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(C)2007-2009 ひろお
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『三国志』への宿題、王莽伝 7)禁忌、異民族政策
◆匈奴との対立
王莽の新が滅びたのは、外交の失敗です。
「土に二王なし」
という言葉に象徴化されるように、王莽は新王朝を中夏のトップに据えて、あとは見下した。単于は名を変えろ、印の文字を格下げせよ、と無茶な要求を出した。
そして、前漢の武帝よろしく、対匈奴戦争 を試みた。

◆異民族とは「自然」だ
今回の文書の2)儒教が生み出す「永遠」で、儒教とは人間の頭の中の秩序だけを語る、都市的な思想体系だと、ぼくは言いました。
都市の人は、自然を見ようとしません。
「AならばBである」
という命題の集合で、この世の全てを表せると思っています。論理的に説明できないものは、無視されます。

養老孟司氏の『バカの壁』で書かれている、「バカ」は都市の人のことです。身体(死体)という自然に目を向けず、一元論だけで考える人が「バカ」なのです。
別の話。
ストレスを貯めて体調がおかしくなる人は、頭で組み立てた「こうあるべき」という命題を、強迫的に信じています。命題は、理屈としては矛盾がないはずなのに、身体が悲鳴をあげます。これが心身症。
歴史の話に戻します。
儒学というのは、中原の人が秩序を築くために、論理的に正しい。しかし、見落としている要素もある。
都市の人が自然の複雑さや不確実性を無視するように、心身症の人が身体の声を聞かないように、異民族を見落としている。

「中夏は軍事・文化において、四夷に優越している」
これは、ある一面は正解だし、時代や土地によっては、不正解です。異民族は多種多様で、全貌を捉えきれない。しかし、そういう曖昧さを、儒教はカバーできていない。
「異民族は、中夏にひざまずくべきなんだ」
という「あるべき論」を、硬直して押し付け続けるだけだ。これが、王莽が実践した儒学だ。そして、『ドラゴンボール』にある、上半身だけになったフリーザの最終攻撃に通じる(笑)

◆禁忌でないものと、禁忌
話を少し戻すが、王莽が発明した「禅譲」という漢の改革は、受け入れられるのに時間がかかった。新しい官名・地名も、いきなりの変更だから、少なからず戸惑った。
「面倒くせえよ!分からねえよ!」
という苦情が出ただろう。だからと言って、命をかけて叛乱する本当の動機にはならない。なぜなら、漢代の官制は、人が脳内に抱いているフィクションに過ぎず、新代の官制もまたフィクションだ。
脳内で完結できる話は、大問題にならない。禁忌とは呼ばない。
王莽に敵対する人に、悪政を数え上げるときの材料を提供しただろうが、それだけだ。

対して異民族政策の失敗は、禁忌だ。脳内のフィクションを切り替えて、チャラとはならない。
リアルに国力を疲弊させた。脳が捉えきれない、自然への敗北だ。

後世人に許されたマクロな視点で論じれば、べつに漢民族だけが独り特出しているわけじゃない。劉邦のときに匈奴の捕虜になり、屈辱的な兄弟同盟を結んだ。
あの武帝が匈奴と戦ったが、益がなかった。
「統一権力が、全宇宙を治めるべきだ」
「君臨するのは、我が民族であるべきだ」
これは、どだい無理なんだ。
21世紀にいたるまで、この命題に背中を突き飛ばされて、人類はさんざん殺しあってきたが、無理だった。挫折ではない。それが均衡点らしい、というだけだ。

禁忌を犯せば、罰が下る。
前漢の武帝のときは、文帝と景帝のときの貯蓄があったから、外征による消耗を吸収できた。だが王莽には、ポケットがない。
新への反旗の一番手は、赤眉の乱。
王莽の側近の会話。
「赤眉は、軍律も檄文も旗印がないんだ。なぜかな」
「彼らは新のイデオロギーに叛乱したんじゃない。ただ腹が減っているだけなんだ
これが、新王朝の滅亡理由を示していると思う。

貧民が起こした混乱に乗じて、諸劉氏が立ち上がり、戦う理由をイデオロギー対立にすり替えた。
「王莽は、平帝を毒殺して、劉氏から天下を奪った。許せない」
異民族政策の失敗を、都合よく利用された。
◆後漢、魏晋への展望
前漢後半は、やや圧迫されつつも、外交は成立していた。
だが、 せっかく順調だった異民族政策を、王莽がかき回した。国境の対立とか、資源の奪いとかなら、まだドライなものだ。怨みは残らない。しかし王莽は周辺民族に、露骨な侮蔑をはたらいた。
王莽による負の遺産は、後漢に確かに引き継がれた。
光武帝は、
「西域経営には、関わりたくない」
という閉鎖的な方針を取った。世界史の教科書に出てくる領域図で、前漢に比べて後漢がしょぼいのは、王莽のせいです。

王莽が犯した禁忌が、ただ新王朝だけを滅ぼすならば、それでいい。しかし王莽は、後世にまで宿題を残してしまった。
後漢は、ずっと異民族の惑乱に、迷惑を受け続ける。
異民族に、
「あれは王莽がやったこと。今は後漢なんだ。王莽と敵対した政権だ。王莽がやった強圧的な外交は、水に流してね」
と言ったところで、知った話でなない。表面的には繕えても、根深い傷は消せなかろう。

話が飛ぶが、本当に飛ぶが、311年に西晋の洛陽を、匈奴に陥落させられる時限爆弾を、王莽がセットしたと言ってもいい。
王莽が責められるとしたら、
「簒奪者」
としてではなく、
「異民族政策の失敗者」
としてだろう。次回、王莽に死んでもらいます。
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このコンテンツの目次
『三国志』への宿題、王莽伝
1)永遠の漢帝国
2)儒教が生み出す「永遠」
3)王莽の強みは語学力
4)平帝を毒殺していない
5)背理法の苦しみ
6)禅譲は、改革の延長
7)禁忌、異民族政策
8)光武帝は簒奪者だ
9)曹操への宿題