表紙 > 読書録 > 『正史三国志 英雄奇談』の読書用インデックス

02) 蜀漢と孫呉の怪談

ぼくが読み返したいと思った怪談を、要約して抜いています。

蜀の章

117)盧弼の『三国志集解』は、南朝梁の陶弘景『刀剣録』を多く引用している。いわゆる五虎将の逸話を読める。陶弘景は、10歳で『抱朴子』を読み、研究に目覚めた。
123)『演義』は、関羽の怪異の宝庫。
128)李意其は、前漢の文帝時代の人。李意其は劉備の死を予言した。裴松之は『神仙伝』を省略して注釈した。『神仙伝』を読めば、裴松之の注釈より詳しく李意其を知れる。
130)孫権は、曹丕より5歳だけ年長だ。孫権は、自分が曹丕より先に死ぬことを心配した。だが闞沢が「丕の文字を分解すると、不十です。曹丕は10年もせずに死ぬでしょう」と宥めた。

133)諸葛亮の南征は『蜀書』『漢晋春秋』『華陽国志』を要約すると、以下の5つだけとなる。
 ○225年3月、諸葛亮は安上から水路で越スイ郡に入った
 ○別路、東から馬忠がショウカ郡へ、平夷県から李恢が建寧郡へ
 ○5月、諸葛亮はロ水を渡り、益州郡へ
 ○秋、テン池に到達、平定を完了
 ○12月、成都に帰還
これだけシンプルな南征を『演義』が膨らますとき、『捜神記』315の鬼弾のエピソードを使ったか。永昌郡の不韋にある毒泉の話だ。

怪談じゃないけど、よくまとまってて役立ちそうだから、南征の解説を引用してしまった。こうして車裂の刑が伝播する (笑)


138)中華民国の楊家駱『新校諸葛亮全集』付録『仙鑑』は、諸葛亮が仙術を学んだ伝説が載っている。五行相生説を元に、漢末の群雄の対立を説明してある。

曹操は木、劉備は火、袁紹は水、孫堅は土、など。

142)落鳳坡は創作だが、黒山の眭固が射犬で死んだのは、『典略』の史実。眭固のあざなは兎で、犬と相性が悪かった。

152)蜀の学会では今文経学が盛んだった。漢代に隷書で記された本を研究する学問だ。
また蜀では、内学=讖緯学も盛んだった。讖緯学者は、魏の天下を予想していた。周舒や譙周である。蜀の年号が「炎興」となったとき、司馬炎が勃興する証だと言った。『蜀書』所引『襄陽記』

「炎興」とは、漢王朝が火徳だから付けられた年号だ。少なくとも、蜀の当局の考えとしてはね。
司馬昭が、我が子に漢王朝の徳を含ませたくてそう名づけたんだとしたら、とても面白い。司馬炎が生まれたのは236年だから、諸葛亮の北伐が終わり、これから公孫淵を討つ時期だ。司馬氏の王朝は、漠然としか見えていない段階だが。


154)周羣は参謀として、「劉備は漢中の土地を得られるが、人民を得られない」と言った。

怪異じゃないな。ただの慧眼だな。

156)張裕は「劉備が漢中で覇権を競ったら、敗れます」と言った。劉備が却下したので、張裕は腹を立て、劉備の死年を予言した。
もともと張裕は劉璋の従事だった。涪県で会談したとき、ヒゲが濃いことを劉備に笑われた。張裕は、劉備のヒゲが薄いのを笑った。

ふつうに『三国志』に出てくる人なのに、知らなかった!


157)蜀の西南には、美女をさらう狒狒がいた。狒狒が作った子は、楊姓を名乗った。猿と楊の発音が似ているからだろう。西南に楊姓が多い理由はこれだ。狒狒とは、異民族だろう。『捜神記』308

呉の章

161)孫権の前に神を名乗る、王表が現れた。姿が見えなかった。腹話術かも知れない。裴注ではなく、陳寿の本文に出てくる。
162)蒋子文は「オレが死んだら、この土地の神になる」と予言した。孫権が敬わないと、祟った。『捜神記』の巻5に載る10話のうち、半分が蒋子文の話。
164)赤壁のころ賀斉は、山越の呪術に困らされた。刀が抜けないし、矢が跳ね返されて自軍に飛んできた。山越に敗れた。

異民族の強力な抵抗が、呪術に化けたんだね。


171)孫休の病気を治すため、巫女を招いた。巫女の腕前を見るために、墓の中を透視させた。『抱朴子』
172)孫皓は巫女に、朱公主の墓を探させた。朱公主は、実姉に二宮の変がらみで殺され、死体が同じような墓に紛れてしまっていた。巫女は、死体の服装を言い当て、朱公主の墓を特定できた。

174)葛玄は、葛洪の従祖父。『呉書』趙達伝の最後に、葛玄が水上を歩いて、伍子ショと酒を飲んだことが書いてある。

178)介琰は、孫権の愛妾が多すぎることを諌めるため、幻術を見せた。死刑になると姿を消した。『捜神記』23
179)姚光は、孫綝を見ると「血生臭い」と唾を吐いた。果たして孫綝は、孫休に殺された。
180)『呉書』18は、『魏書』29と同じ方技伝だ。
184)朱桓の婢は、首が胴体を離れて飛ぶ。『捜神記』036

187)士燮は毒死したが、丸薬を飲まされて1週間後に生き返った。『神仙伝』
189)呉の丞相・張悌の戦死を聞くと、船中で病死した柳栄が生き返った。柳栄は、東晋まで生きた。

死んでなかったんじゃないのか?


190)載洋は呉興郡の人。『捜神記』365のネタが、『晋書』芸術伝に引用されている。12歳で死んだが、5日後に蘇生した。
西晋末、神人が載洋の枕元に立ち「洛陽が破壊されるが、5年後に南で天子が現れる」と告げた。東晋のとき載洋は、「庾亮は、守り神に感謝しなかったから死ぬ」と予言した。『捜神記』249

面白い人なので、『晋書』ででも読むか。


193)諸葛恪が孫峻に殺される前後の場面は、怪異の宝庫。
195)諸葛恪の親友・聶友は、白い鹿を射て、呪われた。鹿は、神木の化身だった。これは清の文人・趙一清が「捜神記に曰く」と書いているが、『捜神記』には見えない話。『三国志集解』が伝える。

203)朱誕は呉郡の名族。正史に列伝を持たない。陸機と陸雲と親交があった。西晋末、陳敏に従わなかった。セミに貴重な薬を盗まれた。『捜神記』404
206)260年、呉で子供たちが遊んでいると、見知らぬ子が混じった。「楽しそうに遊んでいるから、仲間に入ったよ。ぼくは火星の化身。教えてあげる。三国は滅んで、司馬氏のものになるよ」『捜神記』235

つぎは、西晋と東晋です。
えらく先の時代までカバーしています。きっと「志怪小説」が栄えた時代だから、おいしいネタがたくさんあるのでしょう。