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『晋書』列38、呉の人たち 9)司馬睿のしがみつき
まだまだ「賀循伝」の続きです。

時尚書僕射刁協與循異議,循答義深備,辭多不載,竟從循議焉。朝廷疑滯皆諮之於循,循輒依經禮而對,為當世儒宗。
其後帝以循清貧,下令曰:「循冰清玉潔,行為俗表,位處上卿,而居身服物蓋周形而已,屋室財庇風雨。孤近造其廬,以為慨然。其賜六尺床薦席褥並錢二十萬,以表至德,暢孤意焉。」循又讓,不許,不得已留之,初不服用。及帝踐位,有司奏琅邪恭王宜稱皇考,循又議曰:「案禮子不敢以己爵加父。」帝納之。俄以循行太子太傅,太常如故。


ときの尚書僕射である刁協は、賀循に異議を唱えた。しかし賀循の答義は深さを備えているし、(刁協の)言葉は多いから『晋書』には載せない。ついに賀循の意見が採用された。朝廷の人たちは、みな賀循の回答に疑問を持ったが、賀循が經禮を根拠にして答えたから、賀循を「當世の儒宗(儒学のリーダー)」だと認めた。
その後、司馬睿は賀循が清貧だから、令を下した。
「賀循は冰清玉潔な人柄で、行いは俗表をなし、官位は上卿である。だが衣服も住居もボロいから、豪華なものを下賜しよう(プレゼントの明細は省略しました)」
賀循は遠慮したが、司馬睿が許さなかったから、やむを得ず受け取ったが、賀循は使用しなかった。
司馬睿が皇帝になると、有司は上奏して、琅邪恭王(司馬睿の父)に皇帝号を贈ってはどうかと提案した。 賀循は言った。
「禮に照らせば、子は父に爵位を加えることをしない」
司馬睿はこれを納れた。にわかに賀循を太子太傅としたが、太常であることは、元のままだった。

循自以枕疾廢頓,臣節不修,上隆降尊之義,不替交敘之敬,懼非垂典之教也,累表固讓。帝以循體德率物,有不言之益,敦厲備至,期於不許,命皇太子親往拜焉。循有羸疾,而恭於接對;詔斷賓客,其崇遇如此。疾漸篤,表乞骸骨,上還印綬,改授左光祿大夫、開府儀同三司。帝臨軒,遣使持節,加印綬。循雖口不能言,指麾左右,推去章服。車駕親幸,執手流涕。太子親臨者三焉,往還皆拜,儒者以為榮。太興二年卒,時年六十。帝素服舉哀,哭之甚慟。贈司空,諡曰穆。將葬,帝又出臨其柩,哭之盡哀,遣兼侍御史持節監護。皇太子追送近途,望船流涕。
循少玩篇籍,善屬文,博覽眾書,尤精禮傳。雅有知人之鑒,拔同郡楊方於卑陋,卒成名於世。子隰,康帝時官至臨海太守。

賀循は病気で寝込んでいたから、臣下としてのマナーを破り、典籍の教えに逆らうことを懼れた。賀循は累ねて上表して、(公職を)固讓した。だが司馬睿は、賀循が徳を体現している人で、何も言わなくても国家の益となるから、賀循を重んじて引退を許さなかった。
皇太子に命じ、親しく賀循に会いに行かせた。賀循は病気だったが、恭しく皇太子と接した。司馬睿は体調を心配し、詔して賀循に賓客を断たせた。司馬睿が賀循を厚遇したのは、このエピソードのとおりだ。
〈訳注〉エゴイスト。。

病気がいよいよ篤くなると、賀循は引退を申し出た。印綬を返還したら、改めて左光祿大夫、開府儀同三司とされた。司馬睿は軒に臨み、使持節を遣わして、賀循に印綬を加えた。賀循は口を聞くことができなかったが、指を左右に動かして、章服を押し戻して辞退した。
司馬睿の自ら見舞いに訪れ、賀循の手を取って流涕した。太子は賀循を慕って何度も見舞ったから、儒者はこれを光栄なこととした。
賀循は太興二年に死んだ。享年は60歳。司馬睿は素服で哀しみを表現し、ひどく哭慟した。司空を追贈し、「穆」とおくり名した。
埋葬するとき、司馬睿は賀循の棺に臨んで、ものすごく哭哀した。侍御史・持節・監護を遣わした。皇太子は棺を追って道に駆けつけ、船を望んで流涕した。
〈訳注〉真心というよりは、揚州の儒者を東晋に取り込むためのパフォーマンスの匂いがする。本当に賀循を慕っていたら、療養させてやっただろうに(笑)
賀循は幼いときから篇籍を楽しみ、作文が上手くて、いろいろな本を博覽した。中でも詳しかったのは、禮傳であった。知人之鑒(人物眼)があり、同郡の楊方を卑陋な身分から抜擢した。賀循が死んでから、楊方は世に名を成した。
子の賀隰は、康帝のときに臨海太守にまでなった。
次は、賀循が見出した楊方です。
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このコンテンツの目次
>『晋書』列38、呉の人たち
1)八王に愛想つきた顧榮
2)揚州人を司馬睿に推挙
3)統一への疑問、紀瞻伝
4)揚州から司馬睿への脅し
5)病人を引き止める東晋帝
6)西晋に距離を置く賀循
7)孫皓に首を挽かれたのは
8)恵帝を皇帝に数えるか
9)司馬睿のしがみつき
10)楊方と薛兼の列伝