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孔明の転職活動 第04章 隆中の懐思 /1節
孔明は、徐庶と州平とともに、馬を駆けた。とにかく見晴らしがいいところまで、行くことが目的だ。新野で劉備と面会して以来、3人はすっかり打ち解けた。川があったので、馬を繋いで木陰に入った。
「劉備は、いい。仕えたい」
そう言ったのは、徐庶だ。もともと知人のために、殺人を犯した人物である。いくら知識を叩き込んでも、性根は変わらない。男気に溢れる徐庶には、親分肌で、息子のような年齢の人物の言説も尊重できる劉備が、とても魅力的に映ったらしい。
「孔明よ、お前は劉備に進言をしたんだ。お前も来てくれるよな」
徐庶が、馬を撫でながら問うた。孔明は、
「すまないが、私はやはり、曹操がいい」
と答えた。徐庶は、そうか、とだけ言った。
「州平はどう思ったのだ」
「私も、劉備には仕えない」
徐庶はまた、そうか、と言って落胆した。
「しかし――」
州平は、言葉を繋いだ。
「私が見定めたところ、孔明には劉備がいいと思う」
孔明は、なぜだ、と気色ばんだ。
「孔明は宰相になりたいのだろう。劉備の下ならば、宰相のような役割ができる。私は新野に行って、確信できた」
「私は、許都で宰相になるのだ。曹操の次に、皇帝を補佐するのだ。年齢が足りなければ、曹操の次の次か、その次あたりに宰相になる」
孔明は言い張った。
州平は、落ち着いた声で、孔明に語りかけた。
「友として、きついことを言うが、我慢して聞いてほしい。孔明は、管仲や楽毅になるのが目標だろう。だが、なれないと思う。管仲も楽毅も、人の心の機微を読むのが、非常に巧みだった。人格者だった」
孔明は、州平を直視して聞いている。
「万人が認めるところであるが、孔明は頭が良い。だが、他人に死力を尽させるには、智謀だけでは不足がある。管仲は、斉ノ桓公を諸侯の盟主として祭り上げた。楽毅は、燕の将軍として、5ヶ国の連合からなる討斉の軍を指揮した。管仲と楽毅、どちらも真骨頂は、人の協力を取り付けたところにある」
孔明にとって、管仲・楽毅の偉業は、よく知っている話だ。孔明もまた、宰相の条件とは、立場の異なる他者をいかに多く繋げるかだと思っていた。だが、己には宰相の適性がないというのは初耳だった。
孔明は、長年の想いを否定されたので、言葉が出ない。目の下が、ひくひくと動いた。州平の言でなければ、即座に怒鳴りつけた後に、管仲・楽毅について百万言の解説を加え、論破してやるところである。

孔明が窮した顔をすると、州平は風向きを修正した。
「だが孔明は、宰相になれる。例えば、晏嬰はどうだろう」
無論、孔明は晏嬰を知っている。晏嬰は、管仲の数代後に出た、斉の宰相である。 州平は、説明を加えた。
「晏嬰は、持論を曲げない人だった。だから、世渡りは決してうまくなかった。孔明は、晏嬰に似ていると思う」
孔明は頷かない。
「曹操は人材収集に熱心だ。曹操の下には、綺羅星の百官がいる。そして、陰謀を渦巻かせ、出世競争をしている。いくら孔明が能力に優れると言っても、その中で勝ち抜けるだろうか。不器用に、職務だけをやっていては、いけないのだよ」
孔明は眉間にしわを寄せた。
「職務に励んではいけないとは、どういうことか」
「職務をやるなと言っているのではない。職務以外の、例えば人間関係の構築だとかに、十二分に眼を配らねば、大きな組織では生きられない。その視点が、君には落ちているのではないかと言っている。気分を害したなら、謝ろう」
孔明は、黙った。確かに孔明は、世俗的な付き合いを重視しない。もともと社交が不得手だったから軽視するようになったのか、軽視しているうちに不得手になったのか、今では分からない。ただ、人と群れるのは嫌いだ。職務遂行上、無駄だと思っている。
州平は補った。
