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『晋書』列38、呉の人たち 4)揚州から司馬睿への脅し
「紀瞻伝」の続きです。

永康初,州又舉寒素,大司馬辟東閣祭酒。其年,除鄢陵公國相,不之官。明年,左降松滋侯相。太安中,棄官歸家,與顧榮等共誅陳敏,語在榮傳。

永康初(300年)、揚州はまた紀瞻を寒素(科目名)に挙げた。大司馬は紀瞻を召して、東閣祭酒とした。その年、鄢陵公國の相に任じられたが、着任しなかった。翌年、松滋侯の相に左降(ランクダウン)された。
〈訳注〉国の場所はどこだろう。揚州?
太安中(303年)、官位を棄てて家に歸り、顧榮らとともに陳敏を誅した。この話は、「顧榮伝」にある。
〈訳注〉当サイトでは翻訳済です。

召拜尚書郎,與榮同赴洛,在途共論《易》太極。榮曰:「太極者,蓋謂混沌之時曚昧未分,日月含其輝,八卦隱其神,天地混其體,聖人藏其身。然後廓然既變,清濁乃陳,二儀著象,陰陽交泰,萬物始萌,六合闓拓。《老子》雲'有物混成,先天地生',誠《易》之太極也。而王氏雲'太極天地',愚謂末當。夫兩儀之謂,以體為稱,則是天地;以氣為名,則名陰陽。今若謂太極為天地,則是天地自生,無生天地者也。《老子》又雲'天地所以能長且久者,以其不自生,故能長久''一生二,二生三,三生萬物',以資始沖氣以為和。原元氣之本,求天地之根,恐宜以此為准也。」

召されて尚書郎を拝し、顧榮とともに洛陽に赴いた。道中で、顧榮と『易経』の太極について論じた。
顧榮は言った。
太極とはきっと、混沌として曚昧で、分化する前の状態を言うのだ。日月はその輝きを内に含み、八卦はその神性を隠し、天地はその実体を混ぜこみ、聖人はその身を藏している。その後、太極に変化が起こり、清濁は陳び、二儀は形象を表し、陰陽は交泰し、萬物が始めて萌え、六合が闓拓するのだ。
『老子』曰く、物が有って混成し、先に天地が生まれるという。これは正に『易』に書いてある太極のことだ。
だが『王氏』は、太極と天地は同じだと言った。もし太極と天地が同じものを指すなら、天地とはその体の側面を呼び、太極とはその気の側面を呼んだことになる。
もし『王氏』の説を採って太極=天地とするなら、「太極が天地を作る」とは「天地が自ら発生する」という意味になり、天地を創造したものは無いことになる。
『老子』は、天地が永続するのは、自発的に生まれたからではないから(創造主が他にいるから)と言っている。『老子』と『易経』によれば、一は二を生み、二は三を生み、三は万物を生むのだ(二すなわち天地は、一すなわち太極から生まれた)。
『老子』と『易経』の言うように天地は被造物なのか、『王氏』が言うように初めに天地ありきなのか、どちらだ
〈訳注〉ぐちゃぐちゃ言ってますが、顧榮が言ったのは単純な二択だ。

瞻曰:「昔皰犧畫八卦,陰陽之理盡矣。文王、仲尼系其遺業,三聖相承,共同一致,稱《易》准天,無複其餘也。夫天清地平,兩儀交泰,四時推移,日月輝其間,自然之數,雖經諸聖,孰知其始。吾子雲'曚昧未分'分,豈其然乎!聖人,人也,安得混沌之初能藏其身於未分之內!老氏先天之言,此蓋虛誕之說,非《易》者之意也。亦謂吾子神通體解,所不應疑。意者直謂太極極盡之稱,言其理極,無複外形;外形既極,而生兩儀。王氏指向可謂近之。古人舉至極以為驗,謂二儀生於此,非複謂有父母。若必有父母,非天地其孰在?」榮遂止。

