表紙 > 漢文和訳 > 『晋書』載記の劉粲伝と陳元達伝から、漢の末路を辿る

1)喪に服さないで、性交

劉淵伝、劉和伝、劉聡伝、と訳してきました。つぎは劉粲です。
劉聡の子で、漢の4代皇帝です。政敵を葬るための大事な場面ですら、自分の頭で考えず、
「次はどうしようかねえ」
と周囲に振ってしまうような、自我の欠落した問題児のようでしたが・・・無事に皇帝が務まるのでしょうか。

道徳を無視した人

粲字士光。少而俊傑,才兼文武。自為宰相,威福任情,疏遠忠賢,昵近奸佞,任性嚴刻無恩惠,距諫飾非。好興造宮室,相國之府仿像紫宮,在位無幾,作兼晝夜,饑困窮叛,死亡相繼,粲弗之恤也。

劉粲は、あざなを士光という。若くして俊傑で、才は文武を兼ねた。

冒頭にこうあるからって、名君とは限らん。むしろ列伝職人が、「同じような内容のことを、いかに違う漢字を使って表現するか」と、ボキャブラリを競っているような気配すらある(笑)

劉粲は宰相になってから、威福は感情に任せ、忠賢な人を疏遠し、奸佞な人を昵近した。性格に任せて嚴刻で、恩惠を施さず、諫言を距んで非を飾った。

ぼくが対句っぽいものを台無しにしていますが、「情に任せ」「性に任せ」とあるから、劉粲が、本能的に振る舞ったことが分かる。
道徳で縛らないとね、人間なんてね、自分勝手でしょーもないものなんですよ、という意味か。父の劉聡は、
「道徳的に言動しないと、漢族の支持が得られない」
とビクビクしてた。うまくいったかは別だが(笑)その反動として劉粲は、社会的な野生児になったのかも。

劉粲は、宮室を興造することを好んだ。相國之府(劉粲のオフィス)は紫宮をマネた。
相国の位には短期間しかいなかったが、昼夜を問わずせっせと工事した。作業者たちは、食べるものがなく、死ぬ人が相次いだ。だが劉粲は、恤れまなかった。

役員報酬だけガッポリもらって、社員にあんまり給与を払わない、中小企業の社長っているでしょ。あれを酷くしたら、こうなるのだ。
社員はろくな目に合わないが、人間の地金って、もともとそうかも?


既嗣偽位,尊聰後靳氏為皇太后,樊氏號弘道皇后,宣氏號弘德皇后,王氏號弘孝皇后。靳等年皆未滿二十,並國色也,粲晨夜蒸淫於內,志不在哀。立其妻靳氏為皇后,子元公為太子,大赦境內,改元漢昌。雨血於平陽。

劉粲は漢帝を継いだ。劉粲は、劉聡の皇后・靳氏を尊び、皇太后とした。皇后・樊氏を弘道皇后と号した。皇后・宣氏を弘德皇后と号した。皇后・王氏を弘孝皇后と号した。

劉聡は皇后を量産したけれど、劉粲は皇太后を1人しか作らなかった。つまり、後宮の秩序を元に戻した、と言える。この施策だけを見るならね。

劉聡の未亡人である靳氏らは、みな20歳未満だった。未亡人は、みな國色なので、劉粲は朝晩を問わず、後宮内で蒸淫した。

これは匈奴の風習である。父が死ぬと実母以外を相続し・・・とか、難しい顔で解説する必要はなかろう。ただ目の前に魅力的な女がいたから、「蒸淫」しただけじゃん(笑)
劉聡が晩年になっても、後宮のメンテナンスを怠らなかったから、死後に若い女たちが残っているんだ。
劉聡は性懲りもなく、晩年にも皇后を立てまくった。もしかしたら、子に後宮を相続させるという匈奴の風習が、暗黙のうちに劉聡を動かしていたんじゃないか。自分の代で可愛がり尽くせなくても、構わない。

劉粲は女に夢中で、劉聡の死を哀しむ様子がなかった。

うっかり忘れていたけど、漢族ならば、服喪すべきときだ。性交どころか、食事もできないほどじゃないと。
いま思ったが、服喪は、代替わりに伴う混乱を回避する役割があるのかも。後を継いだ子が、じっと精神修行をすることで、本人も周囲も、代替わりを受け入れる心の準備ができる。
もし劉粲のように、即位するや否や、父の「遺産」に飛びついていたら、安定なんてあったもんじゃない。

劉粲は、妻の靳氏を皇后とした。劉粲の子の劉元公を皇太子とした。領内を大赦して、「漢昌」と改元した。
平陽で血が降った。