表紙 > 考察 > 袁術は英雄なんだと、真面目に語らせて頂きました

03) 呉の初代皇帝・袁術

孫呉は、自王朝を正統化するために、袁術を悪く書いた。
じゃあなぜ、孫権が直接苦しめられたわけでもない袁術を、わざわざ引っ張り出してきて、いじめたのか。
その答えは、
孫呉は、袁術がもつ帝位の正統を、否定しつつ受け継いだからだ。思いつく限り、これを証明してみます。

孫権の皇帝即位が遅れた理由

220年、曹操が死んだ。
曹丕と劉備は、ともに後漢の献帝を継いだ。曹丕と劉備が皇帝になる正統性は、後漢につなげて説明がつく。だから、同じタイミングでさっさと皇帝を称した。

だが孫権は、後漢との関係性があやふやだから、皇帝になれなかった。

孫権の慎重な性格も、もちろん影響していますが。

221年、孫権が曹丕に臣従して「魏の呉王」になったのは、屈辱でも方便でもなく、身の丈にあった、ちょどいい立場の表明だと思う。

曹丕が禅譲を受けた直後、孫権は対外的に立場を確定させる必要があった。さもなくば、「後漢の揚州牧」のまま。
すでに後漢は滅びて、後継する国家が2つも建っているのに、「後漢の揚州牧」のままでは、孫権さんは時代錯誤である。肩身が狭かった。落としどころが欲しかった。

皇帝になる根拠を探したら…

呉王に封じられた8年後、情勢が変化し、孫権は皇帝になりたいと思った。

1年半くらい前、呉王から皇帝に登る孫権を、考察しました。
呉王孫権と呉帝孫権は、別の人だ

今さら後漢とのつながりを語っても、意味がない。魏や蜀と対抗できないからだ。だから孫権は、袁術を思い出して、みずからの前代に接続したんだと思う。

袁術なら、魏も蜀も忘れている。っていうか、正統を定めるとき、もともと眼中になかった。魏や蜀に対して、オリジナリティを主張する材料になる。
また袁術は、なんの脈絡もなく皇帝となり、なんの後腐れもなく滅びた。手垢が付いていない。
マジシャンが、何もない宙空からハトを出すように、孫権は正統を獲得せねばならない。袁術を使うのがベストだ。

袁術は前例がないことをしたから、さんざん叩かれた。袁術は滅び、みずから孫権の前例となった。

後醍醐天皇の心意気だ。…関係ないことを言いました。


ここで、孫権が袁術を継いだ、2つの証拠をあげます。
婚姻と玉璽です。

証拠1:袁氏と孫氏の婚姻

袁術の娘は孫権に嫁ぎ、子の袁耀は郎中になった。袁耀の娘は、孫権の子・孫奮に嫁いだ。
どこかで見たことがありますよね。
そう!
曹操が娘を、献帝の皇后にした話だ。もっと言えば、前漢の王莽が娘を、皇后にした話しだ。もっと言えば、堯が娘を、舜に嫁がせた話だ。
まぎれもなく、
禅譲を受け、正統を継承するときの段取りだ。
もし袁術が、孫呉で無視されていたら、ここまで手厚く婚姻関係を結ばないだろう。

婚姻政策は、袁術が特別ではないという反論が聞こえてきそうです。いちおう、再反論しておきます。
孫氏は、名士と婚姻して、支配を安定させようとした。いわゆる呉郡の4姓と、親戚になった。いちばん有名なのが、孫策の娘が陸遜に嫁いだことだ。
だが注意したいのは、袁術は揚州の名族ではないということ。南陽から、敗北して逃げてきただけだ。
たしかに後漢の袁氏は、四世三公だから、地域性を越えたパワーがあったかも知れない。でも今は、袁紹も袁術も没落した後である。
禅譲をマネる以外の理由で、孫権が袁術の遺族と、積極的に親戚になった理由を、ぼくは見つけることができません。

証拠2:玉璽は、創作アイテム

つぎの証拠は、玉璽です。
袁術と孫権を結びつけるアイテムが、伝国の玉璽だ。孫策が袁術に取られた品だ。袁術と孫氏をつなぐ。玉璽は、何の正統性もない孫呉のために発明された、せめてもの小道具である。

玉璽が、どこから出てきて、どこへ消えたのか、よく分からない。裴松之がゴチャゴチャ考察しているが、やはりよく分からない。
それもそのはずで、事実でなく、創作された神話だからだろう。
玉璽という小道具はよほど魅力らしい。後世の創作でも、よくキー・アイテムとなる。同時代の文筆家たちも、寄ってたかってアイディアを出し合ったんだろう(笑)

おわりに

以上の2つの証拠でも見たように、
袁術の帝位は、孫権に継承されたのでした。
孫呉ファンは、袁術も応援してほしいと思います。

孫堅は武烈皇帝を、孫策は長沙桓王を贈られている。これらは、ファンタジーの称号だ。だが袁術の帝位は生前のもので、実質的に、孫呉の初代皇帝だと思っていいと思う。
皇帝になっていない曹操を「魏の初代」と言うんだ。皇帝になった袁術が「呉の初代」だっていいはずだ。

え?曹操は曹丕と同姓だが、袁術と孫権は異姓だからダメですか? いいえ。異姓の有徳者に位を継がせるのが、曹丕が熱中した禅譲です。異姓でも、いや異性だからこそ、いいのです!


ぼくは、もとは史書に描かれた袁術の壊れぶりがキッカケで好きになりました。いま擁護に回りました。史書のイタズラって、面白いと思います。
今回は、一般的なイメージを壊すことに取り組みました。つぎは『集解』で、袁術を作り直したいと思います。そのうちやります。100319