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孔明の転職活動 第07章 長坂の財主/1節
劉備は、色が変わるまで拳を握り締めて、
「曹操軍が、民を殺し始めました」
という報告を聞いた。孔明が馬を寄せてきた。
「民を散らせなさい」
民が劉備軍の背に付くことをやめ、各自が思う方向に散らばれば、曹操軍は矛先が定まらない。民を目晦ましにして、劉備は逃げおおせることができる。劉備は、そういう理由で孔明が散れと進言したと思った。
「それは出来んぞ。俺に付いてきた奴らだ」
「天と地は、1つに繋がっております。いっとき離れ離れになっても、人は、再び集うことが出来ます。このまま江陵を全員が目指せば、格好の標的とされるでしょう」
「だが俺は、民を守る義務がある」
民を従えることを言い出したのは、孔明だ。だが孔明は、劉備に民を捨てろという。明らかな矛盾であるが、劉備はその論理の破綻を突くような人ではない。劉備は何を悩んだらいいか分からないが、ただ民が殺されることが許せなかった。おのれ曹操、と呪った。
「劉備様は、いずれ荊州をお治めになるでしょう。そのとき、今日の民に恩恵を施してやればいいのです」
一応の道理は通るが、孔明の発言は取って付けたものだ。
孔明は、劉備がその場の情にほだされて動く人だと、心得ていた。劉備は荊州に流れ着くまで、劉備は脈絡のない戦歴を歩んできた。彼は場当たり的な人だから、そんな半生を歩んだのだし、知能に秀でた人ならば、わざと劉備に舵取りを誤らせることが可能だ。
「臥龍、分かった。民に解散を告げ、めいめいに逃げさせろ」
孔明は舌を軽く噛んだ。笑ってしまいそうだったからだ。
(曹操よ、しっかりと見ていてくれ。これが今の劉備軍の弱さだ)
散開命令が出た。
民が道を逸れて、山林に広がり始めた。劉備とその側近たちは、馬腹を引き締めて、速度を上げた。民の中に散らばっていた劉備軍の兵が、次第に固まって隊列を形成した。
孔明は、劉備にぴたりと馬を付けて駆けている。
「劉備様、関羽将軍に命じて、舟で漢水を下らせなさい。徐庶が示した江陵を、関羽将軍にいち早く確保してもらいます。水路なら、速い」
「ああ、分かった」
劉備は伝令兵を使って、関羽の軍に分離を命じた。関羽は手勢だけを引き連れると、劉備の支軍として、舟を調達した。荊州の南部は、水運が発達しているのだ。
孔明が関羽に江陵征圧を任せたのは、関羽を遠ざけるためである。関羽は『春秋』を読んで歴史を学び、知識人のような口を聞く。生半可に理屈をこね回す性格だから、孔明の矛盾した提案に気づいて、わざわざ責めに来るかも知れない。
関羽は自尊心が強く、人に誤りを正されることを好まない。真に独学しかしていないから、歴史への理解は浅薄だ。ゆえに孔明は、対等の立場で議論すれば、関羽をたやすく言いくるめる自信がある。
だが問題は、討論の内容にはない。関羽が、劉備の前で孔明を批判することに、支障があるのだ。劉備は関羽を義弟として信頼し、どこかで尊敬しているような素振りがある。孔明の緻密な論理より、関羽の荒削りな呼吸を信じる人だ。
――諸葛亮は、策を誤ったぞ。死地にあって、前言を翻したぞ。
などと糾弾されては、面倒なことになる。
幸い、関羽は劉備の下で第一の勇将だから、江陵を先回りして取るという仕事は、適任だった。劉備軍の命脈を左右する使命だから、きっと満足そうに髯を震わせて、水軍を指揮しているだろう。

散れと命じたが、すぐに散らないのが、民の性質である。
逃げ遅れた民の、阿鼻叫喚が伝わってきた。振り向いて空を仰ぐと、黒い鳥の群れが、太陽を遮っていた。あの下の荒野では、劉備に、いや天に向けられた怨嗟の声が、響き渡っているはずだ。血が飛び、肉が爆ぜた民が、断末魔を上げている。
視界を土煙が遮っているが、民が馬上からの長槍で突かれる光景が、孔明には確かに見える。
曹操が使っているのは、烏桓の騎馬隊だ。彼らは出自が北方の異民族だから、道徳に縛られずに、曹操の命令があれば敵を殺すのだろう。彼らの行動原理は志の達成ではなく、戦勝の恩賞を得ることだ。
(曹操が浴びた血は、時代を築く)
孔明はかつて、徐州にいた。曹操が殺して回る民の中に含まれていた。だが、平和を安易に希求する大人には成長しなかった。乱世を治めるとはどういうことか、宰相とはどうあるべきか、という自問ばかりを繰り返した。結果として、惨劇の再来を誘発した。
