いつか書きたい『三国志』
三国志キャラ伝
登場人物の素顔を憶測します
『晋書』と『後漢書』口語訳
他サイトに翻訳がない列伝に挑戦
三国志旅行記
史跡や観光地などの訪問エッセイ
三国志雑感
正史や小説から、想像を膨らます
三国志を考察する
正史や論文から、仮説を試みる
自作資料おきば
三国志の情報を図や表にしました
企画もの、卒論、小説
『通俗三国志』の卒業論文など
春秋戦国の手習い
英雄たちが範とした歴史を学ぶ
掲示板
足あとや感想をお待ちしています
トップへ戻る

(C)2007-2009 ひろお
All rights reserved. since 070331
ユニット名は「涼西の三明」 8)東西羌のホロコースト
東羌と先零羌は、征西将軍の馬賢が死んでから、朝廷が手出しできなかった。三輔をしばしば攻めてきた。
桓帝は詔した。
度遼将軍の皇甫規と、中郎将の張奐は強兵を率い、東羌と先零を連年にわたって懐柔している。だが羌は、降伏したと思えば叛くからキリがない。あいつらではダメだ。段熲が術略を考えてみよ」
段熲は申し上げた。
皇甫規は2万の集落を降伏させました。善と悪は分別され、(漢に従わない)悪が僅かに残っているだけです。皇甫規の仕事は、悪くありません。しかし、張奐には失点があります。張奐が兵を出せば羌は驚いて離散し、兵を引けば羌は侮って団結します。キリがないから手詰まりになり、懼れて軍を進められません」
段熲は、張奐をライバルだと思っている。かつて討伐の功績を競い、ついに決着がついていない。戦場でドローとなった勝敗を、政治工作で取り戻す。これが段熲のやり方である。
張奐は政治に疎い。のちに宦官に騙されて、誤って竇武と陳蕃を討ってしまうほど、視界が暗い。段熲の圧勝は保障されている。
段熲は続けた。
「張奐は冬に出兵し、春まで居座るつもりです。羌が疲れるのを待ち、居ながらにして降伏を誘うのが、張奐のやり方です。甘っちょろ過ぎます。狼の子というのは生まれつき野心があり、手懐けられないものです。恩など感じません。ただ長矛で胸を締め上げ、白刃を首に突きつけてやればいい」
張奐は羌に慕われている。彼が慕われた理由は、
――漢の官軍らしくない、
からである。
羌を人として扱い、約束を守り、財貨に目が眩んでいない。「華と夷」というフレームが、必ずしもベストだとは思っていない。この態度が、典型的な後漢末の役人である段熲には、賛同できない。
「東羌は、3万余の集落が残っています。彼らの居住地は国境に近くて、途中に険路はありません。彼らは地理的なアドバンテイジを活かし、しきりに攻めてきます。まるで体内に潜んでいる腫瘍が、胸の下につかえている感じです。誅を加えねば、ますます増長するでしょう。私に騎馬5千、歩兵1万、車3千両をもらえれば、2冬2夏で東羌を破り、外征費・54億銭を浮かすでしょう」
気の利いた文人なら、もっと数字を合わせてくるだろうに、段熲はそれをしなかった(笑)ただ作戦の遂行に必要なものを冷静に見積もり、申告しただけだ。
「永初年間(107-113年)に諸羌が叛き、14年間で240億銭を使いました。永和年間(136-141年)は、7年間で80余億を使いました。もう無駄な出費は終わらせるべきです。私にやらせて下さい」
「全て段熲の言うとおりにせよ」
桓帝は、全面的に言い分を認めた。

168年春、段熲は万余の兵に15日の兵糧を持たせ、先零と戦った。
「これは勝てねえ」
段熲の兵が動揺した。
羌は、士気が高い。そのはずで、段熲は張奐と違って、殺戮だけをする将軍である。否が応にも態度を硬化させ、死力を尽さねばならない。
段熲は、装備と布陣を命令した。
「鏃を長くし、刃を鋭くせよ。長矛は三重とし、強弩を構えよ。軽騎を左右の翼とする」
兵たちはそのとおりに動いたが、どうにも気力を震わせない。
(段熲将軍は功績を重ねるかも知れないが、オレたちは死に損だ。どうして無茶な攻めに付き合わされるのだ。割りに合わん)
段熲はその空気を感じ取った。
「キサマら、家を去ること数千里、進めば事は成り、逃れれば全員が死ぬことになる。努力して功名を得よ」
この言葉は、単なる激励ではない。攻撃のときに全力を出さなければ、羌族ではなく軍法がお前らを斬るぞ、と脅したのであろう。決して兵の心を掴む采配ではないが、味方に殺されては堪らないので、兵たちは大声を上げた。声は段熲の周囲から伝播して、全軍の士気が上がったように見えた。
段熲は騎馬を両脇に従えて駆け、羌族を断ち割った。心根は後漢末の汚吏だが、きちんと戦に強いのが段熲である。敵は大敗走し、8000余の首を獲り、牛馬28万頭を得た。

桓帝が死に、竇太后が臨朝して詔した。
「先零と東羌を、段熲は討つと宣言しました。段熲は目標を達成しましたから、私は嬉しく思う。東羌が全滅するのを待って、段熲に銭20万を与え、家の1人を郎中に取り立てなさい」
中蔵府に勅して、金銀と彩絹を用意させ、段熲に与えた。
「段熲に破羌将軍の称号を与えましょう」
ライバルの張奐は、この政権交代時期に宦官に踊らされて、清流を斬ってしまった。戦の優劣は別にして、段熲の栄達ぶりとは真逆である。

