表紙 > 漢文和訳 > 『晋書』載記の劉粲伝と陳元達伝から、漢の末路を辿る

2)本来的な外戚の簒奪

即位しても、房事しかやらない。
劉粲の時代は、呆気なく終わろうとしています。

まさかの人任せ

靳準將有異謀,私於粲曰:「如聞諸公將欲行伊尹、霍光之事,謀先誅太保及臣,以大司馬統萬機。陛下若不先之,臣恐禍之來也不晨則夕。」粲弗納。准懼其言之不從,謂聰二靳氏曰:「今諸公侯欲廢帝,立濟南王,恐吾家無復種矣。盍言之於帝。」二靳承間言之。

外戚の靳準は、異謀を抱こうとしていた。
靳准は、こっそり個人的に劉粲に言った。
「聞いたところによると、諸公は、伊尹や霍光のように、若い皇帝に代わって老臣に政治を代行させたいようです。劉粲さまは皇帝なのに、主導権を奪われますよ。諸侯は劉粲さまに先んじて、太保(呼延晏)とその臣下を誅し、大司馬(劉驥)に萬機を統べさせようとしています。

靳准にとって、呼延晏は味方で、劉驥は政敵。そういう構図だ。

もし劉粲さまが先手を取られれば、劉粲さまに禍いが訪れることを、私は恐れます。朝に禍いがなければ、その日の夕方に必ず禍いがある、というほど切迫しています」
劉粲は靳准の提案を認めた。
靳准は、劉粲が言いつけを破るのを懼れた。

べつの人が劉粲に、「大司馬(劉驥)に政治を任せるべきです」と言えば、すぐに劉粲は傾いてしまう。靳准は、劉粲を操っている張本人だ。だから、操られやすいことを知っている。
恋多き異性と付き合っているときと同じです。相手は、ほとんど抵抗もなく、自分との交際を認めた。だが、自分が非常に魅力的だから、今の関係になったのではない。浮気されるリスクも高い。

靳准は、劉聡の妻だった2人の靳氏に吹き込んだ。
「いま諸公侯は、劉粲を皇帝から廢して、濟南王(劉驥)を皇帝に立てようとしている。わが靳氏は、劉驥と婚姻関係がないから、劉驥が即位したらまずい。劉粲に『劉驥を警戒せよ』と、2人からも吹き込んでくれ」
2人の靳氏は、靳准の言ったとおりにした。

粲誅其太宰、上洛王劉景,太師、昌國公劉顗,大司馬、濟南王劉驥,大司徒、齊王劉勱等。太傅硃紀、太尉范隆出奔長安。又誅其車騎大將軍、吳王劉逞,驥母弟也。粲大閱上林,謀討石勒。以靳准為大將軍、錄尚書事。粲荒耽酒色,遊宴後庭,軍國之事一決於准。准矯粲命,以從弟明為車騎將軍,康為衛將軍。

劉粲は、以下の人を殺した。
殺されたのは、太宰で上洛王の劉景、太師で昌國公の劉顗、大司馬で濟南王の劉驥、大司徒で齊王の劉勱らである。
太傅の硃紀と、太尉の范隆は、長安に出奔した。

硃紀は、劉粲の祖父・劉淵と同門だった。さらに硃紀は、劉粲の父・劉聡が幼いとき、才能を評価してくれた。
漢族が重んじる、世代を越えた名士のお付き合いを、劉粲は破壊した。漢の建国理念に反する。劉粲は、そんなこと気づいてないだろうが。

また劉粲は、車騎大將軍で呉王の劉逞を殺した。劉逞とは、劉驥の同母弟である。
劉粲は、上林で大いに閲兵し、石勒を討伐する作戦を立てた。石勒を討つため、靳准を大將軍、錄尚書事とした。
劉粲は、酒色に荒耽し、後庭で遊宴した。 軍事も国政も、すべて靳准が決裁をした。靳准は、劉粲の勅命を偽造して、從弟の靳明を車騎將軍に任命し、従妹の靳康を衛將軍とした。

靳准のように、勅命を枉げたらいけないけどね・・・悪いのは劉粲だ。同じ後宮に籠もっているのでもね、劉粲と、その父の劉聡とは正反対の動機だ。
劉聡は、なかなか西晋を倒せず、漢が正統化されないことに苦悶した。政治に目を向けすぎて、ストレスを感じ、後宮に入った。劉粲は、ただ人任せにしているだけである。

