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『晋書』列伝70、反逆者の列伝 6)王如
王如
王如,京兆新豐人也。初為州武吏,遇亂流移至宛。時諸流人有詔並遣還鄉里,如以關中荒殘,不願歸。征南將軍山簡、南中郎將杜蕤各遣兵送之,而促期令發。如遂潛結諸無賴少年,夜襲二軍,破之。杜蕤悉眾擊如,戰于涅陽,蕤軍大敗。山簡不能禦,移屯夏口,如又破襄城。於是南安龐實、馮翊嚴嶷、長安侯脫等各帥其党攻諸城鎮,多殺令長以應之。未幾,眾至四五萬,自號大將軍,領司、雍二州牧。

王如は、京兆尹は新豐県のである。
はじめ州の武吏となった。戦乱に遭い、居場所が流れて移り、宛城に至った。
「もろもろの流人は、故郷に還れ」
という詔が出た。だが王如は、故郷のある関中が荒殘しているので、帰りたくないと願った。
征南將軍の山簡、南中郎將の杜蕤は、それぞれ兵を送って、流人の帰郷を促した。王如はひそかに無賴の若者たちと手を組み、二軍を夜襲して破った。
杜蕤は全軍を率いて、王如と涅陽で戦った。杜蕤の軍は大敗した。山簡も防ぎきれず、夏口に移って駐屯した。王如は、襄城も破った。
南安の龐實、馮翊の嚴嶷、長安の侯脫らは、それぞれ郎党を率いて、自分が住んでいる行政区分の城鎮を攻めた。県令や県長を多く殺して、王如に呼応した。またたく間に、叛徒は4、5万になった。
王如は、みずから、
「大將軍、領司・雍二州牧」
を名乗った。

如懼石勒之攻己也,乃厚賄於勒,結為兄弟,勒亦假其強而納之。時侯脫據宛,與如不協,如說勒曰:「侯脫雖名漢臣,其實漢賊。如常恐其來襲,兄宜備之。」勒素怒脫貳己,憚如脣齒,故不攻之。及聞如言,甚悅,遂夜令三軍蓐食待命,雞鳴而駕,後出者斬,晨壓宛門攻之,旬有二日而克之,勒遂斬脫。如於是大掠沔漢,進逼襄陽。征南山簡使將趙同帥師擊之,經年不能克,智力並屈,遂嬰城自守。王澄帥軍赴京都,如邀擊破之。

王如は、石勒が自分を攻めるのを懼れた。だから王如は、石勒に厚く賄いを渡して、義兄弟の縁を申し出た。石勒は王如が強いから、申し出を受けて義兄弟になった。
このとき侯脫は、宛城に拠っていた。侯脫は王如と仲が悪かった。王如は石勒を説いた。
「侯脫は、名目は漢臣ですが、実態は漢賊です。
〈訳注〉漢とは、劉淵が建てて、石勒も従っている国。後漢じゃない。
私は常に、侯脫の来襲を恐れています。兄(石勒)も、侯脫に備えて下さい」
石勒はふだんから、侯脫が自分に次ぐ力を持っているのを、不快に思っていた。だが、侯脫と王如が唇歯(盟友)であることを憚り、侯脫を攻めなかった。
しかし、いま王如が侯脫を攻めろと言うから、とても悦んだ。
石勒は夜に、三軍に兵糧を持たせて待機させた。鶏が鳴くと出陣を命じ、遅れる人を斬った。明け方には宛城の城門に攻撃をかけ、12日で攻め落とした。石勒は侯脫を斬った。
石勒は、沔水や漢水の流域を大いに掠め、進んで襄陽に逼った。
征南将軍の山簡は、部将の趙同に命じて、石勒を攻めた。だが年が改まっても勝てず、官軍の智略も戦力も石勒に劣った。石勒側は宛城を守りきった。
(官軍の)王澄は軍を帥いて洛陽に赴いたが、王如に破られた。

如連年種穀皆化為莠,軍中大饑,其黨互相攻劫,官軍進討,各相率來降。如計無所出,歸於王敦。敦從弟棱愛如驍武,請敦配己麾下。敦曰:「此輩虓險難蓄,汝性忌急,不能容養,更成禍端。」棱固請,與之。棱置諸左右,甚加寵遇。如數與敦諸將角射,屢鬥爭為過失,棱果不容而杖之,如甚以為恥。

連年、農産物が不作だったので、王如の軍中は大いに飢えた。王如の郎党たちは、互いに食料を奪い合った。官軍が討伐にやって来ると、王如の郎党たちは投降してしまった。
王如はにっちもさっちも行かなくなり、王敦に帰属した。
王敦の從弟である王棱は、王如の驍武を愛し、
「王如をオレの麾下に移してくれ」
と王敦に頼んだ。王敦は、王棱を諭した。
「王如とその部下は、ケモノのように気性が荒く、手なずけるのは難しい。お前(王棱)の性格は、とがった奴を嫌う。王如を養う器量がないのだから、きっと禍いのキッカケを作るぞ」
〈訳注〉「虓」は、トラがほえること。險をほえ、蓄しがたし。
「いいえ、うまくやってみせます」
王棱があくまで望んだので、王敦は認めた。
王棱は、王如の部下たちをそばに置き、はげしく寵遇を加えた。
王如は、王敦が従える諸將と角射を競い、しばしば勝ち負けのことで揉めた。
「王如が悪いのだ、杖刑にしろ」
王棱は、王如を罰した。王如は杖で打たれて、とても恥じた。

初,敦有不臣之跡,棱每諫之,敦常怒其異己。及敦聞如為棱所辱,密使人激怒之,勸令殺棱。如詣棱,因閑宴,請劍舞為歡,棱從之。如於是舞刀為戲,漸漸來前。棱惡而呵之不止,叱左右使牽去,如直前害棱。敦聞而陽驚,亦捕如誅之。

王敦には、(東晋で)臣下としてにあるまじき行動があった。
「従兄さんは、慎むべきです」
と、王棱は王敦を諌めた。王敦はつねに、自分とは意見が違う王棱を怒っていた。
「なに、王棱が王如を辱めたか」
王敦は、王棱が王如を杖刑にしたことを知った。王敦は、
「王如よ、キミはこのままでいいのか。もっと怒るがいい。そして王棱を殺してしまえ」
と、ひそかに王如に吹き込んだ。
王如は王棱を訪れて、酒宴に出席した。王如は、
「盛り上がりに欠けますね。私が剣舞をやって、盛り上げます。お楽しみ下さい」
と提案した。王棱は許可した。王如は剣舞に戯れつつ、じりじりと王棱の前に近寄った。王棱は命の危機を感じたから、
「やめろ!」
と叫んだ。王棱は左右の人を叱り飛ばし、王如を牽制するよう命じた。だが王如の方が速く、王棱を殺害した。
王敦は、王如が王棱を殺したことを聞くと、あからさまにビックリして見せた。
〈訳注〉「陽驚」の訳は、これでいいのか。本当は王敦が黒幕なのに、何も知らなかったように白々しく装ったんだろう。
王敦は王如を捕らえて、誅した。
荊州北部で決起して、弱い官軍を撃退した。しかし食い詰めて王敦に従い、利用された後に殺された。二流の棟梁のようで。
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このコンテンツの目次
『晋書』列伝70、反逆者の列伝
1)王弥-上
2)王弥-下
3)張昌
4)陳敏-上
5)陳敏-下
6)王如
7)杜曾
8)杜弢
9)王機、王矩、その他