紀瞻は言った。
「むかし皰犧が八卦を描き、陰陽之理を説明しました。周の文王と、仲尼(孔子)はその仕事を引き継ぎ、三聖が『易経』を成立させました。
しかし、いかに聖人と言えども、人間です。どうして混沌之初(ビッグバンの謎)を知ることができましょうか。聖人が書いた『易経』には、あなたが言った『分化する前の状態』のことも、『老子』にある『太極』のことも書いてありません。
〈訳注〉顧榮が『易経』と『老子』を繋げて読んだことを、粉砕してしまった。これで、顧榮の質問の前提が崩れてしまった(笑)
あなたは『易経』に書いてある『太極』を、『老子』の説に合わせて、精神と実体が感応しあっている状態だと解釈されていますが、誤読です。
『太極』というのは、ただ『とても極まっている』という意味です。はじめに理が極まり、次に外形が極まって、両儀が生じます。 『王氏』の正しい読み方は、いま私が言ったことに近いのでしょう。 『王氏』は、天地に父母があると言っているのではありません。
〈訳注〉『王氏』は「太極天地」と言った。顧榮は「タイキョクは、天地なり」と読んだが、紀瞻は「オオイニ極マレバ、天地たり」と読んだ。顧榮の読んだ天地とは、字義どおりに天と地。紀瞻はこれを、二儀(対立要素の比喩)として読んだ。
もし必ず父母がいるというなら、天地ができる以前に、天地の父母にあたるものはどこに存在したのでしょうか?」
顧榮は黙ってしまった。
〈訳注〉訳文が拙くてすみませんが、紀瞻が言ったのはこうだ。
「顧榮さん、あなたは『易経』『老子』『王氏』の読み方を全て間違えている。前提が死んでいるから、あなたの発問そのものがナンセンスだ。顔を洗って出直して下さい」


至徐州,聞亂日甚,將不行。會刺史裴盾得東海王越書,若榮等顧望,以軍禮發遣,乃與榮及陸玩等各解船棄車牛,一日一夜行三百里,得還揚州。

紀瞻と顧榮が徐州に到ると、戦乱が日ましにひどいと聞いたから、洛陽に行くのをやめようと思った。
このとき徐州刺史の裴盾は、東海王の司馬越から書を受け取っていた。もし顧榮たちが揚州に帰りたいと言うのなら、州軍を発動して連れ戻せと書いてあった。
だから顧榮と陸玩らは、おのおの船を解体して、車牛を棄て、日に夜を接いで、1日に三百里を進んで逃げた。揚州に帰ることができた。

元帝為安東將軍,引為軍諮祭酒,轉鎮東長史。帝親幸瞻宅,與之同乘而歸。以討周馥、華軼功,封都鄉侯。石勒入寇,加揚威將軍、都督京口以南至蕪湖諸軍事,以距勒。勒退,除會稽內史。時有詐作大將軍府符收諸暨令,令已受拘,瞻覺其詐,便破檻出之,訊問使者,果伏詐妄。尋遷丞相軍諮祭酒。論討陳敏功,封臨湘縣侯。西台除侍中,不就。

司馬睿が安東將軍になると、紀瞻を召して軍諮祭酒とした。紀瞻は、鎮東長史に転じた。司馬睿が紀瞻の自宅を訪問したとき、司馬睿と紀瞻は車に同乗して帰った。
〈訳注〉同乗を許されるのは、最大級の親しみの表現です。
紀瞻は周馥を討ったから、その功績によって都鄉侯に封じられた。
石勒が入寇すると、紀瞻は揚威將軍を加えられた。紀瞻は京口の守備軍を都督し、南方は蕪湖までの軍事を司った。石勒を防ぎきった。石勒が撤退すると、紀瞻は會稽內史に任命された。
ときに大將軍府符を偽作した命令書により、紀瞻は諸暨令に身柄を拘束された。だが紀瞻は、偽作であることを見抜き、檻を破って脱出した。使者を遣わして、真相を暴露した。
〈訳注〉誰のどんな陰謀か、東晋に詳しくないので分かりません。
紀瞻は、丞相軍諮祭酒に遷った。 陳敏を討った功績により、臨湘縣侯に封じられた。西台(荊州政府)で侍中に叙任されたが、着任しなかった。