靳准の叛乱

準將作亂,以金紫光祿大夫王延耆德時望,謀之於延。延弗從,馳將告之,遇靳康,劫延以歸。准勒兵入宮,升其光極前殿,下使甲士執粲,數而殺之。劉氏男女無少長皆斬於東市。發掘元海、聰墓,焚燒其宗廟。鬼大哭,聲聞百里。

靳准が、叛乱しようとした。金紫で光祿大夫の王延は、耆德によって時望を集めていたから、靳准は王延を誘った。王延は、靳准に従わなかった。王延は馬を飛ばし、靳准の叛乱を通報しようとした。だが、靳康(靳准の従弟)と鉢合わせしたので、王延は帰宅した。
靳准は、兵を勒して宮殿に入った。光極前殿を占領し、甲士に劉粲を捕えさせた。靳准は、劉粲の罪を数えて、劉粲を殺した。
劉氏の男女は、老いも若きも、みな東市で斬られた。靳准は、劉淵と劉聡の陵を掘り起こし、劉氏の宗廟を焚燒した。

親政しない皇帝から、外戚が権力を奪うならばね、靳准のやり方が、もっとも普通なのですよ。王莽や曹操が、いかに高い理想をもって、節度ある「禅譲」をやったか、分かるというものです。王莽も曹丕も、「偽善的だ」と批判されるが、靳准と比べたらどうですか。
「やらない善より、やる偽善」だそうです。歴史の言葉ではありません(笑)

鬼が大哭し、鬼の声は百里に聞こえ渡った。

准自號大將軍、漢天王,置百官,遣使稱籓于晉。左光祿劉雅出奔西平。尚書北宮純、胡崧等招集晉人,保于東宮,靳康攻滅之。準將以王延為左光祿,延罵曰:「屠各逆奴,何不速殺我,以吾左目置西陽門,觀相國之入也,右目置建春門,觀大將軍之入也。」准怒,殺之。

靳准は、自ら大將軍、漢天王を号した。百官を置き、晋に稱籓の使者を送った。

五胡十六国の本を見てると「稱籓する」を、日常語みたいに使っているが、、「藩屏だと自称する」ということで、要は臣従宣言です。
靳准は、劉淵の作った漢の秩序を破壊しただけに見えるが、そうではない。劉淵が自立する以前の、匈奴のスタイルに戻しただけ。ムリをやめた。
劉粲はバカだったが、靳准はバカではあるまい。
「西晋を滅ぼし、胡漢を越えた大帝国なんて作ろうとするから、劉聡は失敗した。いち匈奴王国ならば、版図に無理はない。平陽、洛陽、長安に割拠した、地方政権で充分じゃないか」
と思ったのだろう。中原を制圧しているが、靳准は孫権に似ている。孫権は曹丕に臣従し、靳准は東晋に臣従した。名目ではそうだが、孫権が、宗主国との地理的な遠さを味方につけて自立したように、靳准も自立は可能だろう。
皇帝さえ名乗らなければ、おかしな大統一願望に振り回されなくて済む。身の丈にあった、国家運営ができる。

左光祿の劉雅は、西平に出奔した。尚書の北宮純と胡崧らは、晉人を招集して、東宮で保護した。靳准の従弟・靳康は、晋人を攻め滅ぼした。

靳准が、晋に称藩しているんだから、晋人に手を出さないはず・・・というのは、もろい幻想です。

靳准は、王延を左光祿に任じようとした。王延は、靳准を罵った。
「靳准よ。お前に叛逆した奴らは屠ったくせに、なぜ私だけ生かしておくのだ。早く殺すがいい。私の左目を西陽門に置け。相國(劉曜)が入城するのを観てやる。右目を建春門に置け。大將軍(石勒)が入城するのを見てやる」

靳准は、人望のある王延を味方に付けたい。王延から靳准への、いちばんの痛撃は、
「王延が靳准を支持しなかった」
という評判が広まること。王延がなぜこんなに強いのか、詳しく知りたい。匈奴社会の雰囲気が分かりそうですね。「耆德時望」だけで分かるかよ!
西陽門は西で、劉曜が靳准を攻めるなら、こっちから。建春門は東で、石勒が靳准を攻めるなら、こっちから。

靳准は怒り、王延を殺した。