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『[三国志]に学ぶリストラ』を読む 2)諸葛亮のリストラ
◆放浪劉備のリストラ
劉備は、長阪で敗走した。付いてきた10万の民は、曹操に奪われた。これは劉備が、どの程度の人数を抱えるか(抱えられるか)という計算なしに行動したゆえの失敗だ。
民衆を見捨てれば、江陵を取れたのに、しなかった。江陵は奪われ、民衆も奪われた。得るものはゼロ。
このときの劉備みたいに「人こそ全てだ。切り捨てない」という経営者は多いが、活用&扶養する計画がなければ、失敗する。
主も従も不幸だ。
掌握できていない人数を抱えては、反対者やスパイが紛れ込むリスクもある。董卓のように。

劉備は、劉璋から益州を乗っ取った。
入蜀した劉備は、劉璋が使っていた官吏を、現状維持した役職で、吸収せねばならなかった。だから蜀漢が降伏したとき、人口の割りにやけに官吏が多かった(孫皓伝の『晋陽秋』より)。
劉璋には明確な落ち度はなく、戦火をいやがる民は多かった。だから、批判者を下野させるのは危険だった。

◆漢中王のリストラ
多くの官吏を養いたくても、州の生産力では限界がある。
組織を膨張させるため、劉備は漢中王になった。
同時期の曹操の組織と比べると、漢中王・劉備のところは、九卿以上の官吏が、とても手薄だ。
そのこころは、 位が低くて俸禄は安いが、きちんと働く若手官僚を多く用いて、人件費を浮かした、である。

中間管理職のポストが少ない。
劉璋の旧臣である彭羕があぶれた。治中従事から江陽太守に左遷された。不満に思って、彭羕は馬超に謀反を持ちかけた。馬超に告げ口されて、彭羕は殺された。
諸葛亮は彭羕の命を助ける裁量権があったが、組織に不要な人を抱える余裕はなく、彭羕を助けなかった。
諸葛亮は、劉備が漢中王になったときは、ただの軍師将軍。劉備が蜀帝に即位したときは、丞相&録尚書事&司隷校尉だ。先入観を除けば、諸葛亮はこの数年間で、邪魔者を押しのけて権力闘争に勝利したと見ることができる。

◆諸葛亮のリストラ
劉備が死んだとき、黄元が叛乱した。
黄元は、劉備の死に乗じて、蜀を覆そうとしたのではない。黄元がやったのは、諸葛亮に対する抵抗だ。劉備は、黄元の職務能力(の低さ)を許容してくれたが、諸葛亮が仕切ると、黄元はリストラされる。だから自発的に叛乱した。
また雍闓は、諸葛亮に誘導されて叛乱した。
それまで雍闓は、孫呉とやんわり手を結んでいた。だが諸葛亮は、蜀漢と孫呉の国交を回復させ、雍闓を交渉材料に使った。
黄元も雍闓も、諸葛亮に除かれた。諸葛亮は、体制を強化するために、手を汚してリストラをする。

諸葛亮の北伐は、人材不足だった。
若手の養成は間に合わず、即戦力の引き抜きも高コスト。決まった歳入の中でやりくりするには、「官職を約す(体制を簡素にする)」という、引き算のリストラをするしかなかった。
養成に関しては、馬謖は街亭で失敗したが、丞相府を代行した蒋琬、軍中に帯同させた費禕は成功した。引き抜きは、孟達に失敗したが、姜維には成功した。

このころ廖立が巴郡太守から長水校尉に降格され、孔明への批判をを書いた。この批判が的を射ていて、蜀の失敗を予言している。蜀が小国なので、ポストの配分に失敗した例だ。
(廖立の意見は面白いので、近々扱います)

組織が完成すると、小さなミスが許されなくなる。于禁は、曹操には許されたが、曹丕に許されなかった。
さて諸葛亮は、兵糧輸送に失敗した。木牛流馬が役に立たなかった。李厳は諸葛亮を守るため、打ち合わせをして、クビになる芝居を打った。時間が経てば、戻す約束だった。だが諸葛亮は、李厳を復帰させる前に死んだ。だから李厳は、
「諸葛亮が死んだから、もう未来はない」
と嘆いた。トップが交代すると、明文化されていない暗黙の諒解がご破算になり、悲しむ人が多い。
李厳と同じ話が、魏延にもある。
魏延は、漢中の守護神だ。功績は明らかだ。
諸葛亮が生きているうち、魏延は、
「自分はもっと評価されるべきだ。諸葛亮に、借りを作っている」
という意識だった。
だが諸葛亮が死ぬと、蜀漢の組織では、魏延の使い方を見出せなかった。魏延は、不安定な組織の犠牲となり、殺された。

諸葛亮は引き算のリストラをして、貧しい国力を切り盛りした。人材不足を埋めきれず、過労死した。
◆アンチ『演義』
渡辺氏の組織論は、まとめ終わりました。
だが、これじゃあ終わらない。

どうやら渡辺氏は、組織論を書けと編集者に命じられたが、それだけでは飽き足らず、『演義』が作った、キャライメージの打破も、もう1つのテーマとして執筆をなさっている。94年時点だと、正史派は圧倒的に不利なんだろうか。
ぼくはファン歴が04年からなので、当時の雰囲気を知りません。

ある『演義』ファンは、渡辺氏にこう言うらしい。
「陳寿が歴史家とは言え、事実を正確に記録できはしない。そんなに正史を礼賛するなよ」
こんな考えの人を、渡辺氏は厳しく批判する。
「確かに陳寿が、100%正しくはないだろう。だが、まず正史に何が書いてあるか、叮嚀に読め。正史の記述を理解しない内から、正史を批判するな。物語の世界に浸って、惚けるな」

渡辺氏は、曹操の章で「曹操は小ズルイ悪役ではない」と、何回も言っていた。資金力、頭の良さ、進歩性という3つの美点を持った人だと。進歩性があるゆえに、見方を変えれば不品行に映ってしまうが、実は違うのだ、とフォローしていた。
諸葛亮のところでは、諸葛玄と夷陵ノ戦について、面白い指摘があった。組織論ではないけど、次回、書き留めておきます。
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このコンテンツの目次
『[三国志]に学ぶリストラ』を読む
1)董卓と曹操のリストラ
2)諸葛亮のリストラ
3)渡辺氏の盲点、禅譲
4)リストラ必須な西晋