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党錮と黄巾の間(霊帝紀)
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3)模擬店とイヌとロバ
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177年
正月、天下に大赦した。
2月、南宮の平城門および武庫の東垣の建物が、ひとりでに壊れた。 平城門は、洛陽の真南の門である。宮殿と繋がっており、郊外で祭祀を行うとき、天子の車が出るところだから、最も尊い門だ。武庫は、禁中の武器をしまうところだ。
『易伝』には、「小人が位にあれば、城門がひとりでに壊れるものだ」と書いてある。
ただし門が壊れたのは、178年が正解で、本紀のミスとされる。
門が自然に崩壊すると聞いて、思い出すのは曹丕です。呉を征服できずに帰ってきて、門が崩れた。そりゃ気に病んで、40歳で死ぬよね。
4月、大いに日照して、7州でイナゴが発生した。鮮卑が三辺(東西北)から寇した。 桓帝を葬った宣陵で喪に服していた数十人の商人を、全て太子舎人に任命した。「蔡邕伝」はこのときのことを、「孝行を演じる馬鹿どもは、桓帝の親類でもないくせに、陵墓に群がった。虚偽だ。こんなものは、孝でも何でもないぞ」と書いてある。
7月、司空の劉逸を免じ、衛尉の陳球(列伝46)を司空にした。
8月、破鮮卑中郎将(臨時の官名、他に例なし)の田晏を、雲中から出撃させた。使匈奴中郎将の臧旻を、南単于とともに雁門から出撃させた。護烏桓校尉の夏育を、高柳から出撃させた。各方面より並行して鮮卑を討伐したが、田晏が敗北した。
まれに見る大作戦!揚州刺史をやっていた臧旻は、匈奴と共同作戦をやったのだね。ホープの将軍なのでしょう。
10月、日蝕があった。大尉の劉寛を免じた。霊帝は、辟雍(礼楽教化を、天下に宣布するための建物)に臨んだ。
霊帝になんか教化されたくない。。
洛陽に地震があった。 天下で判決がまだの人は、絹で保釈された。
いつも同じ文なのに、毎度うまく訳せないですが。桓帝は1回もやらなかったことなのに、霊帝が連発している政策です。言いがかりで逮捕して、保釈金を取って皇帝が儲けるというカラクリだろうか。ただ罪を軽減するなら、大赦でいいじゃないか。っていうか、大赦も連発しているが。
桓帝は税金還元した皇帝だったから、もう国庫にお金がない。桓帝は王朝は破産していいと思っていたから、バラまき政策をやった。霊帝が商人のような目つきになったのは、桓帝のせいか。
11月、司空の陳球を免じた。
12月、太常の孟イク(あざなは叔達、河南郡の人)を大尉にした。司徒の楊賜を免じた。太常の陳耽を司空とした。
イクの字は、偏が「有」で、旁が「彧」です。荀彧よりもグレードアップした、活字社会&ネット環境泣かせの人物です。字意は「あやがある」「速い」だそうで。
鮮卑が遼西を寇した。永安宮の太僕である王旻は、獄死した。
178年
正月、合浦郡、交趾郡の烏滸蛮が叛いた。九真郡、日南郡の民を招き入れて、郡県を陥落させた。大尉の孟イクが罷めた。
2月1日、日蝕があった。2月3日、光禄勲で陳国の袁滂(あざなは公喜)を司徒とした。2月9日、地震があった。初めて、鴻都門の内側に学校を置いた。美文を創れて、習字の上手い人が、全国から1000人集められた。芸大である。
3月21日、天下に大赦して、光和と改元した。太常で常山郡の張コウを大尉とした。
コウは、[景頁]です。張郃ではない(笑)
『捜神記』にいう。張コウが梁国相だったとき、雨が降り出した。カササギが低空飛行をしていたから、人に打ち落とさせた。カササギが地に墜落すると、円い石となった。張コウが命じて石を壊させると、金印を得た。「忠孝侯印」と文字が刻まれていた。
4月6日、地震があった。侍中の寺(役所)で、雌鳥が雄鶏になった。司空の陳耽を免じ、太常の来艶を司空にした。
これこそ『三国演義』の開幕を告げる凶事です。
5月2日、白衣の人が、徳陽殿の門に入ったが、誰も捕まえることが出来なかった。
6月26日、黒気が立ち上り、皇帝がいる温明殿の庭の中に堕ちてきたものがあった。馬車の天蓋のように隆起し、じたばたと暴れまわった。身体は5色で、頭が付いていた。体長は23メートル以上で、姿かたちは龍に似ていた。
7月2日、青い虹が、皇帝がいる玉殿の後殿の庭に出た。
8月、ホウキ星が、天市(星座)の領域をかすめた。
9月、大尉の張コウが罷め、太常の陳球を大尉とした。司空の来艶が死んだ。
10月、屯騎校尉の袁逢を司空とした。
皇后の宋氏が廃されて、皇后の父で執金吾の宋鄷は、獄死した。末日、日蝕があった。
11月、大尉の陳球を免じた。
12月、光禄大夫の橋玄を、大尉とした。
この年、鮮卑が酒泉郡を寇した。洛陽の馬が人を産んだ。『易伝』によれば、これは諸侯が互いに争った結果である。初めて西邸にて、官位を販売した。関内侯、虎賁、羽林らが売りに出された。こっそり近習の人に、三公・九卿を限定販売させた。 二千石は二千万銭、四百石は四百万銭だった。能力によって官僚の選考に選ばれた人は、5割引もしくは7割引だった。三公は千万銭で、卿は五百万銭だった。
