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『[三国志]に学ぶリストラ』を読む
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3)渡辺氏の盲点、禅譲
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◆諸葛亮の私怨
『献帝春秋』を信じれば196年の後半の出来事。 袁術に豫章太守に任じられた諸葛玄(諸葛亮の叔父)は、着任を妨げられて殺された。諸葛玄を殺した黒幕は、曹操かも知れない。曹操は、袁術の勢力拡大を嫌い、「勅命を帯びたホンモノの豫章太守」の朱皓を送り込んで、諸葛玄にぶつけた。
諸葛亮は、諸葛玄を殺した曹操を怨んだ。私怨の意趣返しとして、曹操に仕官することを拒み、曹操の敵である劉備に仕えた。 このストーリーは、小説としては面白いが、諸葛亮がチッポケなヤツになる。だから『演義』は、この正史ネタを無視した。『演義』の諸葛亮は、大義に生きるオオモノに仕上がった。
◆夷陵開戦の理由
夷陵の戦いは、『演義』では劉備の私憤が原因となっている。だが陳寿の「陸遜伝」を読むと、先に仕掛けたのは孫呉だと読める。 曰く、
「陸遜は李異と謝旌に命じ、蜀将のタン晏と陳鳳を攻撃させた。また陸遜は、秭帰の豪族、文布と鄧凱を攻撃させた。豪族は蜀に逃げた」
と。劉備が軍を動かしたのは、現実的脅威(侵入される)への対処だ。
劉備を諌めた黄権だって、
「劉備さまご自身で行くのは、危険です」
とは言っているが、
「孫呉を攻めてはいけません」
とは言っていない。夷陵の敗戦は蜀に大ダメージだったが、
「負けた。だから開戦してはいけなかったのだ」
と、後から手繰って劉備を批判するのは、的外れである。
ここに引用しなかっただけでも、たくさんの『演義』派への疑義が、提出されていた。
編集者と渡辺氏は、あまり打ち合わせしなかったのか(笑)
◆渡辺氏の盲点
ここからはぼくの感じたことを書きます。
いちばんに指摘したいのは、 「渡辺氏は『演義』派に対し、曹操を名誉回復することに熱心だ。熱心のあまり、曹操が皇帝にならずに死んだという(挫折とも言える)結末に意味づけをしていない」
ということ。
渡辺氏の議論の進め方に則れば、
「曹操は、ポストの創出が上手かった。最も多くのポストを作り、臣下に名誉を与えられるのは、自分が皇帝になることだ。それをよく分かっていた曹操は、皇帝になりましたとさ」
こうあるべきだ。
じゃあ、なぜ曹操は皇帝にならなかったのか。正統論とか儒教論とか、そういう「いつもの分析のやりかた」ではなく、リストラという切り口から説明する責任が残っているだろう。
それを補おうというのが、ぼくの試み。
◆天下統一へのバッファ
結論。曹操は全土統一してから、即位するつもりだった。
「天下統一する前に、すでに皇帝に昇っていたら、統一したときに困るだろう。功臣が昇る官位にバッファが少なければ、ありがたみのある恩賞が出せない」
これだけで、充分に説明がつく。
呉蜀を残したまま、魏の君主は皇帝になってはいけない。さもなくば、もし蜀を滅ぼしたら「超皇帝」になり、ついに呉を滅ぼしたら「超皇帝2」を名乗り・・・なんてことになる。ドラゴンボールだ。
曹操の死後、曹丕は群臣に押し上げられて、やむなく皇帝になる。 しかし、当たり前だが、己の死後の展開を一切知らない曹操が、
「私は周の文王になろう」
言ったときの気持ちを推測するなら、
「天下は、やがて曹丕が統一するだろう。あと1つしか残っていない、組織の伸びしろ(王→皇帝)は、統一してから使え」 が適切なはず。
渡辺氏に則ってアドバイスするなら、 「組織の膨張は、後戻りができない。いちど皇帝になったら、曹氏が滅ぶか、皇帝を続けるかしか、選択肢が残らない。くれぐれも、慎重にやれ」