夏、段熲は羌を追っていた。
「奢延沢に羌がいます」
報告を聞いたので、1昼夜を駆けとおし、二百余里を走破した。早朝に羌に追いつき、斬った。
段熲には2人の有能な補佐がいて、田晏と夏育という。
159年の戦で先鋒を任せられて史書に名前が残ったが、ここで別働隊を与えられた。騎司馬の田晏は5000で東に、仮司馬の夏育は2000を従えて西に行った。羌族の7000は田晏を包囲したが、突破した。この2人を段熲の副官として人間味たっぷりに描ききったら、権勢に聡い段熲が魅力的な人に見える知れない(笑)
段熲と2司馬は自在に連携して、3日3晩戦い続け、快勝した。4000余の村落を陥落させて、官軍は漢陽の山谷に入った。

そのころ洛陽では、ライバルの張奐が上言していた。張奐には権力欲が薄いから、発言内容は冷静に戦況を分析したものとなる。
「段熲は東羌を討ちましたが、全滅させるなど無謀です。段熲は向こう見ずだから、いつ失敗するかと、私はヒヤヒヤしています。太后さまの恩によって、東羌に投降を促すことが、後悔を防ぐ方法です」
「そうですね」
竇太后は、もう戦果が充分だと思ったから、段熲に攻撃停止を命じた。桓帝は政治に興味がないから、段熲の言うがままを認めた。それに対して太后は、いちおうは主体性を持って政治を見ているから、段熲のやり方が無理なのは分かる。
広大な大地に散らばった騎馬民族を、面で平定することは出来ない。ましてや、種族を全滅させることなど、空爆用の戦闘機と機関銃と枯葉剤を使っても難しいのだ。
詔書を受け取った段熲は、血を沸騰させて筆を執った。
「東羌は数が多いですが、軟弱で制圧はラクラクです。永遠に漢室に安寧をもたらす(東羌☆全滅)計画を、私は実行中です。張奐は私がねたましいから、羌は強いなどと、事実を曲げた発言をしました」
太后への反論の上書である。
「古代の周秦時代から、異民族は我々の頭痛の種です。名将・馬援ですら、最後には叛かれました。 張奐は官軍を預かりながら2年を無駄にして、文徳で教化するなどと嘯きました。羌族と雑居することは、イバラを良田に植えて、マムシを室内に飼うに等しい。私はこの3年で、54億銭を使いました。いま作戦を中断すると、これらの経費がムダとなります。私のホロコーストは、今にも完遂できそうですから、止めないで下さい。時期に応じたご判断をなさるよう」
太后は段熲の意見を却下した。

169年、詔して、漢陽に散った羌に降伏を促した。
段熲は言った。
「ああ!大失策だぞ!だが、見ているがいい」
虐殺者の目が暗く光った。
「降った羌はしばらく大人しくしているだろうが、県府には穀物がない。捕虜を養うキャパがこの国にないから、羌は盗賊に逆戻りするだろう。そのときこそ、全滅させてやろう」
夏に段熲は、軍を編成した。田晏と夏育に5000を与えて、羌がいる凡亭山から40里(16キロ)のところに進ませた。
東羌が、声を励まして言った。
「田晏と夏育はいるか。湟中の義従の羌はいるか。今日は死生を決せんと欲す」
これまで引用を省いてきたが、段熲は「湟中の義従」を率いている。これは、湟水に定住した大月氏の亜種である。匈奴に月氏王が殺されて故郷を失い、張掖郡・酒泉郡あたりに移ってきた。異民族を目の仇にする段熲だが、皮肉なことに彼の主力は異民族だ。
おそらく湟中の人たちは、別種の羌に自分たちの移住地を侵されるのを嫌った。国外にいる羌を攻めたい段熲と、たまたま利害が段熲と一致したから、従軍したのだろう。
東羌に宣戦布告され、段熲の軍は恐れた。
段熲は決死の覚悟を促して、大勝した。
東羌は逃げ、射虎谷に集って抵抗したが、段熲は柵を作らせて包囲した。田晏と夏育に7000を与えて、夜に枚をふくんで西山に登らせ、奇襲をかけた。東羌は1里退いた。東羌は、山上にいる田晏らの水源を断とうとしたが、段熲がそれを防いだ。馬謖じゃあるまいし、こんなでは負けない(笑)
段熲は追撃に追撃を重ね、渠帥以下9000の首を刈った。牛馬、驢馬と騾馬、毛織物と皮衣、テント、その他日常生活の道具を、無数に獲得した。
太后に応じて投降した4000人は、安定郡・漢陽郡・隴西郡に分割して住まわせた。これにより、東羌はことごとく平定された。
前頁 表紙 次頁
このコンテンツの目次
>『晋書』と『後漢書』口語訳
ユニット名は「涼西の三明」
皇甫規
1)敗北を見抜いた若者
2)降伏は金で買えますか
3)私を党錮に処しちゃって
張奐
4)金離れの超人
5)外戚恐怖症の過ち
6)故郷の土になりたい
段熲
7)囚人から并州刺史へ
8)東西羌のホロコースト
9)段熲が貴んだ宦官