三公は実益がないから、地方官よりも安いのですね。そして、実力で選ばれた人からも、きっちり金を取るんだなあ。
179年
疫病の大流行。常侍と中謁者に、諸国を回らせて、医薬を施した。
3月、司徒の袁滂を免じ、大鴻臚の劉郃を司徒とした。大尉の橋玄を罷め、太中大夫の段熲を大尉とした。京兆に地震があった。司空の袁逢を罷め、太常の張済(あざなは元江、細陽郡の人)を司空とした。
ほんの半年ですが、三公のうち2人が袁氏でした。
4月1日、日蝕した。 8日、中常侍の王甫と、大尉の段熲が並んで獄死した。 14日、天下に大赦した。党人に連座した血族のうち、喪の規定で、小功(5ヶ月服喪する)よりも遠縁の人は、公職に戻る権利が回復した。東平王・劉端(光武帝の玄孫)が死んだ。
5月、衛尉の劉寛を大尉とした。
7月、使匈奴中郎将の張修は、罪により獄死した。張修は独断で、単于の呼微(人名)を斬り、羌渠(人名)を単于に立てたことが、咎められたのだ。
10月、宦官の皆殺しが図られたが、事前に洩れて獄死した。死んだのは、司徒の劉郃、永楽少府の陳球、衛尉の陽球(列伝67・酷吏)、歩兵校尉の劉納らである。
巴郡で、板楯蛮が叛いた。御史中丞(検察を司る、御史台の長官)の蕭瑗を遣わし、益州刺史を督戦させたが、勝てなかった。
12月、光禄勲の楊賜を司徒とした。鮮卑が、幽州と并州を寇した。
この年、河開王の劉利(章帝の玄孫)が死んだ。洛陽の女子が子を生んだが、頭が2つあり、腕が4本あった。『易伝』によれば、首が2つあるのは、下々の心が1つではないことを表す。
180年
正月、天下に大赦した。
2月、三公府の車を寄せる場所で、廊下の建物が南北30余間も、何もしていないのに壊れた。
三公が「小人」である証です。おさらいすると、このときの三公は、司空は張済で、司徒は楊賜で、大尉は劉寛です。列伝がある楊賜は、頑張るべきだ。
3月、梁王・劉元(明帝の玄孫)が死んだ。
4月、江夏郡で蛮が叛いた。
6月、公卿に詔した。『古文尚書』『毛詩』『左氏』『穀梁春秋』に詳しい人を、1人ずつ挙げよと。いずれも太学の正式科目ではないから、マイナーな経書である。全員が議郎に任命された。
秋、酒泉郡の表是県で、地震があり、湧水が出た。
8月、拘留されている人のうち、判決がまだの人は、絹を支払って保釈された。
閏月、ホウキ星が流れ、狼と弧(どちらも星の名)をかすった。鮮卑が、幽州と并州を寇した。
12月、貴人の何氏を皇后にした。南陽郡の人で、何進の妹である。
この年、畢圭苑に、霊昆苑を造園した。
何皇后が登場し、三国志らしくなってきました。
181年
正月、初めて騄驥廏(リョクキキュウ=良馬を徴発させる官署)の丞を設置して、郡国から調教した馬を集めた。豪族が馬の徴収を妨げて、流通している馬を独占してしまい、値段が釣りあがった。馬1匹で200万銭にもなった。
2月、郡国から芝英草(霊芝)が献上された。霊芝とはマンネンタケのことで、薬草になる。
4月、天下に大赦した。交趾刺史の朱儁は、交趾と合浦で烏滸蛮を破った。
6月、鶏卵くらいの大きさの雹が降った。
7月、河南郡で、「鳳凰が新城県に現れて、他の鳥の群れに随行していった」と報告があった。新城県令と、三老・力田(どちらも郷の役人)は、布帛をもらった。
言った者勝ちなんだ。
9月1日、日蝕があった。大尉の劉寛を免じ、衛尉の許イクを大尉にした。
閏月、北宮の東の掖庭にある永巷署(宦官、六百石、下女や召使を司る)で災いがあった。司徒の楊賜が辞めさせられた。
天災じゃなくて、宦官の役所の異変でクビとは。。
10月、太常の陳耽を司徒にした。鮮卑が、幽州と并州を寇した。
この年、霊帝は商店街を後宮に作り、采女(宮女の称号)に販売させた。宮女たちは、模擬店の品物を盗みあって、喧嘩をした。霊帝は、商人の服を着て、酒を飲んで宴を開き、楽しんだ。 西園でイヌを弄び、進賢冠(文官が用いる)を被せて、綬(印を吊り下げるヒモ)を帯びさせた。4頭立のロバの車に乗り、霊帝みずからクツワを操って駆け回った。洛陽の人はこれを真似した。
『続漢書』によれば、霊帝はお気に入りの子弟を重く用いて、たったの500万銭で、関内侯を買わせた。強い人は豺狼のように威張り、弱い人は人間扱いされなかった。これでは(霊帝の取り巻きの人間は)イヌが冠を被っているようなものである。 『続漢書』はさらに言う。ロバは、重い荷物を引いて山谷を越える動物で、野人が用いるものだ。どうして皇帝なんかが用いるのか。国が乱れようとしているときは、賢者が改革すべきだ。だがアベコベなことに、ロバのように鈍い愚物が政治を執っている。
きっと『続漢書』の筆者は、書いてるうちにヒートアップしてきたのだね。イヌとロバを霊帝が愛したことを記すのは歴史書らしい作業だが、わざわざ動物に引っ掛けて批判しなくてもいいのに。
やっと黄巾ノ乱が近づいてきました!
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このコンテンツの目次
>『晋書』と『後漢書』口語訳
党錮と黄巾の間(霊帝紀を口語訳)
1)罪人名簿のハコ
2)宦官が全官署を征圧
3)模擬店とイヌとロバ
4)黄巾が2王を捕う
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