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02) 袁術のための反論3つ

史書に見える、袁術の3つの「ダメ」に反論します。

ダメ1:皇帝となる

袁術が敗者だから、悪く書かれているだけ。袁術その人を評価するとき、カウントしてはいけないはずだ。

歴史を読む人の、基礎の基礎だ。

例えば「皇帝を僭称」と書くと、いかにも悪いことをした気がする。だが実は、「即位」をマイナス評価で書いただけ。曹丕がやったことと同じだ。

袁術は、曹操、劉備、孫氏を敵に回した。だから、三国のどの歴史書にも、悪役として登場する。袁術を褒める史書がない。袁術を褒めるファンも、育ちにくい。

同じ人でも、多面的に描かれているのが、三国志の魅力です。
「蜀の目線では極悪人の曹操が、魏では英雄だ!」とか。
その三国志ですら、袁術は一面的にしか描かれていない。

袁術が悪者なのは、史料を作る側の事情だ。政治的な立場ではニュートラルなぼくたちが、同調する義務はない。

「袁術は、負けたから悪いんだ」と言えなくはない。でも、議論が間違いなく泥沼に落ちる。
例えば、太平洋戦争を評価するとき、こう言う人がいる。
「日本軍がやったことは悪くない。ただ負けたから、日本軍が大陸でやったことが、悪く言われるだけだ。日本軍に過ちがあるとしたら、1つだけ。負けたことである」
ほら、泥沼。ぼくはこの議論に参加する者ではありません。

ダメ2:孫呉の建国の臣を取り逃がす

KOEIの本で読んだことがあります。
「のちに孫権に仕えて、建国を手伝う名臣たちは、いちどは袁術に従えた。人材を活用できれば、袁術は天下を狙うチャンスがあった。だが袁術は、人格が破滅していたから、見すみす彼らを取り逃がした」

ニュアンスが違ったらごめんなさい。忘れた。

ウソである。とぼくは思う。
孫権は、袁術を否定しつつも引き継いだから、名臣たちの経歴が捻じ曲げられたのだと思う。この点は、次頁で詳しく書きます。

話を先取りすると、孫権の臣たちは、
「袁術にゆかりがあるが、袁術を見限って、孫権に従った。袁術ではなく、孫権こそ、真の皇帝なんだよ」
と、身をもって表現するような経歴が必要とされた。適当に改竄もされただろう。

袁術は無視されず、比較対象として、意識されたことに注意。

ダメ3:人格が劣った、単なる馬鹿

「ああ、蜜を舐めたいなあ、ポクッ(死ぬ音)」
史書は、戦績とか政策とかと関係なく、ただヤミクモに、袁術をダサく描くことが目的化しているように見える。

袁術に限らず、史書によくあることですが、「誰が見たんだよ」と突っこみたくなるような、面白おかしいキャラ描写があります。名君はいかにも名君らしく、暴君はいかにも暴君らしくなる。
キャラを立てる目的で書いているから、当然にキャラが立っている。

キャラが漠然としていれば、著者が下手なだけである。

楽しむのはいいが、割り引いて読まなきゃね。

ここで比べておきたいのは、袁紹です。
袁紹は、曹操と仲良しで、一大勢力を築いた巨人として描かれる。じつは曹操と袁紹は、家柄が天地の差で、年齢も10の差だから、仲良しであったはずがない。でも、曹操と仲が良かったことにされた。
なぜか。
曹操が官渡で勝ったことを、持ち上げるためでしょう。曹操が苦戦した相手がザコでは、曹操もまたザコになってしまう。魏の歴史を書く人にとって、曹操は英雄であるべきだ。そのライバルである袁紹も、英雄であるべきだ。曹操サマが、親交を結びたくなるほどの。
歴史家は、ただ1点、優柔不断という袁紹の欠点を強調した。曹操が勝った理由を、分かりやすくするためだ。だが1点だけを除けば、史書の袁紹は、立派な群雄である。

同じ話がある。
西晋では、諸葛亮を褒めやすかった。司馬懿のライバルが立派な人物なら、それを抑えた司馬懿はもっと立派だ!と言えるから。


袁術に戻る。もし孫策や孫権が、袁術と正面から対決&克服していたら、きっと袁術は英雄として描かれた。袁紹と同じパタンだ。
だが袁術を倒したのは、孫策や孫権ではない。だから、呉の歴史を書く人は、袁術をヨイショしなかった。

魏は袁紹をライバルにし、蜀は曹操をライバルにすれば、創業者を賞賛するには、こと足りた。呉で無視されたら、袁術は活躍させてもらえる場がない。

史書の記述だけを見て、袁術が袁紹に、群雄としての素質が劣ったとは言えない。

次回、さっき保留した、
孫権の帝位と、袁術の関係を見ます。