表紙 > 読書録 > 田中芳樹『蘭陵王』で、三国の面白さを比べる

03) 鼎立した三国は擦り切れる

前回、三国鼎立に必要な条件は、
「安定した時代に生まれた子供たちが、天下統一への自信を持つこと」
だという話をしました。

『蘭陵王』のあらすじ

そういうえば、本の内容について、ちゃんと触れてない!

蘭陵王は、北斉の皇族だ。皇帝は叔父(蘭陵王の父の弟)である。
北斉は胡族の王朝らしく、皇族同士が殺しあう。骨肉の争いが、蘭陵王の人生のメインテーマ。蘭陵王は、従弟のバカ幼帝に殺された。

ああ、ネタバレ。歴史小説だから、別にいいよね。

蘭陵王は戦さが上手だから、重宝されつつも、皇帝に疎まれていく。三国鼎立時代なので、西の北周と南の陳がライバル。さらにお決まりの役どころである「北方異民族」も登場する。もとも北斉も胡族なんだけど、この時代は突厥が北から野蛮な戦法で攻めてくる (笑)
蘭陵王を殺した幼帝は、孫皓よりも激しく国力・人材を消耗させ、現実逃避して、北周に滅ぼされた。

あまりに短いあらすじだが、これで全部です。
蘭陵王の貴公子ぶりとか、工夫いっぱいの戦闘シーンの描写とかを娯楽小説として楽しむべきなんだろうが、別にそんなに面白くなかった。

皇帝の人格について

北斉の高氏で顕著なのだが、皇帝となった人は、人間のもっとも醜い部分をさらけ出して、他人を殺す。自尊心を満たす。不安を遠ざけようとする。曹植1人を遠ざけ、曹髦1人を殺すことに、あれだけの心理的コストを払っていた時代が、とても恋しくなるほどです。
殺人の可否について、大論争が起こるわけでもなさそうで。
あまりに気安く死骸が転がり出るから、ちょっと興醒めする。ライバルである北周の宇文氏の周辺にしたって同じです。

『蘭陵王』に出てくる仙女は、『北史演義』という元ネタがあるらしい。この『北史演義』が『三国演義』ほど面白くなかったから、新三国に人気がないのだと、作者は後記で言っている。
だけどさあ、感情移入をするヒマもなく、次々に人が死ぬだけの物語が、どこまで伸びしろがあるのか、ぼくには疑問なのです。28年間に、君主が10人も立つんだよ。ファンにしてみたら、げえ…といやつで。

きっと漢魏の皇帝は、ぼくのような常人が想像もつかないほど、儒教道徳で雁字搦めに、人格を練っていたんだと思う。
卑近な例を持ってくると、
数人を雇った零細企業の社長でさえ、人を人と思わないような暴言を吐きたくなってしまうのだよ。別にぼくは、特定の人物を思い浮かべてこれを書いているのではない。一般論です。でも人間とは、それほど弱く、立場に影響されやすいのだと言いたいのです。
新三国の皇帝たちを見るのは、辛いよなあ。自分の素顔を見せられた気がして、少しイヤな気持ちになると思う。名声が落ちないように気を配り、ビクビクしながら殺し合いをするから、三国時代は面白いと思うのです。

三国の滅亡について

ぼくたちの知っている三国志では、魏・呉・蜀のいずれも勝たない。魏の臣であった司馬氏が、天下を統一する。

こんな当たり前のことを、なんで今さら書いたんだろう。後悔。

蘭陵王の生きた新三国も同じで、周の臣であった楊堅が、隋を建国して天下統一する。
三国鼎立というのは、当事者たちを過度にすり減らしてしまうのか、三国ともに体力を使い切ってしまうようです。中でも、もっとも強い国の臣下が成り上がるのだから、同じパタンです。

『蘭陵王』の中で面白いことが言われていたので、引用します。この時代に詳しい歴史ファンには当たり前のことらしいのだが、ぼくには新鮮だったことです。
「隋が陳を併呑し、西晋以来の天下統一をなしとげるのは、西暦589年、文帝・楊堅が49歳のとき。このとき生きて在れば、蘭陵王・高長恭は43歳、周の武帝・宇文邕は47歳、斉王・宇文憲は46歳になっていたはずである。強力な敵対者となるべき者はすべて死んでいた(中略)彼より年少の3人のうち、ひとりでも健在であったなら、いますこし困難な途を歩むことになったことはたしかであろう」

諸葛亮が隆中対で、
「天下三分」
と言ったのなら、一般論として、三国の結末を想定しておくことも必要だったんじゃないか。きっと三者とも擦り切れますよ!と。もっとも、あの時点での劉備は、生き残れるかすら怪しかったから、それ以上のことを述べても仕方がなかったが。

生活の知恵として、三者以上で実力が拮抗しているのを見つけたら、その下に潜りこむのが得策ですねえ。
議論が紛糾していたら、誰かの横に座って大人しい顔をする。だいたい各自の言い分が出揃ったら、遅ればせながら「まとめ役」として登場し、自分の意見をこっそり忍ばせてしまう。
就職活動のグループワークで、ぼくがよく使った手だな (笑)

おわりに

三国の後日談は、南北朝の膠着に持ち込まれた時点で、間違いなく終了する。中国大陸は隋を待たないと統一されないのだが、南北朝と三国をつなげて理解する必要はない。それが確認できました。
大陸では後漢や西晋を懐かしむことを辞めて、南北朝という「いい時期」を新しく獲得した。新三国に人たちが慕ったのは、南北朝の繁栄だから。漢王室の亡霊と深く関わった三国時代とは、根本が違うね。
新三国は、三国志の下に持ってきて味わうのではなく、横に並べて楽しむものですね。091112