人は辛い体験をすると、同じことを他人に味あわせようとする。健全な心の働きとは思えないが、そういう傾向が生じやすい。孔明は、劉備に付き従ってきた民に、判決を突きつけたのだ。お前たちは僥倖を待ち焦がれてきただろうが、その態度は不可だ。曹操に目を覚ましてもらえ。死ぬほど悩みぬいて、存分に苦しめ、と。
許都城外で一瞬でも自害を試みた男は、民に過酷を強いた。

劉備軍は民を捨てて、通常の行軍速度に戻したから、曹操軍に追いつかれない。夜営を張れるほどの余裕を取り戻した。行き先の江陵は、関羽が日に夜をついで確保してくれるから、心配ない。
対する曹操軍は、つかみどころのない民に脚を取られて、まるで進軍が捗らないはずだ。雑草を薙ぐように進めば、一気に劉備を捕らえられたかも知れないが、曹操は壮年の為政者である。政治的な影響を考慮に入れ、意思のない民の塊と、駆け引きをやっているのだろう。曹操の細かな息遣いまでは、孔明には伝わらないが。
劉備軍の夜営を、単騎で訪れた人があった。
「私は諸葛瑾の友人です」
と、その男は言った。諸葛という姓で、劉備の周囲の人は孔明との関係に察しをつけた。
「諸葛瑾は、私の兄ですが」
孔明は訝りながら、客人の前に出た。兄と別れたのは、8年前だ。兄は江東の新しい君主・孫権のところに行った。当時から孔明は曹操に仕えるという目標があったから、兄に従って揚州に落ちるようなことはしなかった。兄とは、全くの交信を持っていないから、いきなり兄の名が出て驚いている。
(この人を利用すれば、孫権を動かせるかも知れない)
孔明は、自身の戦略成就を期待した。
「あなたは誰ですか」
「魯粛です。あざな子敬。孫権将軍の遣いです」
孔明が知らない名だった。
劉備は魯粛という客をきょとんと見ていて、何も言わない。江陵への道を急いでいるから、面倒ごとを持ち込まれるのは御免だという顔だ。孫権が治めているのは揚州で、ここから東へと遠い。劉備には、なぜ魯粛という珍客が自分のところに来たのか、わけが分からないようだ。
「孔明、存分にもてなせ」
厄介払いでもするように、劉備は、魯粛を孔明に押し付けた。行軍に疲れている劉備とその側近は、足早に引っ込んだ。昼間は奔り、夜は酒を少し飲んだら、可能なだけ長く寝る。このところの生活習慣だ。
幕営の中は無人になった。声の届かないところに衛兵は立っているが、孔明と魯粛は実のところ2人きりだ。魯粛が口を開いた。
「私は、劉表殿が亡くなられたと聞いて、弔問に来ました」
魯粛の双眸が、ぎらりと鈍く光った。
「それは殊勝なことです」
孔明は、皮肉な口調で応じた。どこに、こんなあざとい風貌の弔使がいるだろうか。鉢の開いた角ばった頭をしていて、筋骨は隆々である。剣を使わせたら、徐庶よりも強いかも知れない。
魯粛はおおかた、劉表が死んだ後の荊州に躍りこんで、君主が交代する間隙を突き、襄陽を陥落させてしまう心積もりだったのだろう。もし成功すれば、揚州の孫権は、最少の手数で荊州を得ることができる。揚州と荊州。大陸の南は、3分の2を孫権が占めることになる。
ここには連れていないが、魯粛は千くらいの兵は率いてきたに違いない。千くらいなら、手足のように操れる男だろう。
「こんなにも早く劉表様が亡くなられて、さぞかしご無念でしたね」
孔明が鋭い目つきで言った。
「はい、とても残念です」
魯粛は、野望をたっぷり込めて答えた。孔明は、
――あなたが予想したより早く劉表が死んだので、すでに次子・劉琮が荊州牧を名乗ってしまった。せっかくの襄陽を奪う作戦が間に合わず、さぞや無念だったでしょう、
と問いかけたのだ。魯粛は劉表を悼んでなどいない。その心のあり方を隠す気は、さらさらないらしい。だが孔明の智力を測るためか、台詞だけは弔問の使者の姿勢を崩さなかった。
魯粛は言った。
「劉表の墓は、曹操の勢力圏に入ってしまったので、もう参ることが出来ません。墓前に奉げようと思った財貨が、余ってしまった。いい使い道を知りませんか」
孔明はとっさには意味が飲めず、首をかしげた。
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このコンテンツの目次
>孔明の転職活動
第01章 許都の冷笑
第02章 汝南の剣客
第03章 新野の孤雲
第04章 隆中の懐思
第05章 樊城の新鋭
第06章 襄陽の城壁
第07章 長坂の財主
第08章 柴桑の謀反