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03) 西晋と東晋の怪談

ぼくが読み返したいと思った怪談を、要約して抜いています。文初の数字は、ページ番号です。

西晋・東晋の章ー前半

214)司馬懿は「牛が馬を継ぐ」という予言を本気にしたのか、牛金を殺した。牛金は、公孫淵を討つときに司馬懿に従軍したほどの名将。

牛金=曹仁の副将の最期を、考えたこともなかった。

じつは牛金は無関係で、司馬睿の母・夏侯光姫が、牛氏と密通することを示した予言だった。

216)賈充が伐呉の陣中から姿を消した。役人が後を付けると、賈充は、死んだはずの司馬昭に怒られていた。
「わが家を乱すのは、荀勖と賈充だ。任愷と庾純に、賈充を除かせようとしたが、失敗した。お前は張華を殺そうとした。賈充の跡継ぎは、鐘撞堂の下で死ぬだろう」『捜神記』248、『晋書』

224)司馬師と司馬昭の同母弟・司馬榦は奇怪な人物。人格の壊れた振る舞いをして、311年80歳まで生きた。

『晋書』の列伝を読むべし。怪談ではなく「奇人」の紹介だったんだが、こんな面白そうな人物をノーマークでした。

228)荀彧の玄孫の娘・荀灌は、312年に荊州城で胡コウに包囲された。13歳の少女ながらも、包囲を突破して、周訪に救援を求めた。『晋書』荀シュウ伝

これも怪談じゃない。荀彧の子孫の話を紹介したかっただけ。


230)呉猛は『晋書』に列伝がある。風を止めることができた。干慶が死んだとき、呉猛は「干慶の寿命は残っている。死んだのは間違いだ。天に訴えねば」と言って、干慶を蘇生させた。
干慶の弟が干宝だ。干宝は兄の蘇生を見て『捜神記』を書こうと思い立った。

呉猛は『捜神記』の執筆動機を作ったんだから、手柄は最大だ。

呉猛は長江を割って、モーゼのように渡った。

234)『晋書』張華伝には、剣の話がある。張華が三公になること、西晋が乱れることを予言された。実現した。
236)張華は化け狐を、知恵で殺した。『捜神記』421
237)南朝宋の劉敬叔『異苑』も怪異小説集で、『捜神記』に次ぐ。諸葛恪の博識ぶりが、巨大な亀を煮殺す話を載せる。

西晋・東晋の章ー後半

242)夏侯弘は亡者と話せた。荊州刺史・鎮西将軍の謝尚の馬を生き返した。 謝尚が約束を破って浮気したせいで、男子が生まれないことを見抜いた。『捜神記』48

249)孔愉は、曽祖父が漢末に会稽郡に避難した家柄。亀を助けたら、三公になった。『晋書』孔愉伝、『捜神記』454
東晋の征虜将軍・監揚州江西諸軍事・毛宝の部下は、白い亀を救った。後趙の石鑒に攻められたとき、全軍が水没したが、自分だけ亀に助けられた。『晋書』毛宝伝
251)『三国志』に名はない人だが、呉の董昭之は、アリを助けた。冤罪で処刑されるのを免れた。

258)東晋の甘卓は、甘寧の曾孫。322年、王敦が叛乱した。甘卓は、王敦に味方すると言いながら動かず、決断力に欠いた。甘卓は、庭の樹に自分の顔がかかっているのを見た。すっかり落ち込んだ。甘卓は、王敦に討ち取られた。

260)西晋が滅亡する前兆は、『捜神記』巻6、巻7に多く見られる。倉庫の2頭の龍、2本足の虎、4本角の動物、破れた50足の草履。これらは『後漢書』『晋書』の五行志に収録された。

263)杜預の子・杜錫は、婢を間違って墓に埋めた。10年後に墓を開けると、生きていた。婢は、嫁に行き、子を生んだ。『捜神記』372

269)東晋の桓温は、比丘尼と別室で入浴した。桓温が盗み見ると、比丘尼は刀で腹を破り、両足を断ち切った。風呂上りに比丘尼は、桓温に言った。「あなたが天子を目指すと、ああなりますよ」『捜神後記』

275)前秦の苻丕は、378年に襄陽を包囲した。襄陽を守る東晋の朱序は、苻丕を破った。
のちに朱序は、前秦に捕えられた。降将として前秦の先鋒に属し、朱序は肥水の戦いに参加した。「苻堅敗れたり」とウソを叫び、前秦軍を崩壊させた。東晋を救った、大声が出せる男のお話。

おわりに

『捜神記』を主旋律にして、他の史料に見える「エキセントリックな人」の話で膨らましたような本でした。べつに妖怪や神仏が出てこなくても、怪談になるようです。
300ページの本を、箇条書きの感じで抜き出したので、書いた本人以外は、意味が分からない可能性がありますが・・・皆さんが『正史三国志 英雄奇談』を手に取るキッカケになればと思います。
怪談という切り口から、三国や両晋を紹介した坂口氏の本の雰囲気だけでも、何となく伝われば、成功だと思います。100126