表紙 > 読書録 > 今泉恂之介『関羽伝』で、中国のウソ史実に親しむ

01) 関羽は黄巾討伐に参加しない

今回読むのは、
今泉恂之介『関羽伝』新潮選書2000年
です。
この本の面白さは、文字資料をいくら読んでも出てこない史実が読めることです。もちろん、信頼のおける文字資料がないと史実ではない、というのが歴史学の立場でしょう。ぼくもそうです。
しかし、本場の中国では、
「みんなが信じたフィクションは、史実でいい、と認定される」
という、ワケの分からん理屈が通じているようです。みんなで願えば実現するという、御伽噺かジンクスのような話ですが、、これが今泉氏が会った、本場の研究者の姿勢だそうで。??
今泉氏の『関羽伝』は、民間伝承が昇華して、史実への仲間入りを果たした関羽伝説を紹介しているので、面白い。本が言っていることは地の文で、ぼくの感想はグレー枠の注釈として表現します。

表紙のボデーコピー

関羽は頑固ですぐ怒る。おだてに乗る。だまされやすい。敵の計略で、無念の最期を遂げた。劉備の配下でしかない。諸葛亮に命令される立場だ。中国の豪勇ランキングでは、呂布や趙雲に負けて4位。

豪勇ランキングのことは知らんが (笑)、確かに関羽は二流の人だ。

せいぜいBクラスの関羽が、なぜ神となったか。

1章、故郷を後に

関羽の故郷の解池は、現在でも塩の生産量が中国の74%だ。しかし死海のようには浮かず、腰までの深さしかない。
関羽の生年は不詳だが、山西省の研究家は160年に確定した。

すげー!160年でないことは証明できないが、160年には決められないはずなのに。著者の今泉氏は、
「日本の歴史は日本人が一番よく研究しているのと同様に、関羽については、彼の生まれ故郷の山西省の人々が最もよく研究しているはず」
と言って匙を投げている。山西省がシロと言えば、クロもシロだ。この強引さが、この本を読むメリットではあるのだが。


関羽は龍の生まれ変わりだ。
解州には龍がいた。天帝が、中国全土を旱魃にした。だが解州は、龍のおかげで潤っていた。天帝は、全体方針に逆らった龍を殺した。龍は、嬰児に生まれ変わった。関羽である。

人を助ける心意気は立派だが、関羽の自分勝手な性格は、龍ゆずり?
関羽に好意的な故郷の人が、関羽の弱点まで逸話に盛り込んだとは思えないが。期せずして、勝手な性格が紛れ込んだなら、とても面白い。

霊帝が即位したとき、関羽は数え8歳。18歳で、胡氏と結婚。19歳で関平が誕生。次男の関興も、故郷で生まれた。

地元史家が作った「史実」だが、やがて市民権を獲得する予定らしい。VHSやブルーレイが市場のスタンダードになるか?と同質の戦いである。もちろん、いくら陳寿や裴松之を読んでも、関羽の結婚の話はない。

黄巾の乱は25歳。

◆故郷を出奔する
解州では、呂熊という悪い塩商人がいた。呂熊は、呂布と謀って、巨利をむさぼった。呂布とは、あの呂布だ。呂布が解州で儲けていたことは、地元の研究者は「大筋は信じられる」とする。

呂熊という人名は、史書にない。悪役・呂布からの連想か? 連想が嵩じて、ネタ元の呂布まで紛れ込んでしまったに違いない。

水不足になった。呂熊は井戸を持っていた。呂熊は、「娘を連れてきたら、水を飲ませてやる」と条件をつけてハーレムを作った。関羽は呂熊を殺した。関羽の両親は、関羽の義を認めた。

関羽の親なんて、あらゆる三国物で初登場だ!

関羽の両親は、関羽が逃亡する足手まといになるのを怖れて、井戸に身を投げた。元代から伝わる、身投げの井戸が、今でも中国に残っている。

劉備の麋夫人と同じだ。飛び降り自殺すべきビルがない時代は、井戸のシェアが大きかったらしい (笑)

正史で関羽が「亡命した」とあるが、「命」とは戸籍のこと。このとき関羽は27、8歳だと山西省の研究者は推定する。

山西省の学者の意見を繋げば、関羽は劉備とともに黄巾討伐をしていない。


次男の関興は、故郷で匿われた。関興の後は、関夷、関朗、関康之、関ハン、と血筋が続いた。

陳寿は、蜀漢滅亡時に、龐徳の子・龐会に皆殺しにされたことになってる。

今泉氏は、関羽の62代目、関新剛氏と会った。

2章、義兄弟の契り

関羽が赤ら顔になったのは、逃亡のとき。
老婆に白い布を被せられ、顔をぶつけた。鼻血で赤い顔になった。役人は、人違いだと思って去った。老婆の姿が消えた。

神がかった逸話ですが、布でこすれて鼻血とは…情けなくないか?

他にも、川の水で顔を洗ったら赤くなる話、仙人や観音に染められる話がある。酒のせいかも知れない。赤は、忠勇のイメージカラー。
関羽の元の姓は、「管」「馮」「常」「柁」「封」などの説がある。関所で誰何されたとき、とっさに「関」と口走ったから、関羽になった。

188年29歳のとき、劉備に会った。放浪期間は2年。

史書に、年数の根拠は何もない。

そのころ涿郡の張飛は、売れ残った豚肉を、冷蔵庫がわりに井戸に吊るしていた。500キロの石で押さえた。張飛は、
「石を除くことが出来たら、肉を食っていい」
と懸賞をかけた。関羽が食べてしまった。
別の話。
関羽は緑豆を売って、流浪していた。張飛が緑豆を握りつぶし、
「お前が売っているのは粉だ。インチキ商法だ」
と言いがかりをつけた。関羽と張飛が喧嘩し、劉備が仲裁した。

桃園結義はフィクションだが、日中の研究者は「結義に似たことは行なったはず」とする。義兄弟は、遊牧民に由来する。義兄弟になれば、家族を捨てねばならない、と中国人は今泉氏に説明したんだって。

仲間と家族、両方とも守れるほど、甘くないのだね。

同年同月同日に死ぬのは、裏社会を思わせる。唐宋代に関羽は、「関三郎」として裏社会で敬われた。なぜ「三郎」なのかは不明で、関羽が義兄弟の末弟扱いだったかも知れぬ。

ぼくは、劉備と張飛のコンビに、後から関羽が加わったから「三郎」なんだと思う。1人だけ故郷が違うので。3人が同時に鉢合わせ!というのも劇的だが、それで意気投合は難しかろう。


関羽が29歳、劉備が28歳、張飛は16歳。張飛は年少だが、財力で張り合ったのだろう。劉備は年下だが、犯罪者の関羽は従うしかなかった。
関羽のキャラは「忠義」とされるが、「忠」と「義」は違う。「忠」は君主に対する心で、秦漢時代に盛んに言われるようになった。「義」は仲間や社会への心だ。
関羽が劉備に抱いた心は「忠」よりも、「義」が強い。つまり臣下としてではなく、仲間として損得に関係なく交わった。