及長安不守,與王導俱入勸進。帝不許。瞻曰:「陛下性與天道,猶複役機神於史籍,觀古人之成敗,今世事舉目可知,不為難見。二帝失禦,宗廟虛廢,神器去晉,於今二載,梓宮未殯,人神失禦。陛下膺錄受圖,特天所授。使六合革面,遐荒來庭,宗廟既建,神主複安,億兆向風,殊俗畢至,若列宿之綰北極,百川之歸巨海,而猶欲守匹夫之謙,非所以闡七廟,隆中興也。但國賊宜誅,當以此屈己謝天下耳。而欲逆天時,違人事,失地利,三者一去,雖複傾匡於將來,豈得救祖宗之危急哉!適時之宜萬端,其可綱維大業者,惟理與當。晉祚屯否,理盡於今。促之則得,可以隆中興之祚;縱之則失,所以資奸寇之權:此所謂理也。陛下身當厄運,纂承帝緒,顧望宗室,誰複與讓!當承大位,此所謂當也。四祖廓開宇宙,大業如此。今五都燔爇,宗廟無主,劉載竊弄神器于西北,陛下方欲高讓于東南,此所謂揖讓而救火也。臣等區區,尚所不許,況大人與天地合德,日月並明,而可以失機後時哉!」帝猶不許,使殿中將軍韓績撤去禦坐。瞻叱績曰:「帝坐上應星宿,敢有動者斬!」帝為之改容。

長安の守りが手薄だから、王導とともに奪回を提案したが、司馬睿は許さなかった。
紀瞻は言った。
「陛下(司馬睿)の性質は、天道とともにあります。古人の成功と失敗を参考にしても、今は討伐軍を起こすべき時期です。 二帝(懐帝と愍帝)が失禦し、司馬氏の宗廟は虚廢し、神器は晉を去りました。いま懐帝と愍帝の葬儀は行なわれておらず、人神は失禦しております。
陛下は圖讖に沿って天命を受けたのですから、晋帝国を中興すべきです。国賊を誅して、(晋が一時的にでも天下を失ったことを)身を屈して天下に謝罪して下さい。
もし天の時に逆らえば、人事を違え、地の利を失います。天地人がひとたび去れば、先々どれだけ頑張っても、祖宗之危急を救うことができましょうか。中興する時は、今をおいてありません。どうしてこのチャンスを失っていいものでしょうか!」
司馬睿はこれを聞いても許さなかった。司馬睿は殿中將軍の韓績に命じて、紀瞻の席を撤去させ、強引に帰らせた。紀瞻は韓績を叱った。
「司馬睿さまは星宿に応じて、皇帝の位にいる。敢えて動かす者がいるなら、斬るぞ!」
司馬睿はこの言葉を聞いて、顔色を変えた。
〈訳注〉紀瞻の言った「動かす」とは、司馬睿を天意に適った皇帝の位から移動させる、という意味だ。すなわち、「司馬睿に長安奪回を思いとどまらせ、皇帝たる資格を失わせる奴は斬るぞ」と言った。直接には韓績を叱っているが、そうではない。司馬睿への脅しだ。「揚州の名士は、中原を諦めた司馬氏を支持しないぜ」と言っている。司馬睿はそれが分かったから、「改容」したんだ。可哀想に。
この時点の紀瞻の発言には、「東晋」という割拠政権に甘んじる妥協案など、全く念頭にない。長安を取り戻すか、司馬氏の天下を諦めるか、その二択だ。亡呉の遺臣ですから(笑)
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このコンテンツの目次
>『晋書』列38、呉の人たち
1)八王に愛想つきた顧榮
2)揚州人を司馬睿に推挙
3)統一への疑問、紀瞻伝
4)揚州から司馬睿への脅し
5)病人を引き止める東晋帝
6)西晋に距離を置く賀循
7)孫皓に首を挽かれたのは
8)恵帝を皇帝に数えるか
9)司馬睿のしがみつき
10)楊方と薛兼の列伝