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孔明の転職活動 第01章 許都の冷笑 /2節
孔明は、全てを物憂く感じた。
孔明は声に出さずに、御免、と断りを入れると、住人が死に絶えた家に上がりこんだ。そして、ごろりと横になると、目を閉じた。徐々に外が暗くなるのを、まぶた越しに感じながら、やがて眠りに落ちた。
ひどい死臭と、鍛冶の音で目が覚めた。袖を嗅ぐと、自分が屍骸になってしまったようだった。軒先にある女の死体と、同化してしまったように錯覚した。
どれだけ寝たのか分からない。一日以上、寝ていたのかもしれない。孔明は許都に入ってから、ずっと意識が張り詰めていた。そのせいで睡眠不足だったから、いま疲れが出たのだと思った。
すでに往来には、人があった。孔明は、せめてもの宿賃だと心に決めて、軒先に穴を掘り始めた。家にはろくな道具がなかった。護身用に短刀を持っていたから、それを使って土を削った。
「小僧、何をしているか。道ばたに死体を埋めるな」
通行人が次々と、目尻を吊り上げた。
この家には庭がない。孔明は、小さな荷車を借りてきた。用途を聞かれたから、矛にする鉄を搬送するのだと偽った。死体を運ぶなどと言っては、気味悪がって誰も貸してくれない。
死体を荷車に載せようとした。脇に手を回して引きずったが、ずるりと皮膚と脂肪が剥けて、骨が露出した。孔明は口を歪めた。

死体を荷車に載せ終わると、孔明は城外に出た。
荷車は、がらがらと音を立てた。車輪が石を跳ねるたびに、腐敗した死体がぴくんぴくんと起きた。
城壁からだいぶ離れたところで、孔明は再び穴を掘った。土が軟らかかったので、爪で掘った。途中から土が固くなって、爪の中に土が入った。爪を引き剥がされるような不快さを感じたので、孔明は短刀を懐から取り出すと、大地を削った。
土の粒だけを見つめ、黙々と掘った。孔明は、故郷の葬送歌を吟じた。孔明は、暗く切ない歌が好きである。
哀しい調べは、孔明を退廃的な気分にした。衝動的に、短刀を己の首に構えて、天を仰いで、ああ、と言った。横目で、肉が変色して削げ落ちた、女の容貌を見た。
死体と志だけだった青年が、志を失った。
孔明は、これから生きる理由を考えたが、特になかった。いま死ぬ理由を考えたが、特になかった。生と死と、どちらにも理由がないのなら、どちらでも良いではないか。それならば、乱世になど生きていないほうが、幾分か慰められるように孔明には思えた。
死ぬ理由があるから、死ぬのではない。死ぬ理由もないけれど、死んでおくのだ。人間とは、そういうふうに考える生き物なのか。さんざん生きてきて、最後に知ることはそんなことかと、孔明は呆れた。ひどい徒労ではないか。
まだ20歳の若者だろうにと他者は言うかもしれないが、今の孔明には、20年すら長すぎた時間に思えた。
孔明は、短刀をぐいっと進めた。刃先が皮膚を破り、ひと筋だけ血が流れるのを感じた。
「あなたは馬鹿だな」
背後で低い声がした。首に剣を突き立てようとした孔明を、笑い捨てた人がいた。

孔明は、虚を突かれて、剣を落とした。剣は土ぼこりをあげて、跳ねた。孔明は驚いて、土の上に手を付いた。
振り返えると男がいた。白を基調とした着物に、うすい紫の帯。背丈は孔明と同じほどに高く、幼さを残した顔つきも似ている。ただ、口角にいやらしい嘲りが貼り付いていた。そこが、孔明とは似ていない。
孔明は、同情がほしいから剣を首に当てていたのではない。1人でいても、同じことをした自信があった。
「あなたがしていたのは、何の遊びですか」
と、目の前にいる青年は問いかけた。
「関係ないでしょう」
孔明は、細い眉を吊り上げて言い、立ち上がった。首の血を、手の甲で拭った。手は土で汚れていたから、首は泥が塗られた。
「諸葛孔明さん、命は大切にしましょう。心配しなくても、いずれ死にます。また、死にたいときは、大抵いつでも死ねますよ。それどころか、まだ死にたくなくとも、死んでしまうものです」
冷笑した青年は、あごを上げて孔明を見下し、またすぐにあごを引いて上目遣いになり、孔明の顔色が変わるのを観察した。
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このコンテンツの目次
>孔明の転職活動
第01章 許都の冷笑
第02章 汝南の剣客
第03章 新野の孤雲
第04章 隆中の懐思
第05章 樊城の新鋭
第06章 襄陽の城壁
第07章 長坂の財主
第08章 柴桑の謀反