表紙 > 読書録 > 菊澤研宗『戦略の不条理』から、三国志を解く

02) 漢皇帝は「知性的」戦略要素

前回ちょっと分かりにくかった「知性的要素」について、今回で明確になる、、はずです。
ちなみに本では、要素じゃなく「世界」と言い方をしてます。でもぼくが分かりよいために、勝手に言い換えています。

2章、「戦略の不条理」の発生メカニズム

「戦略論=勝利へのプロセスの研究」
というのは、マチガイである。結果がどうなるか分からないのに、そのプロセスを研究するというのは、奇妙だ。結果は、偶然に支配される。
偶然とは、環境のことである。日の当たったアサガオが生長し、当たらないアサガオが萎れるのは、アサガオが決めたことではない。
人が戦略を立てるときも、
「不完全な人間として、最大限の努力をする」
しかない。
この章では、人がどうやって戦略の「知性的要素」に気づいてきたかが分かります。経営学と科学という、2つの観点から説明されてます。

◆経営学と戦略の3要素
経営学は、19世紀末から20世紀初にアメリカで生まれた。
テーラーは、労働者の行動のムダを除いて、生産性を挙げた。物理的な改善である。今では、ロボット工学に生かされている。戦略のうち、物質的な要素に対応する。

乱世の始まりは、いつも「戦士の時代」です。力の強い人が、単純に活躍するだけです。呂布が暴れます。

ゼネラル・エレクトリック社で実験が行なわれた。ホーソン工場では、被験者が「注目されている」と意識すると、生産性が上がった。人は、私的な感情を職場に持ち込んでしまう。戦略のうち、心理的な要素に対応する。

あらかた猛者が殺し合い終わると、「軍師の時代」です。『蒼天航路』で曹操が言っていたことだ。郭嘉が得意だと描かれた、戦場の機微だ。

今日になると、
知識、理論、ブランド、権利などの無形の実在世界が、ビジネスで存在感を増した。二酸化炭素の排出権、買うか買わないかの選択権(オプション)など、物理的なモノでない商品の取引額が大きい。戦略のうち、知性的な要素に対応する。

乱世の末期になると、今ぼくが名づけたが「皇帝の時代」が始まる。秩序と秩序、正統と正統のぶつかり合いである。
正統性は、目に見えるわけじゃない。個人の感情で膨らんだり縮んだりする、不安定なものじゃない。


◆科学的発見と戦略の3要素
物理的な要素は、目の前の事実の積み上げだ。心理的な要素は、目の前の事実に対する、判断の積み上げだ。
例えばカラスの群れを指差して、
「あのカラスは黒いし、そのカラスも黒い」
と言うときが、これに当たる。
黒いカラスは明らかにそこにいる(物質的要素)し、そのカラスが黒いという理由は追跡可能である(心理的要素)。

「曹操は優れているから、臣従しよう」という心の動き。
曹操は、現実に目の前にいる。臣従した理由は、明確に説明が可能である。なんの飛躍もない。

やがて人は、
「全てのカラスは黒い」
という科学的な発見をする。発表された理論は、主観的で個人的な判断ではない。みなが自由にアクセスでき、知性のある誰もがアプローチできる。その意味で、理論は客観的世界に存在している。

この数行の言葉は、本をほぼ丸写しにしました。一番の核となる話なので、誤らずに捉えたいものです。

ただし、全てのカラスを確かめたのではないから、必ず論理的な飛躍がある。いくら物質や心理を積み上げても、理論にはならない。だから発見プロセスは、非合理的である。直感だ。でも、それは構わない。
なぜなら理論は、誰がどう発見するかが重要ではない。いつか発見されるべきものとして、自律的に存在している。理論は、発見者の主観的な心理世界から、完全に独立している。

賢者が刷毛で石器を掘り出そうが、業者がブルドーザーで石器を掘り出そうが、同じ石器が出てこればいい。

これが知性的要素である。

まるで漢皇帝を説明するための文章ですが、ぼくが本を捻じ曲げているわけじゃない(笑)
著者は中国史については、せいぜい防衛大学校用に『孫子』を嗜んだ程度のようです。知識は、近代戦に偏重している。もし著者が皇帝の威光が戦争に及ぼす影響について知ったら、驚くだろうなあ(笑)
カラスの理論と漢皇帝は、同じじゃないか。
すなわち、
高帝(劉邦)は、支配する正統性がある勝者だった。文帝や景帝や武帝も、支配する力量があった。さながら、目の前に現れるカラスが、どれも黒いなあ、と積み重ねた状態である。
後漢に入って、
「全ての漢皇帝は、正統性がある」
という飛躍が起きた。誰が、どんな根拠を持って言い出したかは、関係ない。しかし天下の人の常識となった。
白いカラス、つまり力量のない皇帝が、例外的に現れることがある。でも、いちどカラスは黒いと言えば、いかなる個人が何を思おうが、カラスは全て黒いのである。目の前に白いカラスがいようと、覆らない。皇帝の尊さは、揺るがない。
万民は、漢帝国から徴税されている。つまり、誰もが漢帝国の支配力に自由にアクセスできる。というか、アクセスさせられる。
一定の知性があれば誰でも、儒教の本や『漢書』を読み、漢皇帝の正統性にアプローチできる。
漢皇帝は三国志の戦略において、「知性的要素」で決まりだと思う。


◆戦略の不条理
知性的要素は、もともとは物理的要素や心理的要素から生まれるかも知れないが、物理や心理とは独立である。
バッハやモーツァルトは、誰がいつどのような心境で奏でようと、大きく変わらない。人間の感情から独立している。バッハやモーツァルトが発明したのではなく、既存の理論を後から発見したのだ。

これに納得がいかないと、ポパーやこの本の話はゴミです。
養老孟司氏が、よく言っている。人間は変化するけど、情報は変化しない。これに似ているのかな。
細胞が代謝するから、物理的な人間は、去年とは別人だ。脳が作り出す心理だって、寝ている間は途絶えるし、不安定なもの。しかし、石に刻んだ文字(情報)は、どれだけ経とうが同じである。石は劣化するかも知れないが、情報は不変である、と。
ぼくの意見はコロコロ変わるが、一度このページにアップすれば、情報として不変である。手を離れる。サーバーがクラッシュしてもバックアップが、、とかそういう話じゃない。


この本の口癖である「戦略の不条理」とは、
「きちんと戦略どおりに動いているのに、勝てない」
という葛藤のことを言います。
なぜ不条理がおきるかと、物質、心理、知性の戦略を、満遍なく練っていないから。合わせ技をしないと勝てない。
知性と心理だけで戦い、物理的に殴りあわずに勝てば、ベストな戦い。

曹操が、袁紹の遺児を衝突させたやり方である。

知性と心理を活かし、最後には物理的に殴って勝つのが、ベターな戦い。

官渡の戦い。献帝の正統性(知性)、烏巣の襲撃による撹乱(心理)などの見せ場があるが、最後に曹操は袁紹軍に自ら突っ込んだ。

物理的に殴るだけなら、非生産的な愚かな戦い。

董卓包囲網ですね。とりあえず虎牢関の周りに集まってみて、散発的に突っ込んだ諸侯が戦死者を出した戦い方。
皇帝の正統性(知性)は董卓が持ち逃げし、袁紹は代わりの皇帝を立てられず。董卓の内側に手を突っ込むでもなく(心理)、ただ正面から攻めかかった。メリットゼロ。