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孔明の転職活動 第05章 樊城の新鋭 /1節
3回目に劉備が来たのは、孔明が春眠を楽しんでいるときだった。建安12年が明けて、孔明は27歳だ。
目を覚ますと、寝台のすぐ前に劉備が座っていた。
「おはよう、臥龍。また来ちまった」
劉備が、相変わらず怪物みたいな風体で、寝覚めの孔明を覗き込んだ。諸葛均は横で小さくなっていて、孔明に申し訳なさそうな顔をした。きっと劉備が室内で待たせろと言って聞かず、それを制しかねたのだろう。仕方あるまい。
劉備は、ますます顔を近づけて言った。
「臥龍殿、頼む。このとおりだ。劉備に策を授けてくれないか」
はじめて劉備が、直截的な頼み方をした。
その理由を、孔明は知っている。劉備にはもう、時間がないのだ。
曹操は、袁紹の遺子と烏桓を北伐し、勝ちに勝っている。もう最終仕上げの段階だ。北が済めば、南だ。すなわち、ここ荊州が曹操に攻められる。逃げることだけで首を繋いできた劉備だが、次に負ければ、もう逃げ場がない。天下が曹操一色になるからだ。
「孔明殿、俺に智恵を与えてくれ」
孔明は立ち上がり、先日しつらえた羽扇を手に取った。羽扇を胸の前に構え、おもむろに前に差し出して、劉備に向けた。
「分かりました。三度にわたる礼尽くし、心に染み入るものがありました。不肖・諸葛亮は、劉備様のために、この茅屋を捨てましょう。私を臣として加え、天下をお取りなさい」
劉備の顔が輝いた。
「孔明殿に従えば、曹操を食い止められるのか」
「食い止めるなどと、けちな了見では困ります。天下を取ると申しました。曹操を逆転してやるのです」
「信じられない」
「信じられないことをするのが、軍師です」
孔明は微笑んだ。あれだけ態度を左右した孔明が、なぜ劉備に仕えることを、二つ返事で快諾したか。それは孔明に、誰にも言えない巨きな謀略があるからである。孔明は腹帯を固く縛り、劉備に本心を悟られないように羽扇で顔を半分隠して、会話を続けた。
「天下の情勢を確認しましょう。黄河流域である中華の北半分は、曹操が取りました。長江流域である南半分は、いま縦に3分割されています。まず東端の揚州に孫権。中央の荊州に劉表様。西端の益州に劉璋」
「ああ、そうだ」
「この3州は、曹操が南下したら、いずれも一撃で降伏するでしょう。単独では勝てないからです」
「分かったぞ。この3州を同盟させるのか」
「2つの理由で、それは却下です。まず1つ、これら3州は仲が悪い。荊州と益州は、ともに長官が劉氏ですが、格式を競って悪感情を持ってます。また荊州は、揚州の孫権の父を殺した過去があります。親の仇というのは、まことに性質が悪い」
「そうだろうな。揚州は、荊州にたびたび攻め込んでいる」
「はい。まだ同盟の可能性があるのは、益州と揚州です。離れているがゆえに、これまで利害が生ぜず、関係は中立です。益州と揚州が、東西から荊州を挟んで締め上げるという話を、作れなくもない。だがそれは、天下にこの3州しかなかった場合の方策です。北に強大な曹操がいます。遠交近攻など許してくれない。崩しにくる」
「ほお。それで、却下の2つ目の理由は」
劉備は、よい聞き手である。孔明の話は長いのだが、きちんと理解して付いてくる。孔明は、それに満足した。
「簡単なことです。南の3州がどんな外交を築こうが、劉備様とは関係ない話だからです。せいぜい今のように、荊州の劉表様の尖兵として使われ、危険な戦場を奔らされるだけです」
「ううむ」
劉備は唸った。孔明は正しい。3州が、見せ掛けの協調と対立をくり返し、曹操を翻弄したとて、劉備には居場所がない。劉備は君主として天下を取りたいのであって、縦横家を志望していない。
「では俺は、どうするんだ」
「手始めに、荊州を取りなさい。荊州は、南の3州の中心です。いま3州の同盟が絶望的なのは、ただ劉表様のせいです。これに劉備様が代わり、揚州とも益州ともうまくやるのです。1州を取るだけで、3州の反曹操連合が成ります」
