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『晋書』列32、劉琨伝の翻訳
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3)鮮卑族と義兄弟
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晋陽を奪われても、かろうじて并州に残る劉琨。生き残れるのか。
三年,帝遣兼大鴻臚趙廉持節拜琨為司空、都督並冀幽三州諸軍事。琨上表讓司空,受都督,克期與猗盧討劉聰。尋猗盧父子相圖,盧及兄子根皆病死,部落四散。琨子遵先質于盧,眾皆附之。及是,遵與箕澹等帥盧眾三萬人,馬牛羊十萬,悉來歸琨,琨由是複振,率數百騎自平城撫納之。屬石勒攻樂平,太守韓據請救於琨,而琨自以士眾新合,欲因其銳以威勒。箕澹諫曰:「此雖晉人,久在荒裔,未習恩信,難以法禦。今內收鮮卑之余穀,外抄殘胡之牛羊,且閉關守險,務農息士,既服化感義,然後用之,則功可立也。」琨不從,悉發其眾,命澹領步騎二萬為前驅,琨自為後繼。勒先據險要,設伏以擊澹,大敗之,一軍皆沒,並土震駭。尋又炎旱,琨窮蹙不能複守。幽州刺史鮮卑段匹磾數遣信要琨,欲與同獎王室。琨由是率眾赴之,從飛狐人薊。匹磾見之,甚相崇重,與琨結婚,約為兄弟。
三年(309)懐帝は、大鴻臚の趙廉に持節を兼ねさせ、
「劉琨を司空、都督並冀幽三州諸軍事にする」
と伝えた。
劉琨は上表して司空を辞退し、都督を受けた。
〈訳注〉并州以外に、2州が加わった。「冀州と幽州を取り戻せ」という命令なのだ。重いなあ。
劉琨は、猗盧と劉聰の討伐に向かった。劉琨の父子は、猗盧の軍勢の乗っ取りを企んだ。けっきょく猗盧および兄の子である猗根は、みな病死して、部落は四散した。
いきさつは、こうである。まず劉琨の子の劉遵は、猗盧を人質にとった。猗盧の兵はみな劉琨に従った。劉遵と箕澹らは、猗盧の兵3万人と馬牛羊10万を率い、けっきょく全員が劉琨に帰属した。劉琨は盛り返し、兵数は數百騎になったから、自ら城を平らげて接収した。
〈訳注〉猗盧は劉琨に利用され、騙されたのか?訳が違うかも知れないが、きっとそうだ。
石勒が樂平を攻めたから、樂平太守の韓據は、劉琨に救援を求めた。劉琨は新参の兵を合わせ、その精鋭ぶりで石勒を威圧しようとした。箕澹が諫めた。
「もと猗盧の兵は、晉人ではありますが、久しく荒裔した大地に生きていました。習恩は信ならず、法律を守るのは難しいでしょう。いま鮮卑の一部族を味方にしましたが、外には牛羊のような胡がウヨウヨいます。関所を閉ざして、險しい地を守り、内地で農業に従事させて、充分に感義を施してから、異民族の兵を使うべきです。そうすれば、功績が立ちます」
〈訳注〉民族はいかに融合するかという難問です。
劉琨は聞き入れず、兵を全て動員した。箕澹に命じて、歩兵と騎兵を2万人、前驅させた。劉琨は自ら後詰となった。石勒はまず險要な地に拠り、伏兵を設けて箕澹を撃った。箕澹は大いに敗れ、一軍が全滅した。并州の大地が震駭した。陽射しが強くて乾いた日だったから、劉琨の兵はもう守ることができなかった。
幽州刺史で鮮卑族の段匹磾は、しばしば劉琨に手紙を出して、一緒に晋朝を助けたいと言っていた。戦意を失った劉琨は、段匹磾を頼った。劉琨は、飛狐人(身軽な異民族?)に従って、幽州の薊城に向かった。 匹磾は劉琨に会い、互いにとても崇重しあった。劉琨と段匹磾は、義兄弟の契りを結んだ。
〈訳注〉異民族と兄弟になってしまった。
是時西都不守,元帝稱制江左,琨乃令長史溫嶠勸進,於是河朔征鎮夷夏一百八十人連名上表,語在《元紀》。令報曰:「豺狼肆毒,薦覆社稷,億兆顒顒,延首罔系。是以居於王位,以答天下,庶以克復聖主,掃蕩讎恥,豈可猥當隆極,此孤之至誠著於遐邇者也。公受奕世之寵,極人臣之位,忠允義誠,精感天地。實賴遠謀,共濟艱難。南北迥邈,同契一致,萬里之外,心存咫尺。公其撫甯華戎,致罰丑類。動靜以聞。」
このころ西都(長安)は陥落して、懐帝は捕われた。 元帝は江左で稱制した。劉琨および琨令長史の温嶠は、元帝の即位を勧進した。河朔に征鎮している夷夏(中華民族と異民族)の180人が連名して、元帝の稱制を支持すると上表した。このことは「元帝紀」に記されている。
司馬睿(元帝)からは令報した。
「豺狼(石勒ら)は毒をほしいままにし、社稷(西晋)をひっくり返した。億兆の民は顒顒として、首を延ばし系は罔し。私が王位につき、天下に答えよう。庶民は聖主を克復し、讎恥を掃蕩するだろう。(以下、司馬睿の決意表明を省略)」
