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宦官コンプリート作戦 3)霊帝の疵を映す明鏡
呂強が上疏して曰く、
諸侯は、上は四七(4×7=28宿の星座)をかたどり、下は王土を裂くと。高祖劉邦が
「功臣でなくては侯とせず」
と固く定めたのは、天爵(朝廷の官位)を重んじて、勧善懲悪を明らかにしたからです。しかし、中常侍の曹節、王甫、張譲ら、および侍中の許相らは、列侯となりました。
曹節たちは宦官なので、なみの人間としての幸せに薄いですから、人品は卑しい。そこで、讒言とへつらいで皇帝に媚び、侫邪をもって皇帝の寵愛を求めています。毒を放ち、忠良を嫉妬し、まるで「馬鹿」の故事の元になった秦代の趙高のような奴らです。趙高は車裂となりましたが、曹節はまだ生きています。
曹節たちが国家ではなく私党のために動くと陛下はご存じないから、侯として領土を与えてしまわれた。『詩経』には、祖先の徳を穢してはならないと書いてありますが、宦官を用いていることは、高祖劉邦をスポイルするものです。
私が死を覚悟してこのようなことを言ったのは、霊帝さんに誤りを正してほしいからでございます。

霊帝のやっていることは、劉邦が定めたルールに逆らうことだ。
これが、呂強の論旨です。彼は「漢盛」を自らのあざなとしたように、この王朝のことを愛しています。その愛が収斂する場所は、始祖の劉邦だったようで。
儒教の正義の立場から、宦官を批判する人は多い。しかし呂強は、ひと味もふた味も違う。
さっきは親に無理やり宦官にされたと書いたが、違うかも知れない。少年の呂強は親の目を盗んで、自ら宦官になったかも知れない。
少年の目には、皇帝を正そうとして改革に挑み、宦官のワナにはまって討ち死にしていく儒教官僚たちの姿が映った。
「皇帝を導くには、宦官となるしかない」
そう結論を導き出した。宦官が発言力を持つ政治慣行が、この王朝を誤らせている。皮肉ではあるが、呂強は片目をつぶって現制度を利用し、皇帝に近づくことにした。
毒泉に溺れている皇帝を助けるには、自分が飛び込まねばならん。淵の外から、やいやとアドバイスを垂れているだけの儒者は、皇帝を助けられない」
この例えはぼくが作ったものだが(笑)そんな心地だろう。
身体を傷つけることは最大の親不孝だから、きっと1人で手術をした後は、親に内緒で家出したんだと思う。まるで死期を悟った飼い猫のように。どちらにしろ哀しい少年時代だ。
「宦官は幸せに薄いから、人品が卑しくなる」と言っていて、これを余人が主張したなら、ステレオタイプなイメージを押し付けたことになる。しかし、宦官の本人が自白しているのだから、説得力がある。

呂強は復た上疏した。
後宮にはスイ女(美人、宮人に次ぐ称号)が数千余人もいて、衣食の費用は日ごとに数百金と聞きました。近ごろは穀物が安いですが、それでも戸ごとに飢え死にする家族は多い。安ければ穀物を買えるでしょうに、矛盾したことです。
調べてみると、穀物の値段が不自然に下がっているのは、県の役人のせいです。県の役人が過剰に農民から税を取り立てるので、農民は穀物を安く売り叩いてでも、税金を作らねばならないのです。 ですから、都市では穀物が安く買えますが、農村はその逆で、寒くても衣がなく、飢えても食がありません。
民が厄を受けているのに救済せず、無用の宮女が後庭に満ちているのは、良くない。天下を総動員して、耕作と養蚕をやっても、後宮を支えることはできません。
春秋時代の楚は、斉ノ桓公に脅されました。懼れたので、自国楚出身の妻を廃して、斉出身の下女を正妻としました。廃された楚の女は愛情を受けられず、後宮に火を点けました。
ただ1人の女を憐れまないだけでも、火災が起きるほどです。まして数千人余の女を囲っておいて、どれだけ愛情が配れますか。そのうち嫉妬に狂った女が、大災害を起こすでしょう。
そもそも天が君を立てたのは、民を養わせるためです。君道をやれば霊帝さんは、民から父母のように戴かれ、日月のように仰がれるでしょう。税金を取っても、仁恩の恵みを期待して、民は死を忘れて働きます。南面して、聖人の政治を心がけられますように。
・・・霊帝は無視した。

