表紙 > 漢文和訳 > 『宋書』裴松之の列伝から、魏晋への愛を感じる

03) 宋の歴史は書きたくない

ぼくは裴松之が晋宋革命に反対したと読み取りました。しかし晋の終わりを認めざるを得なかった裴松之は、劉義隆に仕えます。
そして、ついにあの瞬間が訪れます。

三国志の注を付ける

轉中書侍郎、司冀二州大中正。上使注陳壽《三國志》,松之鳩集傳記,增廣異聞,既成奏上。上善之,曰:「此為不朽矣!」

裴松之は、中書侍郎に転じて、司冀二州の大中正となった。

本籍が河東郡だから、司州の大中正は自然な配置。
ただし本当の司州と冀州は、北魏が征圧していることに注意。南朝の司州と冀州は、どちらも仮置きの小領域だから、大中正を兼ねられる。

劉義隆は、陳寿の『三国志』に注を付けることを命じた。裴松之は、伝わっている書物をかき集め、異聞で膨らませて、『三国志』の注を提出した。

ふつうは、ある王朝が滅びれば、すぐ次の王朝で歴史書を完結させることができる。だが『三国志』に関しては、そうではない。
魏の歴史を描ききるためには、司馬氏の功罪を描ききらねば、全部が視える化されない。魏の初代皇帝・曹丕がすでに、晋の祖となる司馬懿と密着していた。魏と晋は癒着して区別できない。
裴松之は三国時代を「近世の嘉史」と呼んだ。年数だけで言えば、150年以上昔のことだから、どこが「近世」なのか怪しい。だが、利害関係の密接がやっと切れたのが晋宋革命だ。そういう意味で、晋宋革命を体験した裴松之にとって、三国時代は近世だ。
ぼくたちの感覚に例える。仮に09年夏の選挙まで、150年間も薩長政権が続いていたとする(笑) ずっと鹿児島と山口からのみ、大臣が輩出されていた。しかし先日、薩長でない首相が誕生した。今日に到ってやっと、幕末の歴史を冷静に俯瞰できるようになる。徳川をムリに否定する必要もなく、薩長をムリに肯定する必要もなく、広く異聞を集められる。
ニュースで政権交代を特集すれば、「そもそも薩長政権が誕生した18世紀は」と気安くポップに遡るに違いない。

劉義隆は、裴松之の注を見て、
「裴松之の仕事は、不朽である」
と言った。

まさに不朽だ。曹丕が文学を「不朽の盛事」と言ったが、同じだ。劉義隆は、曹丕と同じ2世だし、意識していたのかも?
陳寿は魏晋革命を見て『三国志』を書いた。裴松之は、晋宋革命を見て、注釈をつけた。陳寿は蜀に仕え、裴松之はおそらく晋に帰属意識が強かった。2人とも亡国の人である。
歴史は勝者が作るという。確かに編集方針の決定権は、勝者にある。しかし、最後まできっちり書き上げる情熱と根気は、敗者にしかない。

宋への非協力、裴松之の死

出為永嘉太守,勤恤百姓,吏民便之。入補通直為常侍,複領二州大中正。尋出為南琅邪太守。十四年致仕,拜中散大夫,尋領國子博士。進太中大夫,博士如故。續何承天國史,未及撰述,二十八年,卒,時年八十。

裴松之は、建康から出て、永嘉太守となった。百姓を勤恤したから、役人も領民も、裴松之の政治を支持した。
建康に入り、劉義隆のそばで常侍となった。また司州と冀州の大中正を領ねた。
建康を出て、南琅邪太守になった。
十四(437)年、中散大夫となり、國子博士を領ねた。進んで太中大夫となったが、博士はもとのまま留任した。
何承天が書いた國史を引き継いだが、撰述に着手する前、二十八(451)年に卒した。享年は80だった。

子駰,南中郎參軍。松之所著文論及《晉紀》,駰注司馬遷《史記》,並行於世。

裴松之の子は、裴駰である。裴駰は、南中郎參軍になった。裴駰は、裴松之が書いた《晉紀》について論じた。

裴松之の『晋紀』は残ってないのかなあ。
裴松之は、『三国志』の注を付けて、誰にも頼まれてないのに『晋紀』を書き上げた。
しかし、当世の宋の記録には、あまり関心がなさそう。いちおう宋室に給与をもらっている立場ならね、いちばんに宋に関心を示すのがマナーだ。しかし、最晩年になるまで、のらくら先延ばしにして、避けた感がある。
人間の寿命は無限ではない。裴松之は、もちろんそれを知っている。「裴松之は、宋の歴史をカタチにすることが出来ず、悲劇的な死を向かえた」なんて話はなく、「70代まで着手しなかったのは、単にやりたくなかったからだ」という解釈が自然である。

裴駰は、司馬遷の《史記》に注釈をした。どちらも世で広く読まれた。

おわりに

裴松之は、百世の子孫にまで、正しい歴史を残すべきだという使命感を持っていた。
そして同時に、熱烈な魏晋の支持者だった。ただの趣味や教養ではなく、政治的立場の振り方に反映させた。なんと、劉裕に逆らった気配すらある。命がけで、魏晋を愛したとも言える。
晋の滅亡に直面して、上の2つのキャラクターが交わり、裴注が生まれた。

ルパン3世の声優が、早くに死んだらしい。物まねしていた人が、後任に抜擢された。とても早い時期から主役の周囲にいた人は、やがて主役と同一視されていく。『三国志』の裴松之しかり。今日、裴松之を抜きにして『三国志』は読めまい。
裴松之こそ、三国ファンの第一人者、伝説の三国ファンと呼ぶべき人なのかも知れない!091107