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宦官コンプリート作戦
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5)三張の三角関係
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さて、驚く準備は宜しいでしょうか。 唐突かつ複雑怪奇なことですが、
張譲は、実は張角と密接に結びついていた。
『後漢書』にそう書いてあるから、「新説」でも何でもないが、ぼくはこれを見たときに目を剥いた。
後に中常侍の封ショと徐奉だけは、張角との繋がりが発覚して誅された。2人欠けてしまったので、スペシャルファイティングポーズが決まらなくなった(笑)何のことなら・・・
のちに霊帝は張譲たちの真実を知り、なじった。
「お前ら宦官は、いつも党人は不軌をなすと言って、禁錮したり誅殺したりした。だが党人は国の役に立つではないか。しかし逆に宦官は、張角と通じていた。なんでもっと早く斬ってしまわなかったか」
おお!霊帝の覚醒!
『後漢書』を書いた人の筆が滑ったわけではあるまい。今までは霊帝の無知ぶりを書いてきた人が、同じ筆で霊帝にまともな台詞を言わせている。霊帝=無能という評価と同じレベルの信頼性を、この台詞に期待してもいいだろう。
霊帝は決して頭の悪い皇帝ではなく、現代社会なら上場企業の社長くらいは、軽くこなすだろう。だが、前の桓帝が国庫を空にしたから、経済政策に忙殺された。政治は放置されて、宦官が代わった。宦官に任せきりにしたことを、後世のぼくたちは責めたくなる。 しかし、経済も政治も同時に見ろというのは、無理だ。まして、光武帝が信頼して、たびたび皇帝の即位を助けてきた宦官の腹が、よりによって真っ黒だとは想定できない。 「中の下くらいの政治はやってくれるはず」 と暫定的に断定して任せていたのだろう。
「今からでも遅くないから、斬ってやる」
霊帝にそんなことを言われたから、十常侍は叩頭した。
「もとの中常侍、王甫と侯覧がやったことです」
霊帝は追及を已めてしまったと、『後漢書』には書いてある。さきの霊帝の覚醒がなければ、
・・・あーあ、また言いくるめられちゃったよ。
と呆れてしまうところだ。しかし、そうじゃない。取り返しがつかないところまで疲弊した国政は、数人の宦官を斬っただけでは戻らない。
「宦官など、いつでも斬れる。それよりも、有効な政策を考えねば。十常侍は、朕の手足として使い倒してやる。彼らは、有能な事務員でもあるのだ」
霊帝の思考が、すぐそちらにシフトしたんだと思う。
余談ですが・・・
黄巾の張角と、宦官の張譲と、士人の張釣。
誰と誰が結びついているのか、いろんな憶測が繰り広げられました。時事問題で出題されたら、80%の学生が間違えるだろう。
翌年、南宮で火災があった。
張譲と趙忠は、霊帝に説いた。
「天下の田地に、1畝あたり10銭を課税して、宮殿を再建なさい」
広く浅く税を集めることは、悪い政策ではない。霊帝は許可した。
建材として、太原郡・河東郡・狄道郡から、材木と文石(模様のある石)を運ばせた。州郡から洛陽に輸送されてくると、黄門常侍は納品チェックをした。
「基準と合ってない!検収不可!」
難癖をつけて、10分の1の値段で買い上げてしまった。ただし、州郡が選りすぐって運ばせた材料だから、実は高品質である。 黄門常侍は、ただ同然で仕入れた建材を有力宦官に転売して、利益を得た。しかし有力宦官は、すぐに受け取りに来なかったから、材木は山積みのまま腐った。
『後漢書』にはこれ以上書かれていないが、つまり有力宦官は霊帝の視線を懼れて、これまでのように自侭な建築を出来なくなったということだ。黄門常侍は、霊帝と中常侍の関係の変化に気づかないから、てっきり大儲けできると踏んだ。しかし、とんだ見込み違いだ。
宮廷用の木材が、検収係を突破しないから、宮殿は数年たっても建たなかった。
張譲と趙忠は、相談したかも知れない。
「黄門常侍に、バカなことは辞めろと命じようか」
「いかん。霊帝に嗅ぎ付けられたら、グルと見なされるぞ。もう私たちには後がない。次に何かあれば、間違いなく斬首だ」
「しかし、宮殿工事が進んでいないのは良くない。調査が入るだろう」
霊帝は案の定、宮殿が建たないのを不思議に思った。
「朕の作った物流経済が、うまく機能していないのだろうか」
霊帝は、市場設計に改良を加えた。『後漢書』は儒教官僚が書いているから、経済政策に熱心な霊帝は、とんでもない馬鹿者みたいに表現されるが、実態はそうではない。
霊帝は、西園で官位を販売している。西園の馬の飼育係に、新しい販売施策をきつく命じた。
「官位を買いに来た人から、軍事費補助や宮殿修繕費を取ろう。大郡の太守なら、2~3000千万を上乗せして値を設定する。買い手が付かなければ、値下げせよ。官に就く人に必ず西園で出費をさせれば、市場原理が働いて、適正価格に落ち着くだろう」
悪くない着想なのだが、客である役人が、霊帝の頭脳に付いてこれなかった。 霊帝が地方官に求めているのは、任地の経済を活性化して、利益の一部を差し出すことだ。しかしそんな発想は伝わらない。 州郡では私的な金銭のやり取りが盛んとなり、百姓はさらに苦しんだ。銭の工面に失敗して自殺した人があった。
清らかさを守る人は、官に就くことを拒んだ。
河内郡の司馬直という人は、鉅鹿太守に任ぜられた。
「君は清名があるから、三百万銭の上乗せだけで良い」
そういう詔勅を受けると、怨み嘆いた。
「太守とは、民衆から父母のように慕われるものだ。それなのに、却って百姓から搾取することを強いられるとは」
やはり霊帝の意図は、まるで伝わっていない。 司馬直は病だと言って辞退したが、赦されなかった。洛陽を出て東に向かい、孟津で黄河を渡るときに上書を作った。 ただちに服毒自殺した。
「朕は、搾取せよと言っていない。高い経営目標を与えて、いっそう行政に励んでほしかったのだ」
霊帝は無念であったが、修宮銭の上乗せを廃止した。
『後漢書』の宦官の列伝に、この霊帝の政策が載っているということは、
「どうせ宦官にそそのかされて、愚にも付かない課税をやったんだろ。汚いことだ」
というニュアンスなんだろう。ぼくは違うと思う。これは霊帝の親政で、宦官は粛々と実務をこなすだけだ。
次で最終回。宦官が全滅です。
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このコンテンツの目次
>宦官コンプリート作戦
1)きっかけは和帝
2)曹騰と、正義派の呂強
3)霊帝の疵を映す明鏡
4)孟達の父親
5)三張の三角関係
6)誤解された霊帝
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