呂強は、このたび出された詔書を見て、冷や汗が流れた。
「河間国の解トク亭に、豪邸を建てなさい」
というのが霊帝の意向である。
霊帝はもともと傍流の貧乏皇族で、解トク亭侯だった。財務担当皇帝として、国庫を潤すことに力を尽したから、霊帝は故郷に錦を飾りたくなったのだ。
呂強は、また上疏して曰く、
九天の高き(皇帝の位)にあっては、みみっちく郷愁に身を任せてはいけません。河間国は疎遠で邈絶なる世界の果てですから、そんなところで大工事をするとなれば、輸送費だけで民が疲れます。
また、外戚四姓(100年以上前に光武帝を助けたから特権を与えられた旧家)、高位高官の人、役に立っていない官吏は、こぞって館舎の建築に熱中し、1万件以上の余計な工事が行われています。楼閣を建てて、宝石や彫刻で飾っています。喪葬は過剰演出を競っています。どれも死に金です。
『穀梁伝』は、財や力が尽きれば、人は怨みを溜め込むといいます。
君主は容器で、臣下は水です。水は容器の形に変わります。上が贅沢をすれば、下も贅沢をします。霊帝さんが余計な建築を思いつくから、旧家や役人も無駄なことをしたがるのです。
むかし晋ノ平公を諌めた人が言いました。
「君主の館では梁と柱は繍(錦)を着ているのに、民は肌着すら持っていない。君主の池には捨てるほどの酒があるのに、民は飲み水がない。君主の馬は粟を食べているのに、民は食べ物がない」
今の霊帝さんの治世は、これと同じですよ!

・・・霊帝は却下して、建設を楽しみにした。
経済通の霊帝だから、公共事業で景気を振興したのかも知れない。しかし、愛国心に凝り固まった呂強には、そんなことが分かるはずもなく。

178年7月、たびたび妖異が起こるので、霊帝は学者官僚を集めて、理由を議論させた。
「霊帝の周りにいる高官・宦官が腐っているからです」
国のために、敢えて道義を貫いた発言をしたのは、蔡邕だった。
この蔡邕の発言は、本来は霊帝だけが聞いていい極秘のアドバイスだった。そういう約束だったから、蔡邕は切言して訴えたのだ。
だが、政治問題は一切を宦官に委ねている霊帝は、
「蔡邕が、こんなことを言ったんだけどさあ」
と、中常侍の曹節と王甫らに相談してしまった。
「蔡邕め、許さんぞ」
まあ、当然の反応である。宦官は、唇に膏(あぶら)し舌を拭い、讒毀をする方法を考えた。霊帝は、宦官がでっちあげた蔡邕の罪を丸呑みにして、蔡邕の家族を流刑にした。
「あって良いことではない」
呂強は上疏して曰く、
霊帝さん、どうして忠臣を裏切るようなことをしましたか。蔡邕の前例を見て、位が高い人は不測の災難を被ることを恐れ、位が低い人は剣客の害(暗殺)を懼れています。私は知っています。朝廷には二度と忠言をする人が現れないことを。
もと大尉の段熲は、もとは武勇で辺境で活躍しました。しかし司隷校尉の陽球(列伝67・酷吏伝)に強迫されて身は斃れ、妻子は遠方を彷徨っています。天下は恨み嘆き、功臣は失望しています。
蔡邕を復官させ、段熲の家族を本籍地に戻してください。そうすれば、忠貞は道が開け、人民の怨みは已むでしょう。

・・・霊帝は、呂強が忠心からこう言っているのを知っていたが、採用しなかった。一度決定した政策を覆すとは、誤りを認めたことになってしまうから、なかなか難しい。

ときに霊帝は、私用の財産を蓄え、天下の珍品を所有した。郡国から貢納があると、必ず中署(受付の役所)に移して、そこで霊帝の個人資産を示す費目「導行費」に計上して管理した。
呂強はそのありさまに対して、上疏した。
「天下の財や万物は、もともと全て皇帝のものです。どうして、国有財産と私有財産を区別する必要がありますか。霊帝さんは、諸郡の宝、天下の絹、司農の蔵、太僕の馬などを、個人資産として貯めておられます。税金は高くて民は苦しみ、出費ばかりで収入がなく、官吏は邪悪で利に走り、百姓はその弊害を全て背負わされています。
好んで賄賂を贈り、諂う人間が上位に登っています。三公が行うべき本来の人材登用とは、属僚に議論させ、行動と能力を評価し、試験をして成績を付けるべきです。もし勤務態度が悪ければ、尚書に連絡し、尚書は廷尉に真偽を確かめさせ、誅罰を加えるべきです。
いま三公や尚書を経由しない人事が行われています。人事について、責任を管轄部門に振り直せば、余計な苦労をしなくてすみますよ」
呂強は、こう締めくくる。
言説が人の過ちを明らかにしても、言説に咎はありません。ちょうど、明鏡が疵を映し出しても、明鏡が悪いわけではないように。言説に過ちを指摘されることを、霊帝さんが憎めば、何も学ぶことはできません。明鏡に対象を映さねば、疵を見つけることが出来ないように。どうか霊帝さんは、明鏡に映して疵を探してみて下さい」

霊帝はこれを省みなかった。
呂強が言っている例え話を置き換えると、空気を読まずに上疏している呂強には疵がなく、疵があるのは霊帝だという意味だ。ときには映さなくてもいい疵というのもあるから、なかなか頷けないことですね(笑)
次回は、黄巾ノ乱を受けて、呂強が上疏します。
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このコンテンツの目次
>宦官コンプリート作戦
1)きっかけは和帝
2)曹騰と、正義派の呂強
3)霊帝の疵を映す明鏡
4)孟達の父親
5)三張の三角関係
6)誤解された霊帝