表紙 > 読書録 > 安田二郎「褚太后の臨朝と謝安」で東晋の諸葛亮を知る

02) 謝安の露骨な権力闘争

謝安の素顔を暴こうという論文。
はじまります。

桓温の死去と封じ込め

桓温は373年7月14日、62歳で憤病死した。
桓温は東晋から禅譲を受けたかったが、王彪之と謝安に引き伸ばされた。桓温は後継として、末弟の桓沖を指名した。兄弟の順序を飛ばしたのは、桓温の死後に、桓氏への攻撃が強まることを予想したからだ。桓沖は、人柄と気性が温厚だから選ばれた。

桓温が、自らの死後の桓氏にどういうビジョンを持っていたか、気になる。のちに桓温の庶子・桓玄が、桓温の無念を晴らして東晋から禅譲を受ける。桓沖は、桓温から桓玄への中継ぎだった感じもする。安田氏は、桓玄への展望については一切触れていないので、モヤモヤが残る。

嫡庶の順序をひっくり返したから、桓沖の2人の兄は反旗した。桓沖は、事前に抑えた。最悪の事態は防げたけれども、桓氏の敵対勢力が喜ぶお家騒動だった。

桓沖は、桓温の揚州刺史を継いだ。東晋で揚州刺史とは、宰相職そのものである。つまり桓温の私的な後継指名が、東晋の人事によって公的に承認されたと見なせる。
だが、桓温が執着して決して手放さなかった北府の支配権を、桓沖は継ぐことができなかった。桓温が死んだとき、平北将軍、徐兗二州刺史だったが、謝安たちが桓氏からこのポストを取り上げた。

のしあがる謝安

桓温の死後、54歳の謝安は褚太后の臨朝を主張した。
「孝武帝は12歳で幼く、頼りないから」
が謝安の理由付けだ。
謝安に、尚書僕射で69歳の王彪之が反対した。
「褚太后は、孝武帝の兄嫁で、母系ではない。また皇太后の臨朝を始めれば、内外に孝武帝が幼弱だと宣伝するようなものだ。また褚太后に政治能力はないから、摂政を任せられない」
王彪之は正論だ。

謝安としては、自分が思いどおりにやるため(例えば、桓温の子供たちから権力を剥がすため)に、発言力が欲しかった。残念なことに現時点で謝安は、吏部尚書でしかなく、例えば王彪之に敵わない。

通史を斜め読みしただけでは「桓温の死去=謝安の執政」と図式化したくなるが、違う。桓温の死は、謝安が牛耳ることの充分条件ではない。

血縁がある褚太后を祭り上げ、朝廷で有利な地位に付くことが、謝安の本当の狙いである。王彪之は、褚太后に政権担当能力がないから反対しているが、謝安は褚太后に政権担当能力がないから推している。褚太后に対する認識は、政敵同士で共有している。

推理小説のような論順が好きな安田氏は、論文の最後まで、褚太后と謝安の血縁を指摘しない。ミッシングリンクは秘密である。
「謝安のこの不可解な太后推戴は、一体なぜでしょう?」
と、まるで殺害現場に伏線を散りばめるように、真相不明のまま論文を進めています。ぼくは推理小説ファンではないので、いま要約する際に、いち早くオチを暴露しています。


謝安は、もう1人の重鎮で44歳の王坦之ともポストを競いながら、朝廷の人事政策をいじった。桓沖が北府の指揮権を握らないように、将軍を鉢植えした。

鉢植えは、論文の第三節に具体例たっぷりに書かれています。個別の事件への興味は本題ではないので、今日は省略します。

377年10月、桓温の死後4年を経過して、桓沖は中央政界から切り離された。桓温が出発した、荊・江軍閥に戻った。
謝安は、巧妙な人事転換に連打して、桓氏の力を削った。桓氏に滅亡の危機を味わわせては、爆発するリスクがある。そうではなく、桓氏を一軍閥に落ち着かせることが、謝安の狙ったゴールだった。

安田氏が指摘しておらず、ぼくが疑問に思うのが、謝安がなぜ桓氏を抑えることにこだわったかだ。桓氏を抑えることを第一目標に、謝安はのし上がったように見える。わざわざ朝廷内で敵を作るリスクを犯してまで、謝安は強引に昇って桓氏を牽制した。
「桓氏を抑えるべきだ」
が東晋の官人の共通認識なら、わざわざ謝安がムリしなくても、群臣の1人として謝安がやや強めに賛成していれば、同じ結果を得られたはずだ。桓温は、史書が伝えるほど傲岸ではなく、東晋には危険視されていなかったか?
安田氏をはじめとして、謝安の私欲を暴きたい人は、
「謝安が第一人者になりたいから、桓沖を攻撃した」
子供の叩きあいと同列に見なすようだ。だがそれにしては謝安のやり方が穏やかである。さっさと桓沖を滅ぼしても良かったじゃん。謝安の全盛期の権力があれば、できたはずだ。
どうやら桓温と謝安と、どちらにも色濃くバイアスがかかり、観測の定点を失って、本当の姿が見えなくなっている気がする。

褚太后の臨朝の隠れた意味

謝安の生まれた家は、陳郡陽夏の出身だ。東晋になって台頭する「新出門戸」である。謝尚(308-357)の妹・謝真石が、康帝の外戚・褚裒の後妻になって、出世の糸口を掴んだ。

安田氏の論文では、ここで初めて謝安と褚氏のつながりが提示された。
瑯邪の王氏と並び称される権門だが、実は成り上がりなんだよと。読者はここで、驚かなければならない (笑)

謝安は、謝尚の従弟である。
外戚の褚氏には、朝廷で活躍できる人材が出なかった。だから褚太后が頼れるのは、親類の謝氏だった。謝安は、褚太后が政治能力がなくても、というよりは政治能力がないからこそ、自分が頼られることを前提として、褚氏に臨朝させた。