となる。 まちがっても、 「ああ!天下統一は、当分は無理だ。国土は充分に広いんだから、曹丕は皇帝になっていい。国土の条件は同じだから、オレが即位してもいいが、1代で革命を完成すると、抵抗が大きい。2代に渡って、じんわりと皇帝の位を移す作戦にしよう」
ではない。1代で革命して反発されるなら、2代かけても3代かけても反発される。世代を重ねてお茶を濁し、それでどうにかなるほど、易姓革命は優しくない。先送りは無意味だ。
じゃあどんな要件を満たせば、皇帝を名乗って良いかというと、全土を統一すること。始皇帝のときの定義からして、これ以上でも以下でもない。曹操は、禅譲作業ではなく、統一事業を曹丕に託した。
◆三国が鼎立した理由
曹操の思惑は、たちまち虚しくなった。群臣は「魏王の臣下」では満足できず、曹丕を皇帝に押し上げた。
曹操は適切な力加減で、膨張とリストラをチューニングした。だが曹丕は、本当は膨張してはいけないときに、膨張をしてしまった。 ぼくが曹丕だったら上手くやれるという意味では全くないが、それでも理想論を述べるなら、曹丕は臣下からの皇帝即位の要請を、断り抜くべきだった。三度と言わず、百度でも。
ちゃっちくなるけど、元がビジネス本なので、会社に例えます。
利益は以前のまま中堅企業なのに、労働組合の突き上げに耐え切れず、社員の待遇を大企業並みに上げてしまった。社員はとりあえず明日の生活は贅沢になるから、嬉しい。ランクアップした肩書きの名刺を刷り、自慢げだ。
社長は、焦った。社員にやる気を出してもらい、名実ともに大企業にしなければならない。さもなくば、人件費過多で、倒産してしまう。社長自ら営業をかけて、命を削って過労死。。
社員の士気はどうかと言えば、あまり頑張らない。
「私は、いま課長。次に大仕事をやり遂げても、課長のまま。頑張っても、頑張らなくても、同じ。だったら、頑張らない」
となる。
もともと係長の仕事しかしない人に、課長の給与をあげてる。もし本来の課長の仕事をしても、部長の給与は出せない。
ある日、もし課長が手柄を立てたら、経営者は嬉しそうに言う。 「課長。やっとキミは、今の給与に釣り合う働きをした。ありがとう。さらに努力して、今度は部長を目指すんだ。昇給はその後だ」
と言われても、えー!昇給先送りかよ?と思うだけだ(笑)
◆曹丕の自覚
下世話極まりない例だったが、三国が鼎立した理由は、こういうこと。
全土を統一しても、統一しなくても、今の位は保障される。魏呉蜀で三公の取り合いをせず、9人の三公が出現できる(官制が違うから、単純に掛け算はできないが)。
三国初期の経営者は、
「割拠政権のくせに、皇帝号を名乗ってしまった」
という自覚がある。だから膨張した名称に実態を近づけようと、過労死するまで働く。曹丕、諸葛亮あたりがそうだ。だが、初めからインフレした官位しか知らない人は、焦らない。統一への機運が下がる。
曹丕は、自分(魏の皇帝)が「魏王」に過ぎなくて、曹植の鄄城王が「鄄城公」に過ぎないと思っていた。 「曹丕は、後継問題に懲りて、宗室を冷遇した」
と言われるが、それは理由の全てじゃないかも?
「まずは経営者の親族の役員報酬を削り、多すぎる人件費を補おう。経営者の親族を、率先してリストラして、組織を再構築しよう」
というストーリーはどうだろう。思いつきで書きましたが。
次回は、リストラの観点から、晋代へのつながりを確認します。
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このコンテンツの目次
『[三国志]に学ぶリストラ』を読む
1)董卓と曹操のリストラ
2)諸葛亮のリストラ
3)渡辺氏の盲点、禅譲
4)リストラ必須な西晋
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