建武元年,琨與匹磾期討石勒,匹磾推琨為大都督,臿血載書,檄諸方守,俱集襄國。琨、匹磾進屯固安,以俟眾軍。匹磾從弟末波納勒厚賂,獨不進,乃沮其計。琨、匹磾以勢弱而退。是歲,元帝轉琨為侍中、太尉,其餘如故,並贈名刀。琨答曰:「謹當躬自執佩,馘截二虜。」
建武元年、劉琨と匹磾は、石勒を討とうとした。匹磾は劉琨を推薦して、大都督とした。劉琨と匹磾は、血をすすって書状を作成し、諸方の守備軍に檄を飛ばし、ともに石勒のいる襄國に集合した。 劉琨と匹磾は、進軍して固く守り、石勒の軍を待ち構えた。匹磾の從弟である末波は、石勒からの厚い賄賂を受け取っていたから、彼だけは軍を進めなかった。この計略がヒットして、劉琨と匹磾は(足並が揃わず)勢いを削がれて退却した。
〈訳注〉従弟の名前の読みは、マッパか。ちょうど世間では、草ナギさんが逮捕された。(09年4月下旬)
この歳、元帝は劉琨を侍中、太尉に転じさせ、その他の官職は据え置いた。元帝は劉琨に名刀を贈った。
劉琨は答えた。
「謹んでこの剣を手にして自ら佩き、二虜(劉聡と石勒)の首級を上げてまいります」
匹磾奔其兄喪,琨遣世子群送之,而末波率眾要擊匹磾而敗走之,群為末波所得。末波厚禮之,許以琨為幽州刺史,共結盟而襲匹磾,密遣使齎群書請琨為內應,而為匹磾邏騎所得。時琨別屯故征北府小城,不之知也。因來見匹磾,匹磾以群書示琨曰:「意亦不疑公,是以白公耳。」琨曰:「與公同盟,志獎王室,仰憑威力,庶雪國家之恥。若兒書密達,亦終不以一子之故負公忘義也。」匹磾雅重琨,初無害琨志,將聽還屯。其中弟叔軍好學有智謀,為匹磾所信,謂匹磾曰:「吾胡夷耳,所以能服晉人者,畏吾眾也。今我骨肉構禍,是其良圖之日,若有奉琨以起,吾族盡矣。」匹磾遂留琨。琨之庶長子遵懼誅,與琨左長史楊橋、並州治中如綏閉門自守。匹磾諭之不得,因縱兵攻之。琨將龍季猛迫於乏食,遂斬橋、綏而降。
匹磾の兄が死んだとき、劉琨は世子の劉群を送って参列させた。
やがて(裏切り者の)末波は兵を率いて、匹磾を要擊して敗走させた。匹磾のところにいた劉群は、末波に捕らえられた。だが末波は、劉群を厚く礼遇した。末波は、劉群に提案した。
「私は、あなたの父の劉琨が幽州刺史となることを支持します。交換条件として、私が伯父の匹磾から兵を乗っ取る手助けをして下さい」
劉群は協力を約束した。
〈訳注〉道義がないが、劉群はただの人質だ。仕方なし。
劉群は、ひそかに劉琨に使者を送ったが、匹磾の偵察騎に捕まった。このとき劉琨は、もと征北府が使った小城に駐屯していた。匹磾とは離れて駐屯したから、書状の捕獲を知らなかった。劉琨が匹磾と会ったとき、匹磾は劉群の書状を劉琨に示した。匹磾は言った。
「私はあなたを疑っておりません。ただ(あなたの息子が裏切りを促す書状を送った)事実を伝えるのみです」 劉琨は言った。
「あなたとの同盟は、晋室を志獎するものです。あなたの威力を頼り、國家之恥を雪ぎたいと思っています。もしわが子の密書が私のところに届いていたら、たかが一子の命を惜しんで、あなたとの義を忘れることはしませんでした(劉群を捨てて匹磾との同盟を維持したよ)」
匹磾は劉琨の受け答えを雅重とし、劉琨は裏切っていないと確信したから、屯所に還ろうとした。 匹磾の中弟である段叔は、軍の学問を好み、智謀があり、匹磾の信任を得ていた。その段叔が言った。
「私たちは、たかが胡夷(異民族)です。私たちが晋に服属していれば、晋のバックアップがあるから、他の鮮卑族は私たちを畏れます。いま私たちは骨肉で禍いを構えました。これは計略を使うチャンスです。もし私たちが劉琨を奉戴して立ち上がれば、鮮卑族の中で主導権を得ることができるでしょう」
〈訳注〉五胡十六国の夜明けに、晋に味方した部族は、こんな民族意識を抱えていた。いい史料なんじゃないでしょうか。
匹磾はこの意見を認めて、劉琨の陣に留まった。
劉琨の庶長子である劉遵は、誅されるのを懼れた。
〈訳注〉なぜ懼れたのか分からん。劉群と同じ動きをして、匹磾を引き摺り下ろす画策をしていたのか。
劉遵は、劉琨の左長史である楊橋と、并州治中の如綏とともに、閉門して守りを固めた。匹磾は、劉遵の説諭に失敗して、兵を動員して攻めた。劉琨の將である龍季は、兵糧を切らしながらも猛追して、楊橋を斬った。如綏は(逃げ切れず)降伏した。
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このコンテンツの目次
『晋書』列32、劉琨伝の翻訳
1)賈謐の友、趙王倫の姻
2)劉聡と石勒との戦い
3)鮮卑族と義兄弟
4)晋に殉じても無視
5)脂汚れの兄、劉輿
6)五胡十六国で一家離散
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