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『三国志』への宿題、王莽伝
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8)光武帝は簒奪者だ
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◆土地政策は影響小
さて中国の歴史書は、経済史が面白くない。
「限田制」「王田制」や、西晋の「課田制」「占田制」も、現代の学者たちが読んでも、いまいち内容が分からない。
歴史官の記述がアヤフヤということは、古代中国の為政者は、土地政策に暗かったということじゃないか。あんまり緻密な政策を打ってないから、記述量は減るし、内容も分かりにくくなる。
ドイツのどこやら地方の経済史と比定するのは、とても不自由だ。ぼくはここでは、
「王田制が、新王朝滅亡のメインの理由ではない」
と言っておけば充分な気がする。
皇帝がどう言おうが、在地には在地の掟があっただろう。
「皇帝が命じた土地政策のせいで、飯が食えない」
なんて言い出すヒ弱な人は、土地経営なんかしていない(笑)
現代だって、中国の人口が不明だってのに。
それに王田制は、撤回されている。撤回したものを責めることが、長年の戦争の動機になるものか。
貧民が大移動を始めたとき、王莽は、 「官倉を開け」
と命じた。東晋次氏は、 「倉を開いて、それでどうするのか。王莽は戦略がない」
と批判している。
――厳し過ぎやしないか。
たとえば賢者の典型とされる諸葛亮が、この局面で政権を任されたとする。何をするか。同じことしかできない。耕地拡大しても、今日の飢えは防げない。
王莽が責められるべきは、異民族と対立を構えて、国富を食い散らかしたことだ。ない袖を触れないこの段階で、 「経済政策が、行き当たりばったり」
と責めても仕方ない。
◆戦争は苦手なんです
長安に攻め込まれて、ろくに防戦もできずに、王莽は負けた。
王莽がやったのは、叛乱軍が出した檄文への反論だ。
王莽らしい!
何を言おうが、言うまいが、兵と兵をぶつけて勝てば勝ち、負ければ負けで、それで終わりなんだけど(笑)指揮官としての王莽は、とても頼りない。酒を飲み、変色して、わけの分からんマジナイに没頭した。
戦闘というのは、人間の営みの中で、不確定要素が多い行為だ。
「勝敗は兵家の常」
と言えるのは、よほど達観した人か、粘り強い人か、開き直った人である。王莽は、そのいずれでもなかった。できるなら戦争のシミュレーションを、緻密に組み立てたい。微調整に微調整を重ねて、10年の歳月をかけて完成させ、学者たちに発表したい。
ぼくが王莽なら、こう考えますね。
もちろん、そんな王莽の興味が聞き届けられるはずもなく、王莽の首は宛城に晒された。
◆劉秀による放伐
王莽が漢から新を作ったとき、血は流れなかった。だが、劉秀が新から漢を作ったとき、血が大量に流れた。どっちが野蛮で、後世から見咎められるべき行為なんだよ。
王莽がやったことこそ「禅譲」で、劉秀がやったのが「放伐」だ。
「王莽が、前漢と後漢を分断した」
のではない。
「劉秀は新を滅ぼし、その前身たる前漢も消えてしまった」
が正確だろう。
国の連続性を考えるとき、都の位置で語ることは、意味があると思う。 前漢と新は、長安だ。後漢は、洛陽だ。ほら、断絶の線を1本引くならば、前漢と新の間ではなく、新と後漢の間じゃないか。
次は最終回、『三国志』に帰ってきます。
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このコンテンツの目次
『三国志』への宿題、王莽伝
1)永遠の漢帝国
2)儒教が生み出す「永遠」
3)王莽の強みは語学力
4)平帝を毒殺していない
5)背理法の苦しみ
6)禅譲は、改革の延長
7)禁忌、異民族政策
8)光武帝は簒奪者だ
9)曹操への宿題
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