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(C)2007-2009 ひろお
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劉備統一のシナリオ、廖立伝 2)もうひとりの戦略家
◆廖立の存在価値
人が人の生きた意味や価値を、どうこう論じることはできません。
しかし、三国ファンとして、廖立が物語の広がりにどういう意味を添えたか論じることなら、ぼくにもできる。

廖立は、戦略を描けるタイプの秀才です。『演義』のみならず、陳寿の列伝構成を見ても、戦略家として、諸葛亮だけが際立っている。だが、劉備の下には、戦略タイプがもう1人いたんだね。
そして、
「もし諸葛亮と違うやり方で、劉備に天下を取らせるなら」
というイフ物語を、まさに同時代の劉備幕下にいて考えていた人だ。

◆出師の表への反論
廖立の窓際の遠吠えを、前ページで引いた。
あれは何かと言えば、出師の表に対決を挑んだ、反論文だ。
なぜそんなことが言えるかと言えば、構成が同じだからだ。
まず国の現状を述べる。次に、国の歴史を復習する。最後に、用いるべき人材像を示す。
ひとつひとつ確認していく。

1)国の現状
諸葛亮の出師の表曰く、
「劉備さまは、天下統一の途中で崩御された。天下は三分し、益州は疲弊して、生き死にの瀬戸際である。そんなときこそ、亡き劉備さまの徳を輝かせよう
廖立が反論して曰く、
「劉備は今までミスってばかりで、現状はろくでもない。いま北伐をしようとしているが、まだ反省が足りていない。先代を賛美する前に、まず反省をしろよ、反省を」

2)国の歴史の復習
諸葛亮の出師の表曰く、
「劉備さまは、私を三顧ノ礼で招きました。私が戦略を描いて、国は強くなりました。南方は平定され、いま北方を攻め、洛陽を回復しようとしています」
廖立が反論して曰く、
「諸葛亮が戦略を立てているそうだが、漢中でも荊州でもドジを踏み、あやうく国が滅びそうだった。計画は外れてばかりだ」

3)人材の顔ぶれについて
諸葛亮の出師の表曰く、
「劉備さまは、人材の登用が上手かった。郭攸之、費禕、董允、向寵は、いい臣だ
廖立が反論して曰く、
「デタラメなことをする人材ばかりが用いられている。向朗、文恭、馬良、馬謖、王連は、みんなダメだ

まるで子供のケンカのように、正反対を言っている。蒋琬みたいな諸葛亮の子飼いに向って、ペラペラと諸葛亮の非難をしたんだから、やり口が屈折している。
◆「助ける人材」ではない
廖立は20歳代で太守になるほど、切れ者だ。諸葛亮は、仕官したばかりの廖立を、
「私を助ける人材だ」
孫権の臣に向かって宣伝した。そのくせ諸葛亮は丞相になると、廖立を長水校尉に左遷した。これが何を意味するか。諸葛亮はきっと、
「廖立は、私と両立しない」
と判断したのだ。
しょうもないダジャレだが、陳寿を読むとそういう結果になる。

諸葛亮は、自分を助けてくれる人が欲しかった。
頭のいい廖立は、仕官の直後、諸葛亮にそういう役割を期待された。諸葛亮は、けっこうワンマンである。
だが廖立は、諸葛亮が期待した枠には収まらなかった。諸葛亮と年齢の近い廖立は、諸葛亮のライバルになってしまった。
戦略を描くタイプが2人いたら、役割が重なるから、潰しあってしまう。諸葛亮体制では、お荷物になった。

廖立が、諸葛亮が使っている人たちを、軒並み批判している。批判の文句は、「平凡だ」「志が低い」「自己主張がない」だ。
こんな批判をこうむる人たちの性格を想像すれば、
「ワンマンなボスが、手足として使いやすいイエスマン」
というキャラが出来上がる。
変な主張を持ち出さず、言われたことを、ハイハイと遂行する。人柄は誠実だから、仕事を安心して振れる。事務遂行力に長けていて、短時間で仕事が片付く。
出師の表で褒めちぎられているのは、こういう事務官たちだ。

◆もしもの話
諸葛亮の方が、廖立よりも、劉備に先に仕えた。だから、戦略の優劣は別にして、諸葛亮の方が立場が上である。諸葛亮は、足場固めに隙がないから、廖立は日の目を見ない。
そんなこと百も承知で、イフを検討する。もし廖立が軍師だったら、何をやるか。

◆必然じゃない劉備
何かをやるとは、何かをやらないことだ。右に行くとは、左に行かないことである。
劉備が荊州南部を得てから、関羽が荊州を失うまで、あたかも他に選択の余地のない一本道を、諸葛亮のプロデュースに忠実に、蜀漢の英雄たちは選んできたという印象がある。関羽の失敗すら、必然という気すらしてくる。
しかし、本当にそうか。
劉備が選ばなかったやり方が、例えば廖立の戦略だ。廖立の軍師ぶりを推測する準備として、まずは諸葛亮がやったことを振り返る。

いま思い返してみれば、劉備の動きは、けっこうグズグズだ。神算が紡ぐ、美しい一貫性などない。
「仁徳者ゆえの優柔不断」
だけでは、説明が付かないほどのノープランである。
劉璋に招かれたとき、乗っ取るのか味方するのか、よく分からん。張魯に向って進軍しても、攻めるのか守るのか、無視するのか同調するのか、分からん。荊州問題で孫権と対立したとき、荊州を堅持するのか、孫権と仲良くやるのか、分からん。劉璋を攻めるとき、荊州と益州の人材をどうしたいのか、分からん。
まるで、初めて三国志のシミュレーションで出陣するとき、能力の高い順に部将を選び、自城には「その他」だけ残ってしまったような、テキトーさである。関羽に荊州を任せようという積極的な意味はなく、益州攻めの人選をしたら、たまたま関羽が残っただけ、みたいな。

◆関羽の苦悩
もしぼくが、関羽から、
「関羽様が、お前の言うことに、何でも従います券」
をプレゼントされたとする。プライドが秦嶺山脈よりも高い関羽が、ぼくに従ってくれる。想像しただけでも想像できないが(笑)ぼくはどんなアドバイスが出来るだろうか。
・・・分からん。
孫権とケンカしてはいけない。だが孫権が荊州を欲しがっても、防がねばならない。アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような、矛盾した大方針を託されて、手元に人材は乏しい。
関羽がしくじったのは、諸葛亮の段取りが悪いせいだ。
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このコンテンツの目次
劉備統一のシナリオ、廖立伝
1)廖立の列伝まとめ
2)もうひとりの戦略家
3)軍師・廖化のイフ物語
4)残念なのは・・・