに劉琨のところの虚実を報告した。劉聰は(劉琨の統制が死に体だから)大いに喜び、令孤泥を郷導にした。
〈訳注〉郷導がよく分からないが、匈奴の官位?それとも、郷里を指導する(もしくは郷里を攻めるときに手引きする)という、一般文?
上党太守の襲醇は劉聡に降伏し、雁門郡の烏丸がふたたび離反した。劉琨は自ら精兵を率いて、鎮圧に向かった。劉聰は、子の劉粲と令狐泥を遣わして、劉琨が出撃してカラになった晉陽を襲わせた。
太原太守の高喬は、郡の人を引き連れて劉聡に降伏し、劉琨の父母は殺害された。
劉琨は、猗盧を率いて劉粲(劉聡の子)を攻めた。劉琨は、大いに劉粲を敗り、死者は15、6人しか出なかった。劉琨は勝ちに乗じて追撃したが、それ以上は勝てなかった。
猗盧は、劉聰を滅すには時期尚早だと思ったから、劉琨のところに牛羊や車馬を残して去った。猗盧は、配下の将である箕澹や段繁らに晉陽を取り戻させようとした。劉琨は復仇することを志したが、弱いために劉聡に屈した。劉琨は、血の涙を流して屍の中に立ち、傷ついた兵を手当てしながら、晋陽から陽邑城に落ちた。陽邑城で、散らばった兵たちに召集をかけた。
〈訳注〉平たく言えば、并州が劉聡に陥落された。

湣帝即位,拜大將軍、都督並州諸軍事,加散騎常侍、假節。琨上疏謝曰:(以下略)

湣帝が即位すると、劉琨は大將軍を拝し、都督並州諸軍事、散騎常侍を加えられ、假節を与えられた。
劉琨は上疏して謝意を述べた。
「(原文の省略部分を抄訳すると)私は晋陽を奪われてしまうというヘマをしましたが、許して高位を与えてくれてありがとう。異民族に国土を脅かされていますが、私はがんばります」

及麹允敗,劉曜斬趙冉,琨又表曰:
逆胡劉聰,敢率犬羊,馮陵輦轂,人神發憤,遐邇奮怒。伏省詔書,相國、南陽王保,太尉、涼州刺史軌,糾合二州,同恤王室,冠軍將軍允、護軍將軍綝,總齊六軍,戮力國難,王旅大捷,俘馘千計,旌旗首于晉路,金鼓振于河曲,崤函無虔劉之警,汧隴有安業之慶,斯誠宗廟社稷陛下神武之所致。含氣之類,莫不引領,況臣之心,能無踴躍。
臣前表當與鮮卑猗盧克今年三月都會平陽,會匈羯石勒以三月三日徑掩薊城,大司馬、博陵公浚受其偽和,為勒所虜,勒勢轉盛,欲來襲臣。城塢駭懼,志在自守。又猗盧國內欲生奸謀,幸盧警慮,尋皆誅滅。遂使南北顧慮,用愆成舉,臣所以泣血宵吟,扼腕長歎者也。勒據襄國,與臣隔山,寇騎朝發,夕及臣城,同惡相求,其徒實繁。自東北八州,勒滅其七,先朝所授,存者唯臣。是以勒朝夕謀慮,以圖臣為計,窺伺間隙,寇抄相尋,戎士不得解甲,百姓不得在野。天網雖張,靈澤未及,唯臣孑然與寇為伍。自守則稽聰之誅,進討則勒襲其後,進退唯穀,首尾狼狽。徒懷憤踴,力不從願,慚怖征營,痛心疾首,形留所在,神馳寇庭。秋谷既登,胡馬已肥,前鋒諸軍並有至者,臣當首啟戎行,身先士卒。臣與二虜,勢不並立,聰、勒不梟,臣無歸志,庶憑陛下威靈,使微意獲展,然後隕首謝國,沒而無恨。

麹允が敗れると、劉曜は趙冉を斬った。このニュースを受けて、劉琨はまた上表した。
「逆胡の劉聰は犬羊を率いて、侵攻しています。腹立たしいことです。相國で南陽王の司馬保、太尉で涼州刺史の張軌は、二州(荊州と涼州)を糾合し、同じく王室を恤れんでいます。冠軍將軍の允、護軍將軍の綝は、六軍をひとしく統御して國難にあたって力を尽くしています。
〈訳注〉允と綝の姓を調べねば。すぐに思い当たらん。
晋軍は大いに捷ち、千ばかりの敵の首級を上げました。旌旗が晉路にひるがえり、金鼓が河曲に振るっているのは、宗廟社稷、陛下の神武のおかげです。臣下も心を奮っています。
〈訳注〉ここまでは、滅び行く西晋を部分的にでも支えている、忠臣の名前のおさらいだ。
私は以前に上表したように、鮮卑の猗盧とともに今年三月に平陽で戦勝しました。匈羯の石勒は、三月三日に(幽州の)薊城を包囲しました。大司馬で博陵公の王浚は、石勒のフェイクの和睦を受け入れて、石勒の捕虜になってしまいました。石勒の勢いは一気に強くなり、晋の臣を襲おうとしています。城や砦にいる人は石勒にビビり、自衛しようと腹に決めています。
また(鮮卑の)猗盧の國内で、奸謀の動きがありましたが、幸いにも猗盧が察知して、事前に誅滅しました。
石勒を討ち果たしたくて、私は血の涙を流して思いを吟じ、腕を扼して嘆いているのです。石勒は襄國を拠点にしているので、私がいる陽邑城とは山を隔てています。しかし石勒の寇騎(侵略軍)が朝に出発すれば、夕には私の城に着いてしまいます。石勒と私は憎みあって、互いに殺そうと狙っています。石勒の兵は、私の城の前によく現れます。
東北には八州がありますが、石勒は七州を滅ぼしました。私が授かった并州しか残っていません。石勒は朝から晩まで謀慮して、計略によって隙を突こうとしてきます。私の兵は甲冑を外せず、百姓は外に出て耕作できません。
(抄訳しますが)秋になり、異民族の馬はすでに肥えました。一触即発です。私と石勒と劉聡は、並び立つことがありません。命を尽くして、国のために戦います」
〈訳注〉別に求めてないのに、劉琨は自分の近況を報告したくて仕方ないようだ。8州のうち7州が落ちたとは、穏やかではない。っていうか、晋陽はもう劉琨の手にないんだから、并州も敵のものでは?孤立して踏ん張っているだけだ。
前頁 表紙 次頁
このコンテンツの目次
『晋書』列32、劉琨伝の翻訳
1)賈謐の友、趙王倫の姻
2)劉聡と石勒との戦い
3)鮮卑族と義兄弟
4)晋に殉じても無視
5)脂汚れの兄、劉輿
6)五胡十六国で一家離散