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破壊者・梁冀の血の成分 3)気遣いの気疲れ
梁棠
梁竦の子・梁棠は呼び戻されて、楽平侯になった。大鴻臚を任された。
弟の梁雍は、乗氏侯で、少府に任じられた。
さらに弟の梁翟は、単父侯となった。
梁棠が死ぬと、子の梁安国が嗣いだ。延平年間(122-125)に侍中となったが、罪で免官された。連座して、梁氏に繋がりがあって郎や吏となっているものは、全員が罷免された。

列伝の記述はすごく簡素に、梁氏は代を経る。
それもそのはずで、107年に和帝が死ぬと、和帝の外戚・鄧氏が政治をするようになり、梁氏は下火になった。鄧氏が一掃されると、次は安帝の外戚・閻氏が出たりしたから、梁氏は短い春に留まった。
梁氏は、政治の実績というよりは、和帝に親親を体現させた一族として、後漢王朝に影響力を残した。
振り返ってみれば、初代の梁統は「刑罰を重くせよ」と言ってスルーされただけだ。子の梁松は、儀式をプロデュースしたが、すぐに罪で獄死。弟の梁竦は筆だけは達者だが、娘が章帝に輿入れした後に獄死。何も政策的な遺産がない(笑)
梁商
梁商は、あざなを伯夏という。梁雍の子である。
近接した年代に、梁松・梁竦・梁商と、3人も「ショウ」という音読みの当主を輩出するとは、よほど日本の後漢ファンを虐めたいらしい。
「ファンの絶対数が少ないから、大衆に迎合したような気遣いはいらないんだよ」
と、開き直っているんだろうか。
孫堅と孫権と孫乾は、最後の1人が他人だからまだ許せる。司馬懿(イ)と司馬瑋(イ)と司馬師(シ)と司馬熾(シ)でも、ツーペアである。スリーカードとは、梁氏は嫌がらせの領域に踏み込んでいる。

梁商は外戚だから、若くして郎中となり、黄門侍郎に遷った。
126年、父の封土を継いで、済陰郡の乗氏侯となった。128年、順帝は梁商の娘2人を、掖庭に入れた。梁商は、侍中で屯騎校尉となった。
132年、妹が皇后となり、妹が貴人となった。梁商の位は特進となり、国土を増やされた。執金吾になった。
「梁商の子、梁冀を襄邑侯にしよう」
皇后の一族だから、自動的に侯爵が転がり込んできた。しかし梁商は、受けなかった。
(我が長男は、何かがおかしい)
ただの謙遜だけではなく、梁商には懸念すべきことがあった。子の梁冀が、普通ではない。単なる知恵遅れならまだ可愛いが、そうでもない。世に出すのは、もう少し待ってからにしようと思った。
134年である。
「梁商を大将軍とする」
びっくりな詔が下った。
いまの世は、「外戚は至尊だから、何はなくても最高位!」というノリである。梁商が他の家の人ならば、転がりこんだ栄誉に浮かれて、ほいほいと任命を受けただろう。しかし梁商は、梁竦の孫である。すなわち、外戚にはどういうリスクがあるかも、なぜ外戚が貴ばれるかも、知り尽くした血が流れている。
下手に栄達すると、祖父が竇氏に族殺未遂されたように、つらい目に遭わねばならない。そのためには、自重が一番であった。
「私は病ですから、お受けいたしかねます」
梁商は、大将軍を辞退した。
翌135年に、太常の桓焉(列伝27)が、梁商の屋敷に勅命を持ってきた。
「大将軍になりなさい」
「断りきれませんか・・・」
梁商は観念した。門まで走って桓焉を迎え、命令を受けた。

梁商は、いつも言っていた。
「私は、外戚だから大位を得た
政務能力が抜群だから、大位にいるのではない。これを忘れないように、大きな紙に書いて壁に貼った。
彼はいつも謙虚で温和でいることを、心がけた。自分の意見を押し付けず、賢者を集めて意見を聴いた。漢陽郡の巨覧と上党郡の陳亀(列伝41)を招いて、掾属(補佐)とした。李固(列伝53)と周挙(列伝51)を、従事中郎としてアドバイスを求めた。
「おお!梁商は素晴らしい臣だなあ」
洛陽はどっと盛り上がった。
『東観漢記』によると、梁商は『韓詩』を若いときから学び、聡明で鋭敏だった。行動は雅びで、誠実だった。自宅で客をもてなすときは、寛和で粛敬であった。用いる衣装、奴隷や車馬は最小限だった。梁商は、人の憂いを己の憂いとし、人の楽しみを己の楽しみとした。
全てのコミュニケーションは共感から始まるが、必ずしも100%の共感が成立することはない。それでも梁商は、努力してシンクロする比率を上げようとした。
「凡人が上に立つには、共感の精度を上げるしかない」
梁商のこの信念は、人に受けが良かった。誰だって自分を分かってほしいし、認めてもらいたい。梁商は、人々の承認欲求を満たすことに心を砕いた。彼は最高位にあるから、人を任免・賞罰する権限がある。ますます人への目配りに手を抜けない。
梁商は疲れ始めた。
しかし順帝は、
「梁商に任せておけば、間違いない」
と言って、すっかり政治を委ねた。
「私の心労は、皇帝の心労を肩代わりしているものか」
梁商は、そんなことも考えた。皇帝とて、血筋ゆえに尊い位にある。だが采配の超人ではないから、試行錯誤である。後漢における外戚を再定義することが、梁氏の自分の使命だと、梁商は思い始めた。

