表紙 > 考察 > 袁術は英雄なんだと、真面目に語らせて頂きました

01) 史書のなかのダメな人

袁術は英雄だった。
これを、感情論に走らずに証明する準備です。

ぼくは袁術のファンなので、気をつけないと。。

史料批判の常道

歴史資料を読むとき、いちばん気をつけること。
「書いた人の、主張や立場を割り引く」
この、もっとも基本的な手法を使うだけで、
袁術をかなりの部分で、弁護できると思っています。

さっそくですが、結論。
袁術をけなすのは、孫呉を正統化するためです。
孫呉のバイアスを除けば、袁術は破滅的な人物ではない!
…これを言います。

『三国志集解』と『後漢書集解』の袁術伝を手に入れました。
史料を順に訳し、注釈を加えたいところですが、
その前に、現段階の仮説を、いちおうメモっておきます。

袁術をけなすのは、孫呉ばかり

袁術の失点を、陳寿と裴松之に見ます。

いま、中国のサイト「寒泉」が使えないので、こういう抜粋作業がとても大変です。ちくま訳を、巻末索引からテキトーに拾ってます。雑でごめんなさい。

  南陽郡で、高い税金を取った(袁術伝)
  孫堅への兵糧をストップした(孫堅伝)
  洛陽を平定した孫堅を、警戒した(孫堅伝の江表伝)
  後漢の太傅・大馬日テイを拘留し、節を奪う(袁術伝)
  漢王朝が滅亡すると袁紹に説明(袁術伝の呉書)
  孫策を官位につける約束を破った(孫策伝)
  陳珪は、袁術の誘いを断った(袁術伝)
  張昭、周瑜、魯粛らに、逃げられた(各列伝)
  みずから皇帝を称した(袁術伝)
  蜜を舐めたいと言い、吐血して死んだ(袁術伝の呉書)

なんか、情けない袁術は「袁術伝」より、孫呉にからむ人の列伝や、裴註で語られている気がする。
もうちょっと詳しく、見ておきたいですね。(ぼくが)

袁術を軽蔑している人には、もうたくさんでしょうが…

袁術のダメぶりを分析

袁術のダメぶりは、3つに分類できる。
 1.後漢を勝手に見限り、皇帝を自称した
 2.のちに孫呉を支える、優秀な人材に逃げられた
 3.人格的に劣り、ろくな死に方をしなかった

次回、袁術のダメぶりを、ひとつずつ反論します。