「俺は劉表殿の世話んなった。劉表様には、2人の男子がおられる。同姓とは言え、他人の俺が横取りしては、不義ではないか」
「不義ではありません。劉備様は、乱世に惑わされています。いつから州の長官が、世襲制になったのですか。血が貴い王公や皇帝は、世襲されるべきです。だが刺史や牧は、その限りにありません。法が認めた人が、州を治めるべきです。今は法が衰退していますから、劉備様が立って、法を作ればいい」
「法だと?」
「そう、法です。国を治めるには、法が必要です。私が作ります。劉備様はご心配をなさらずに、いつもどおり構えていれば結構」
「腹に落ちねえが、次を聞こう。荊州を取った俺は、どうするんだ」
「揚州の孫権と結びます。揚州の府は、曹操に靡く人が主流ですが、君主の孫権は、家柄の悪い単なる武人です。おいそれと降伏しない気概を見せるでしょう。同盟相手としては、頼りになる。馬鹿と武人は使いようです」
「じゃあ西の益州は攻めるのか」
「いいえ。益州の劉璋とも同盟します。曹操と対するためには、味方は多いほうがいい。なだめすかし、安心させれば、従うような器です。ですが、ある日突然に恫喝して、降伏させます」
「それも不義だ」
「違います。劉璋が益州牧である理由は、父が益州牧だったからです。世襲は、法に照らせば、あり得ない」
「違法なら、何でも覆しちまっていいのか」
「はい。幸い益州と揚州は離れています。野心をたくましくした孫権が益州を取ろうと思っても、飛び地となってしまいますから、現実的ではありません。益州を取れるのは、荊州の劉備様のみです」
「そんな簡単に行くかな」
「私は戦略を述べているに過ぎません。日常的な押し引きは、個別に考えればいいのです」
「分かった」
劉備は、孔明を疑わない。孔明は、州平が引き合いに出した空家の比喩を思った。こんなに住み心地の良い空家は、他にない。
「いいですか、劉備様が荊州と益州を取れば、天下は三分されます。北の曹操、南西の劉備様、南東の孫権です」
「天下三分か――」
中華の鼎の1足を、劉備に握らせる。ここまでやれれば、自分は晏嬰と比肩できると、孔明は思っている。英雄性には乏しいが、舌のよく回った斉の宰相である。国を富ませ、天下に小康をもたらした。桃で人士を殺す伝承を、梁父吟に歌われた男である。
「荊州と益州を取ったら、紅くなった天下という鉄が冷めない内に、2州から北伐を開始します。揚州の孫権にも、協力させましょう。3方面からの一斉攻撃です。これにて、曹操の心胆を寒からしめる」
三分という情勢を踏み台にして、天下を決することが出来れば、孔明は管仲・楽毅になる道へと進めるのだ。麻のように乱れた諸州を縁り合わせ、天下を美しい1枚の布にするのだ。
「どうですか、曹操を圧倒できたでしょう」
孔明は、口元を羽扇で隠した。孔明は堪えられず、にやりとした。腿をつねっても、唇をきつく噛んでも、抑えられない笑みだった。この表情だけは、劉備に見られてはいけない。

劉備は天下三分ノ計を聞き、畏れ入った、と感歎した。
「孔明を歓迎する宴を開こう。仕度したら、樊城に来てくれ」
このとき劉備の居城は、新野から、少し南の樊城に移っている。曹操との前線から遠ざけられたと言えば、劉表の心遣いとも取れそうだが、そうではない。劉表の下にいる在地勢力たちが、劉備を警戒して、手元に近づけたのだろう。だが、飼い殺しになる劉備ではなかった。
「樊城は、劉表様が州府を置いている襄陽と、目と鼻の先です。余計な小細工のおかげで、荊州を取りやすくなりました」
孔明が言うと、劉備は厭な顔をした。
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このコンテンツの目次
>孔明の転職活動
第01章 許都の冷笑
第02章 汝南の剣客
第03章 新野の孤雲
第04章 隆中の懐思
第05章 樊城の新鋭
第06章 襄陽の城壁
第07章 長坂の財主
第08章 柴桑の謀反