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『三国志』への宿題、王莽伝
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2)儒教が生み出す「永遠」
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◆儒教の国教化の話
素人の理解で書きますが・・・
儒教は、武帝のときに官学化され(五経博士の設置)、御前ディベート大会を経るごと伸張した。宣帝のときの石渠閣会議、章帝のときの白虎観会議が、それだ。
ぼくが思うのは、 「儒教が国政に占めるウェイトは、
『漢は永遠だ』
という意識の成長と、ピタリと一致しているんじゃないか」
ということです。
武帝のときまでは、手腕の巧拙はいろいろだったが、皇帝や皇后が個人的に政治をしていた。 だが皇統のバトンリレーにモタつき、前漢後半から、幼帝や傍流からの即位が見られるようになると、
「仕組みで国政を回していこう」
という流れになったと思う。
「誰がやっても、一定水準以上のアウトプットが出せるように、業務を標準化しましょう。業務の暗黙知やノウハウを見える化しましょう」
現代風に言えば、そんなもの。
人は、いつか死ぬ。 だが組織(法人)は、死なないことになっている。今日の会計でいう、ゴーイングコンサーンの考え方だ。
漢王朝を、
「オヤジが元気なうちは、約束を守るよ。でも死んだら、チャラですわ」
という個人商店から、
「社長が代わっても、商取引上の責任は継続します」
という企業体に変える手続きだ。
◆儒教が選ばれた理由 儒教は、怪力乱神を語らず、死を語らない、とても都会的な、頭でっかちな思想体系だ。人間から生物学的な柔らかさを叩き出し、ロジカルにカッチリしたことを定義する。
生命の有限性を忘れさせ、「絶対に永遠に正しいもの」を決めてくれる。国家経営に、儒教はよく馴染むのだ。
例えば後漢は、
「親親」という儒教の教えを拠りどころにして、外戚に貴さを与えた。そのおかげで、皇太子が生まれない、皇帝が病気になる、若くして死ぬ、という人間が逃れられない生物学的なアクシデントに負けず、王朝が存続することができた。
早くも4代和帝のときから、すでに国勢はさっぱりだし、有能な皇帝も宰相も出ないんだが、後漢は200年の生命を保った。
「なぜ滅びないんだ」
と歴史ファンは不思議がり、同時に退屈するんだが(笑)儒教が作った仕組みの勝利だと思う。
余談ですが、
関羽が読書する姿だけで刺客を威圧してしまった、『春秋左氏伝』。これは、『春秋穀梁伝』に対抗して、前漢末に成立しました。
「孔子が書いた『春秋』をどう読み、現実の政治に活かすべきか」
という、ノウハウ本です。
『三国演義』で、関羽の威厳を表現するための小道具として持たせたようですが、、関羽の人生のどこに、読書の成果が現れたんだろうか。伏線の回収は、バッチリなのか(笑)
◆天に唾する思想?
王莽や光武帝が使い、三国時代にも定番になる考え方に、
「天人相関説」
「讖緯思想」
があります。為政者が馬鹿なことをやっていると、天罰が下る。天の意向は、神秘的な奇跡によって、人間に伝えられる。
本紀にミラクルが次々と記されると、
「儒教は、合理的な思想だと聞いていたが、非科学的な側面もあるんだなあ。ただの超常現象で、政権担当者を変えちゃうなんて、古代人は迷信深いなあ」
と、ぼくは呆れていました。
「どうせ、超常現象をでっち上げて、都合のいいように情報操作したんだろ。世論を、望むままに導いたんだろう」
と邪推したのが、次の段階でした。
だが、気づくべきは、そこではないのです。
考えてもみて下さい。 天や地が、わざわざ人間の行いに気を揉んで、いちいち口を出してくれるのです。激しく人間社会中心の思想なんだ。
◆正反対な『老子』
儒教と正反対のところに、『老子』があります。人為で組み立てた精巧な秩序体系を、
「余計な小細工は、やめちまえ」
と言って、ぶち壊します。 『老子』は、儒教が眼を背けてしまった
自然を語るし、死を語ります。
『老子』が示す「道」とは、
「見ても見えず、聞いても聞こえず、触っても触れず、この3つの性質を合わせても、まだ表し切らないほど、不確かなもの」
だそうです。
分からなさ過ぎて、気持ち悪い!
人間は、自然の全てを知ることができない。自然は、人間とは無関係に動いている。そういう畏れのようなものが、儒教の「天人相関説」にはありません。
歴史の本じゃないけど、池内了『物理学と神』集英社新書2002に、
「自然科学は、万有引力が距離の2乗に反比例すると、示すだけだ。なぜ2乗に反比例するのかは説明できない」
と書いてあった。その「なぜ」の部分を、西欧では、 「神が、そう決めた」 と表現して、あれこれ議論をしてきたらしい。
◆頭が作る永遠
漢帝国を、仕組みとして護持する儒教には、「道」や「神」はない。いや、あってはならない。
万能っぽい「天」は出てくるが、それは人間のロジカルな思考を、とことん理想まで煎じ詰めた存在だ。必ず論理的に説明できるし、理解できるものだ。理解できなくてはならない。
「こうあるべき」という命題の集合として、言語化できるものだ。
いちどテキストに落とし込まれて、文献すなわち「情報」に変換されたら、季節が変わろうが、人間の世代が代わろうが、永遠に変化しない。今日みても明日みても、同じことが書いてある。 代謝しない。
流転する自然の法則から、解き放たれる。蔡邕が石に刻んだ解釈は、永遠なのです。
◆『老子』を知りたい
本編と外れますが、メモ。
劉備のあざなは、『老子』が説くところの「玄徳」と、文字が同じだ。宮城谷さんの描く劉備は、『老子』の行動原理で乱世を渡る。 魏の明帝のとき、曹爽たちが老荘にかぶれた。なぜだろう。また後日。
次回から、王莽の人生を追いかけます。
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このコンテンツの目次
『三国志』への宿題、王莽伝
1)永遠の漢帝国
2)儒教が生み出す「永遠」
3)王莽の強みは語学力
4)平帝を毒殺していない
5)背理法の苦しみ
6)禅譲は、改革の延長
7)禁忌、異民族政策
8)光武帝は簒奪者だ
9)曹操への宿題
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