飢饉があると梁商は、自分の国から上がった租税の穀物を、城門に載せた。
「天の恵みです。私のものではない。さあ、お食べ下さい」
決して恩着せがましくなく、賑与した。梁商は1つの私人ではなく、1つの氏族の家長でもない。天下を主宰する人なのだ。
梁商が一族の振る舞いに目を光らせたから、梁氏は権盛だったのに、法を犯さなかった。
もちろん理想が高いだけではなく、生き物としての防衛本能も働いている。
「権力を預かった後漢の外戚は、例外なく悲惨な末路を辿った。我が梁氏、竇氏、鄧氏、閻氏は、政争に敗れて抹殺された。梁氏は奇跡的に一命をとり止め、後漢では初めて2世で外戚となった。新しい外戚のあり方を探らねば、私の一族に未来はない」

天下を預けられた重圧と、一族の未来を探る重任があるから、梁商は臆病になった。性格は慎弱(引っ込み思案)となり、威厳を持って決断することがなく、宦官にヘイコラした。
順帝を即位させたのは、宦官だ。順帝は宦官を味方につけて、外戚・閻氏を倒した。遡れば、竇氏を倒したのも宦官である。
宦官を敵に回すと、外戚は滅ぶ。これは後漢の定理だ)
梁商はそう思ったから、宦官の抱き込みを試みた。
「小黄門(宦官)の曹節さまと、交友を持っておきなさい」
梁商は、2人の子に命じた。梁商に背中を押されたのは、侯爵を見合わされた梁冀と、弟の梁不疑である。
「そーせつくーん、あーそぼー」
梁冀と梁不疑は、きっとたっぷりの財物を引いて、曹節の門を叩いたのだろう。
「あーとーで」
ところが、どれだけ訪問しても、曹節は会ってくれなかった。宦官たちは、梁商が順帝から寵用されているのを、嫉妬していた。
「梁商め、許さじ」
極めてセコい発想だが、梁商が相手をしなければいけない宦官は、そういうものだ。いや、人間とは多かれ少なかれ、そういうものだ。

139年、順帝のところに報告が入った。
梁商は別の皇子を立てて、陛下を帝位から降ろすつもりです。大逆ですから、捕えて下さい。中常侍の曹騰もグルです」
訴えたのは、亜流の人物だ。中常侍の張逵とキョ政、内者令の石光、尚方令の傅福、冗従僕射の杜永である。
せっかく固有名詞を入力した後に自ら認めるのは残念だが、全員どうでもいい人たちだ。三國無双なら、オリジナルグラフィックが付かないどころか、名前すら登場しない。ときどき「副将」という肩書きで画面内にいるかも知れないが、プレイヤーは彼らだと気づかない。
梁商とセットにされた曹騰とは、曹操の義理の祖父だ。順帝との個人的紐帯がとても強い。梁商と接近しているわけではない。
順帝は、訴えを退けた。
梁商は朕と親しいし、曹騰を私は愛している。大逆なんてことは、絶対にない。君らが、梁商と曹騰をそねんでいるだけだろ」
ご名答である。
「やばい、はかりごとがバレた!」
二流キャラたちは懼れ、詔を偽造して、曹騰を逮捕した。曹騰を殺してしまい、口無しの死人にして、後から罪を捏造するつもりだ。お粗末な強硬手段である。
順帝は震怒した。曹騰を助け、二流キャラを全滅させた。
「まずいことになった」
顔を真っ青にしたのは、梁商である。罪の有無ではなくて、政争に自分の名が使われたことを、敏感に懼れたのだ。
「あれだけ慎重に振る舞ってきたのに、報われないことだ」
梁商は、順帝に上疏することにした。
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このコンテンツの目次
>破壊者・梁冀の血の成分
1)後漢の建国を輔けた
2)抑圧されたマザコン
3)気遣いの気疲れ
4)特権の預金残高
5)世襲できない血筋