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『三国志』への宿題、王莽伝 4)平帝を毒殺していない
◆王莽への期待
王莽は名称にこだわり、形式から入る人だ。1キロカロリーも生産しないが、完璧な理屈を紡ぐことが得意だ。
友達になりたいかと言えば、それは別の話だが、、前漢末期の政治家へのニーズを、とても高いレベルで満たしている。
ニーズとは何かと言えば、
生身の人間の裁量ではなく、仕組みで動く統治機構を作ること」
だ。前々ページで書きました。
漢帝国では、陳勝が言い出して、劉邦が実践した、
「腕力のある人が、皇帝になれるぞ」
なんて幼稚くさい不文律は、すでに過去のものだ。中原には、逐うべき鹿は棲んでいないのだよ。

王莽へは期待が大きい。
王莽が娘を皇后にすることを渋ると、
「あなたが外戚にならなくて、どうやって秩序を保つのですか」
と訴える人が、千人単位で来たほどだ。

◆平帝の毒殺疑惑
平帝が崩じた。14歳だった。
のちに王莽に叛乱した人は、
「王莽は、平帝を毒殺した」
と触れ回った。
『王莽』の著者の東晋次氏は、毒殺したという明確な根拠がないと示し、王莽が置かれた状況を総合的にカウントして、想像するしかないと言うに留まった。

ぼくは確信しています。
王莽は、平帝を毒殺していない!
なぜなら、王莽はまだ改革の途中で、この時期に政権を降りるわけにはいかない。
「幼い君主と、老成した後見」
という構図は整っているのに、なぜ自ら崩すものか。後任に、成人皇帝が入り込む可能性がゼロじゃないのに、なぜそんなリスクを負うものか。

王莽の強さは、ロジックだ。
「私が政治を担当するのは、『春秋』のこういう記述に照らしたとき、正しいからだ。反論があれば、どうぞ。宰相の席は、譲りましょう。ただし、論破されても泣くなよ」
という体制だ。
もし平帝が14歳じゃなくて44歳だったら、もしかしたら毒殺したかも知れない。だって政敵に、
「王莽さん、あなたは自分を周公に重ねていますが、皇帝はすでに成人です。ちっとも構図が似ていない。あなたが執政するのは、論理的に正しくないんじゃありませんか」
と言われたら、退場するしかないので。

◆皇帝は2歳
平帝を亡くした王莽は、次の皇帝として、2歳の乳児を選んだ。孺子嬰と呼ばれる。
皇帝の候補はいくらでも他にいたから、
「王莽は、好きなように振る舞うため、乳児を皇帝に選んだ
と後ろ指を差された。
違う!
王莽にとって政治は、全くラクなものじゃない。鋭い頭をフル回転させて、改革政策を矢継ぎ早に打たねばならない。酒池肉林なんて興味はなく、身の回りは潔白だ。財貨を貯めないのはもちろん、小さな罪を肉親が犯せば自殺させた。
「孫娘の董白まで、高位に昇り・・・」
みたいな、後漢末のおっさんと並べて表記してはいけない。

じゃあなぜ、乳児を選んだか。
「幼い君主と、老成した後見」
という構図を、1年でも長く保つためだ。王莽はこのとき50歳を越えてる。孺子嬰がこのまま育ってくれれば、おそらく王莽が死ぬまで、君主の年齢のことで悩まなくてすむ。
自分の論理の弱点を、やっと完全に摘み取った瞬間だったわけだ。
時間が経つだけで、自動的に矛盾が生じて瓦解する」
そんな学説を、自分が政権を担当する拠りどころにしていることが、賢い王莽には耐えられなかっただろう。

◆毒殺説へ反論
毒殺説を唱える人は、
「14歳の平帝だと、大人しい傀儡にならないから殺し、2歳の孺子嬰を皇帝に据えた」
と言うが、筋が通らない。

もしあと2年経ち、14歳の平帝がもし16歳になっても、王莽が政権担当であることは揺らがない。政治は高度化して難しくなっているから、平帝がよほどの秀才でも、口を挟めない。
まして秀才でもない。
平帝の母系親族は排除してあるから、先代の哀帝のときのように、外戚から妨害を受ける心配はない。予防はすでに万全だから、このタイミングで平帝を殺す必要はなかった。

だが、平帝が病死したということは、覆らない現実だ。平帝の治世継続という選択肢を、王莽は採れない。蘇生術を使えないんだもん。
だったら、できるだけ若い皇帝を探すのが、苦肉の次善の策だろう。
毒殺がなくても、王莽が2歳の皇帝を担いだ理由を、矛盾なく説明できる。ぼくは、そう思う。

◆性格の側面から
王莽は、長男が他家の奴隷を殺したとき、当時の制度に照らせばそれほど罪にならないのに、自殺を命じた。
同じ構図で、身内にちょっとした不貞や不善や不心得があると、 厳しく追及した。息子の半分以上を殺した。
妻は、王莽の家族への仕打ちが耐えられなくて、失明したほどだ。

「政敵から漬け込まれる隙を、徹底的に消した」
と東晋次氏は述べていた。
もちろんそれもあるだろうが、第一ではない。
王莽は正義感が強く、裏表がなかった。自分に求める厳しさと同じものを、身内にも求めた。
そういう性格が発動して、親族を殺しまくったんだと思う。

いわゆる「大人」の老獪さを、王莽はあまり持たない。老獪とはすなわち、白を黒と言いくるめて、そのくせ涼しい顔をしていることだ。だが王莽にかかれば、
白は黒ではないから、その認識は誤っている。白は白であると、訂正しなければならない」
となる。
何が言いたいかと言うと、もし王莽が平帝を毒殺していたら、自責してとっくに自殺していたに違いないのだ。王莽は自殺していないから、毒殺をしていない。

王莽は平帝が寝込むと、王莽は自分を周公に重ねて、平癒の祈りに熱中した。周公は、兄の武王のために祈った故事がある。
これは政治的演出でありつつも、真心から出た行為だ。
のちに叛乱軍は、
「王莽は平帝を毒殺した。だから討つべきだ」
と掲げて、長安を目指した。王莽は慌てて平帝のために祈った証拠となる文書を出してきて、大衆に示している。
叛乱軍を懼れて、王莽の精神は半ば崩壊してしまう。食うや食わずでフラフラなのに、文書の内容を叮嚀に説明して回っている姿に、王莽の素顔を見る気がするのです。
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このコンテンツの目次
『三国志』への宿題、王莽伝
1)永遠の漢帝国
2)儒教が生み出す「永遠」
3)王莽の強みは語学力
4)平帝を毒殺していない
5)背理法の苦しみ
6)禅譲は、改革の延長
7)禁忌、異民族政策
8)光武帝は簒奪者だ
9)曹操への宿題