「晏嬰が輔弼したのは、斉ノ景公だ。景公のとき、顕臣はあらかた潰し合った後で、朝廷内は空家に似ていた。それに加え、景公の頭の中もまた、空家だった。晏嬰は、その空家に上がりこんで、1人で力を発揮した。同居人がいないことが、晏嬰が活躍する必要条件だ。同居人がいれば決まって、晏嬰はいさかいを起こし、何度も下野した」
晏嬰とは、実際にその通りの人物だから、孔明に反論はない。だが、子供のような背丈しかなかったと言われる晏嬰に、長身の自分が擬されているのが、心に溶けなかった。やはり自分は、管仲や楽毅のような、陽性の宰相になりたいと思った。
州平は、孔明のために少し間を置いてから、言った。
「劉備の幕営は、どうだろう。関羽・張飛・趙雲のような武将こそ揃っているが、ろくな文官がいない。劉備自身にも、ろくな戦略眼はないが、聞く耳は持っている人物と見た。孔明にとって、住みやすい空家だと思うが、どうだろうか」
この言葉には、徐庶がいち早く同意を示した。孔明は、頭を抱えて、今日は帰らないかと提案した。

徐庶が、ついに劉備に仕官した。
これまで徐庶は、暇さえあれば遊びに来て、日暮れも夜明けも無視をして、語り合ったものだった。だが徐庶は、ぱったり来なくなった。
孔明は、隆中の家の周囲を耕して、畑を作っていた。孔明は学問にうつつを抜かしていたから、主に弟の諸葛均が世話をしたのだが、ここ数年で土の質が良くなった。大きな野菜が育つ。目の前から徐庶が消えてから、孔明は積極的に畑に出るようになった。
孔明は、性格に暗さがあり、精神に儚さがあるから、葬送歌が好きだ。耕しながら、同じところを何度も口ずさんだ。孔明の故郷に伝承される「梁父吟」という歌が、最近はしつこく口にまとわり付く。
「梁父吟」のうち1つは、孔明の新たな目標として、州平が提案した晏嬰が題材となっている。歌っていると、州平の辛辣な助言が、頭をぐるぐると回った。
歌詞は、こんな具合である。
「斉の城門を出ると、3つの墳墓があるでしょう。これは誰の墓ですか。公孫接と田開彊と古冶子です。彼らの力は山を排し、彼らの文は地を断つほどでした。1つ讒言がありまして、2つの桃のために3人は死にました。誰に、こんなはかりごとが出来るでしょう。斉の宰相、晏子です」
晏嬰の謀略を讃えた歌だ。
2つの桃という小道具だけで、どうして国政を揺るがすほどの有力者を、3人も排除できるのか。そのこころは、3人を呼び寄せて、「功があると思う者は、桃を取れ」と言ったことにある。全員には桃が行き渡らないから、争わざるを得ない。桃を得た2人は「私は功が薄いのに、傲慢だった」と恥じて自害し、残りの1人は「2人を辱しめて殺してしまった」と、やはり恥じて自害した。
――晏嬰は、陰性の宰相だ。
孔明が慕ってきた管仲は、親友の好意のおかげで、一躍世に出た。名君に信任されて、多くの美談を残した。楽毅は、祖国が滅ぶ危機にあって、果敢に戦闘や外交に臨んだ。どちらも華がある。
一方で晏嬰は、短躯で猿みたいな容貌で、誰に対しても直言して憚らず、毛嫌いされた。身体能力に恵まれず、貧相で弱々しいから、甘くて柔らかい桃で戦った。晏嬰が人と心を温めた逸話など、ない。
「私は、せいぜい晏嬰か」
孔明は、土に自分の頭を埋めてしまいたい気持ちだった。いや、晏嬰だって充分に立派な人物である。だが、孔明は悔しい。
馬の音がした。徐庶だ。
「孔明、急ぎの報せだ。あと数刻もしたら、劉備がこの隆中にやって来る。関羽と張飛も一緒だ。劉備に仕える気がないなら、どこかに出かけた方がいい」
世に言う、三顧の礼の始まりである。
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このコンテンツの目次
>孔明の転職活動
第01章 許都の冷笑
第02章 汝南の剣客
第03章 新野の孤雲
第04章 隆中の懐思
第05章 樊城の新鋭
第06章 襄陽の城壁
第07章 長坂の財主
第08章 柴桑の謀反