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孔明の転職活動 第06章 襄陽の城壁/2節
樊城から襄陽へは、漢水を渡ってすぐである。
劉備はありったけの兵を集めて、進発した。すると、後ろからぞろぞろと、樊城の民が従ってきた。
「あれは何だろうか」
孔明は徐庶に聞いた。2人は劉備の近くの隊列に位置を占め、行く先々で作戦を立案することを期待されている。
「樊城の民にも、曹操が南下してくることが伝わったのだろう」
「ああ、そういうことか」
曹操はかつて、徐州で民を虐殺したことがある。狗も鶏も殺して、泗水が死体で埋め尽くされ、流れが止まった。徐州は孔明の故郷で、逃げ惑う民の中に13歳の孔明もいた。彼が死体に親しまざるを得なかったのは、この原体験による。
こんな経験をしたから、孔明は曹操を憎んでもよさそうだが、彼の心はそういう作りにはなっていない。英雄には、血が付き物である。血の意味は、英雄がその後どのような覇業を打ち立てるかによって決まる。曹操が宰相になって世を正せば、彼が流させた血は尊いものになる。孔明の心は屈折していたから、目の前の無惨を、そのまま無惨と捉えなかった。冷めている、とも言える。
樊城の民は、曹操に皆殺しにされることを恐れて、逃げてきている。孔明は、蝗のように群れる民を振り返った。
前に新野に行ったとき、精気のない人が街で腐っていた。僥倖が外から降ってくるのを、待っているような人たちだ。劉備が新野から樊城に移ったとき、彼らは付いてきたのだろう。そして樊城でさらに人数を増し、また劉備とともに移住している。
いま劉備に数万の民が付いてきたのは、決して特異なことではない。民たちは、自分が何を望んでいるか思い描くことはなく、しかし何かを望んで、劉備に従ったのだろう。それを漠然と繰り返しているだけだ。
「民は、どうするつもりだろうか」
「さしずめ、襄陽に籠もるつもりだろう。樊城は、劉備殿がろくに補修をさせていなかったから、防禦できない。襄陽は、劉表殿が心血を注いで固めたから、いくらか強い。それ以上は、何も思っちゃいないよ」
「彼らには、いいことが起こるのだろうか」
「知らん。だが劉備殿は、俺たちという軍師を得た。これは、ひとつの幸運だ。劉備殿にとっての幸運は、こいつら追従者たちにとっても、幸運なのかも知れない」
「そんなものかな」
「だから、知らんと言っているだろう」
徐庶は馬を早めた。孔明は、徐庶の背中を見ていた。徐庶は強引に運命を開いてきた性格だから、こういう民のことが嫌いなのだろうと、孔明は思った。

劉備たちは、襄陽に到った。しかし城門は固く閉ざされて、開かない。そんなはずはないと思い、名乗り直したが、やはり開かない。
城壁の上に蔡氏が立った。
「劉表様は、先ほどお亡くなりになられた。跡目は、ご次男の劉琮様がお継ぎになられた。劉琮様のご命令により、奸賊・劉備を城内に入れること、まかりならん」
これには、嘘がある。劉表は、少し前に死んでいた。だが蔡氏らが、それを伏せていた。少しでも発表を先延ばしにした方が、蔡氏が足場を固める時間を稼げる。
蔡氏のやり口とは、
「実は、劉表様はすでに亡くなっております。しかし他の豪族は、それを知りません。先手を打ち、次代に備えることが得策です。私はあなたを見込んで、極秘の話を打ち明けておるのです」
と、こんなことを言って、自派をますます拡大したのだ。当然、最後まで味方にする予定のない劉備には、真実が告げられなかった。いま軍と軍の衝突を控えて、ついに明かしたのである。
――徐庶の上案は、成らず。
孔明は、隣で騎乗している徐庶を見れなかった。
蔡氏は口先を尖らせて、城壁の上でさえずった。
「私たち荊州は、曹丞相に降伏することにした」
曹丞相とは、曹操のことである。曹操の大軍に圧迫されて、劉琮は戦うことなく降ってしまった。劉備の兵たちは、顔色を欠落させて腰を抜かした。これでは挟撃を受けてしまう。
「あんまりじゃねえか」
張飛が目を剥いて、城門を殴りつけた。厚い鉄板がこぶしの形に窪んだが、さすがに城門を破ることは出来ない。関羽は青龍刀を地面に突き立てて、蔡氏のやり方を責めた。だが、檄しすぎて、途中から何を言っているのか聞き取れなくなった。関羽の顔は真っ赤である。
