3)漢魏風のウィットな会話
劉粲が一撃で死んでしまったところで、つぎは「劉聡伝」に付けられた、陳元達の伝記です。
陳元達とは何者か。
劉聡の漢が、胡漢の壁を乗り越えた世界帝国になれるように、絶えず君主を掣肘していた人です。時代は、劉粲の祖父・劉淵に遡って再開いたします。
劉淵は私の理解者だ
陳元達,字長宏,後部人也。本姓高,以生月妨父,故改雲陳。少面孤貧,常躬耕兼誦書,樂道行詠,忻忻如也。至年四十,不與人交通。元海之為左賢王,聞而招之,元達不答。
陳元達は、あざなを長宏という。匈奴の後部の人である。
「オレンジよりオレンジ味のジュース」というやつだ。例えがバカ臭いので、「武士より武士らしかった新撰組」の例を足しておく(笑)
本姓は「高」氏である。
生まれた月に、父が妨げたので、「陳」と改めた。
陳元達は、幼くして孤児となり、貧しかった。だが陳元達は、つねに耕作しながら誦書して、道を樂しみ詠を行い、よろこんで勉強をやった。
ぼくも陳元達を見習って、仕事中に『晋書』でも読んでみるか。
陳元達は40歳になっても、人と交遊しなかった。
劉淵が左賢王になると、陳元達の評判を聞いた。劉淵は、陳元達にスカウトの手紙を書いた。陳元達は、返答しなかった。
及元海僭號,人謂元達曰:「往劉公相屈,君蔑而不顧,今稱號龍飛,君其懼乎?」元達笑曰:「是何言邪?彼人姿度卓犖,有籠羅宇宙之志,吾固知之久矣。然往日所以不往者,以期運未至,不能無事喧喧,彼自有以亮吾矣。卿但識之,吾恐不過二三日,驛書必至。」
劉淵が漢帝を名乗ると、人は陳元達に言った。
「劉淵さまが、わざわざお招きになったのに、きみは蔑ろにして無視した。いま劉淵さまは、龍飛(皇帝)を名乗った。きみは、自分が劉淵さまに働いた無礼を懼れないのか?」
陳元達は、笑って言った。
「何を言っているんだ。劉淵さまは、姿度が卓犖とし、宇宙を籠羅するほどの志を胸に抱いている。私は、劉淵さまが立派な人だと、ずっと前から知っているよ。先日に劉淵さまに従わなかったのは、時期が熟しておらず、円滑に仕官できないと思ったからだ。劉淵さまは、私を理解してくれているよ。見ているがよい。きっと2、3日のうちに、劉淵さまからの書状が届くよ」
其暮,元海果征元達為黃門郎。人曰:「君殆聖乎!」既至,引見,元海曰:「卿若早來,豈為郎官而已。」元達曰:「臣惟性之有分,盈分者顛。臣若早叩天門者,恐大王賜處於九卿、納言之間,此則非臣之分,臣將何以堪之!是以抑情盤桓,待分而至,大王無過授之謗,小臣免招寇之禍,不亦可乎!」元海大悅。
在位忠謇,屢進讜言,退而削草,雖子弟莫得而知也。
その日の夕暮れ、果たして劉淵は、陳元達のところに黄門郎を遣した。周囲の人は、
「陳元達は、聖人なのかよ!」
と言った。
陳元達は出仕して、劉淵と会見した。劉淵は言った。
「陳元達よ。もしあなたが早く仕官していたら、たかが郎官ではなく、もっと高位に就いていたのにな」
小人物が同じことを言えば、「以前にスカウトを断ったことについて、弁明してみろ!」と脅すセリフになる。劉淵に限ってはそんなことはなく、ジョーク交じりなんだろう。
陳元達は言った。
「私が思いますに、人の性質には、それぞれ分限があります。分限が満たされるのがベストで、分限を越えるのはアウトです。
私が早くに仕官すれば、恐らく私は、大王(劉淵さま)から、九卿と納言のあいだの官位を頂いたでしょう。それは、私の分限を越えています。とても堪えられません。私は感情を抑えて、スカウトを断り、分限に相応するポジションが巡ってくるのを待ちました。
おかげで、大王(劉淵さま)は私に、器量以上の官位をバラまかずに済みました。私は、器量以上の官位に、押しつぶされずに済みました。ウィンウィンの関係ですよね」
劉淵は陳元達の返答に、大いに悅んだ。
陳元達の勤めぶりは忠謇で、しばしば進んでは正論を吐き、退いてはドラフトを推敲した。陳元達の子弟であっても、コネで仕官しなかった。
劉聡のプライド
聰每謂元達曰:「卿當畏朕,反使朕畏卿乎?」元達叩頭謝曰:「臣聞師臣者王,友臣者霸。臣誠愚暗無可采也,幸邀陛下垂齊桓納九九之義,故使微臣得盡愚忠。昔世宗遙可汲黯之奏,故能恢隆漢道;桀紂誅諫,幽厲弭謗,是以三代之亡也忽焉。陛下以大聖應期,挺不世之量,能遠捐商周覆國之弊,近模孝武光漢之美,則天下幸甚,群臣知免。」及其死也,人盡冤之。
劉淵の子・劉聡は、いつも陳元達に言った。
「あなたが私を畏れているように見えて、実は反対だ。あなたは私に、あなたを畏れさせているのではないか?」
「お前が私にビビッているのではなく、私がお前にビビッているようだ。オレが皇帝で、お前は臣下なのに、逆転してて憎らしいぜ、おい」です。
陳元達は、叩頭して劉聡に謝罪した。
「私は聞いています。臣下を教師とする者は、王である。臣下を友人とする者は、覇であると。私はまことに愚暗で、見るべきところのない人間です。しかし陛下(劉聡さま)は、斉の桓公が管仲を用いたのと同じ美徳で、私を用いて下さった。だから私は愚忠を発揮させてもらっています。
同じことを劉淵が言えば、「本気:戯れ=1:9」だ。劉聡が言うときは、「本気:戯れ=6:4」だ。次の劉粲が言えば、「本気:戯れ=10:0」となるだろう(笑)会話を楽しむウィットは大切だよね。
むかし前漢の武帝は、臣下の話を聞いて、国を栄えさせました。夏の桀王や殷の紂王は、諫言した人を殺し、周の幽王や厲王は、誹謗に耳を傾けました。だから、夏、殷、周は、その後3代のうちに滅びました。
陛下(劉聡)さまは、前例を教訓として、この漢を栄えさせて下さい。そうすれば、天下には幸甚で、群臣はストレスから解放されるでしょう」
劉聡はプライドの危機を感じて、陳元達に文句を言った。劉聡の強いプライドを逆手にとって、生命を守った。陳元達の勝ちである。
陳元達が死ぬと、人々は冤罪を哀しんだ。
おわりに
つぎは「劉曜伝」を読みます。
「漢」は靳准に滅ぼされ、東晋に称藩してしまった。劉曜は国号を「趙」と改める。劉淵の国とくっ付けて、「趙漢」と呼ぶらしい。そう呼ぶ人にケチを付けるつもりはないが・・・劉粲が靳准に斬られた時点で、世界帝国を目指す「漢」が滅びたことを、もう一度強調しておきたい。ここで一区切りなんだ。
しかし次の劉曜の「趙」からは、「五胡」らしい分裂指向が行なわれると思います。これを書いている時点で、まだ「劉曜伝」を全く読んでいないのだが、、『晋書』の面白さに乞うご期待。091006