劉備は、
「劉表殿の墓へ参りたい」
と城門に向かって叫んだ。途端に、一矢が劉備の耳を霞めた。それが、襄陽からの回答であった。
劉備の本隊が襄陽の前で足止を食らったので、後続の民が滞留し始めた。襄陽を遠巻きに囲むように、数万の民が停止した。蔡氏側はそれを見て、ますます城門の守りを固くした。
「世話んなった人に礼を言えねえとは、俺はどうしたらいいんだ」
劉備は首をうなだれた。彼はいつもの調子を保っているが、この台詞は徐庶と孔明への問いでもある。
徐庶は、進み出た。
「中案すなわち、襄陽を攻め取りましょう。曹操は今にも追いつこうとしています。迷っている暇はありません」
劉備は徐庶を見据えた。徐庶は続ける。
「城内には、ろくに心胆の錬られていない腰抜けしかおりません。また襄陽には、内応の約束をしている人もおります。我らが攻めれば、門を開いてくれるでしょう。彼らは立志の機会を待っております」
ある文官が、徐庶に疑問した。
「いま襄陽を取ったとしても、曹操の攻撃から守ることが出来ますか。人心の安定には時間がかかるだろうし、籠城の準備がどれほど整っているのかも分からない」
「襄陽の人は、劉備殿に心を寄せているので、動揺は少ないでしょう。曹操に降ることを決めたのは、蔡氏ら一部の連中で、大多数はこの決定を善しとしない。なぜなら荊州は、曹操の戦火から逃れた人たちが、栄えさせた土地だからです。また、城内の蓄えは未知数だが、ここで曹操に襄陽を与えてしまうのは最悪です」
劉備は、ううむ、と漏らしただけだ。重大な決定であるだけに、いくら彼でも決断しかねるのだろう。もう50歳に手が届くのだから、ここで機会を逃せば、生涯浮かび上がることができない。諸国を転々としてきた劉備が、結果として7年も荊州にいた。7年という時間は、地盤を築くには充分だったが、同時に劉備に年を取らせた。荊州での扶植を飛躍に結び付けられなければ、もう後がない。
「それでも俺は、襄陽に弓を引きたくない」
劉備が搾り出すように言った。
襄陽は、劉備が7年の恩を受けた、劉表が築いた荊州の都である。劉備がここを攻めれば、襄陽は傷つく。曹操からの包囲戦を守れば、襄陽は荒廃してしまうだろう。劉備は、それを忍びないと思った。劉表の遺児と戦うことも、気が進まない。劉備は、そういう人だった。
徐庶が、大声を放って泣いた。それを見て、劉備も泣いた。
「すまねえな、徐庶。だが、俺には出来ん」
徐庶は口から血を噴き出した。自らの口腔を、噛み砕いてしまったのだろう。徐庶は、血まみれの唾を飛ばして、劉備に言った。
「江陵まで駆けられますか。あそこは劉表様が作った、第二の都です。あそこには、兵糧も武器も揃っています。襄陽は文の城で、江陵は武の城です。劉表様は、荊州の有事に備えて、南方に拠点を設けました。隠された潜在的な拠点ですから、守備兵はほとんどおりません」
徐庶は、血にむせながら、それでも冷静に言った。徐庶は襄陽を取れなかったことが無念であるが、無念に執着する男ではない。徐庶はいつも、決断が急である。すぐに次善の策を導いた。
「徐庶、感謝する。江陵へ行こう」
劉備は散らばった自軍に対して、伝令を飛ばした。
徐庶は詳細を組み立て始めた。
「襄陽から江陵へは、騎馬を飛ばせば2日ほどの距離です。騎馬隊を先行して向かわせ、江陵を抑えましょう。続いて歩兵を走らせ、5日後には劉備軍の要塞とします」
「よし、それをやろう」
劉備は徐庶の作戦を受け容れた。襄陽を諦めた劉備軍は、江陵という新しい目的地を見つけて、九死に一生を得たのである。
――これはまずいことになった。
徐庶が編み出した新しい戦術に、反発を抱いた人が、劉備軍に1人だけいた。諸葛孔明、その人である。
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このコンテンツの目次
>孔明の転職活動
第01章 許都の冷笑
第02章 汝南の剣客
第03章 新野の孤雲
第04章 隆中の懐思
第05章 樊城の新鋭
第06章 襄陽の城壁
第07章 長坂の財主
第08章 柴桑の謀反