表紙 > 読書録 > 仲達が司馬炎に『孟子』『荀子』を講義したら

03) 暴君ならば、殺してよい

澤田多喜男&小野四平訳『荀子』中央公論新社2001
貝塚茂樹訳『孟子』中央公論新社2006

を読みました。
司馬懿が孫の司馬炎に、『孟子』と『荀子』を講義します。

王道とは何か

仲達は、司馬炎に言った。
「今から私が孟子のセリフを読むから、炎は、斉の宣王のセリフを読みなさい」
「わかりました」
仲達が、声を奮った。
「孟子曰く。宣王さまは、戦争をなさいます。家臣たちの生命を犠牲にすることが愉快だから、戦争をするのですか」
「戦争は愉快ではない。私の欲望を実現したいから、戦争をするのだ」
「欲望とは何ですか」
「いや、その・・・あはは・・・」
「宣王さまは、今以上に、脂ののった肉、甘いお菓子、温かくて軽い衣服、派手な建物がほしいのですか」
「そんなセコい欲望のために、戦争はしない」
「中国の覇者となり、他国をひざまずかせたいのですね」
「そう・・・だと言ったら、何とする」
「それは、不可能です」
「孟先生、それはなぜですか」
いくら斉が大国とは言え、天下の一部に過ぎません。残りの天下全てを敵に回して、勝つことはできません。小国が大国に勝てないのと、同じ理屈でございます」
「じゃあ斉王の私は、どうすれば良いのか」
「人民を保護する、仁政をやりなさい。これが王道です」

王道を、司馬氏のために捉えると?

司馬炎が、本を投げ出した。
「おじいさまは、蜀や呉を併合しなくても、良いというのですか。『孟子』を私に読ませて、中原の大国・魏でも、呉と蜀を同時に敵に回したら、勝てないと言いたいのですか」
「論点がズレているよ、炎」
「いいえ、ズレていません」
「冷静になれ。『孟子』は、対外戦争をしかける前に、いま自分の国でできることを努力せよ、と説いているのだ。少なくとも私は、そう読むのだ」
「では、対外戦争は、二の次ですか。そもそも諸葛亮の北伐を防ぎきったのは、おじいさまではありませんか」

仲達が、咳払いをした。
「諸葛亮は、自国の求心力を、内政だけでキープできないから、北伐を始めた。だが国内すら治められない人が、他国に侵攻したところで、成功するはずがない。だから諸葛亮は失敗し、蜀は国力を使い果たした。王道を踏み外した」
「おじいさまは、おじいさまが優れているからではなく、諸葛亮が誤ったから、北伐を防げたと言うのですか」
「そういう捉え方をしても、よい」
「謙虚すぎます。だから曹爽が、のさばるのです。私は無念です」
「『孟子』を読むとき、魏と呉蜀の関係だけに置き換えるのでは、まだ足りない。国だけでなく、家についても言えるはずだ」

仲達は、孟子の7巻を開いた。
「孟子曰く。人々は口癖のように『天下・国家』と言う。だが、天下は国家が集まったものだ。国家、イエが集まったものだ。イエは、個人が集まったものだ、と。自分自身に意識を集中せよ」
司馬炎の顔が赤らんだ。
「曹爽を討つ前に、司馬氏の実力を底上げするという意味ですか。司馬氏を強化するために、司馬氏の全員が、修養せよということですか」
「お前は若いから仕方ないが、何でも口に出すな」

暴君を殺してもよいが

仲達が『孟子』をなぞった。
「夏の桀王や、殷の紂王は、暴君だった。孟子曰く、暴君を殺すことは、正しい。暴君は、道を踏み外した1人の男に過ぎない。暴君を殺しても、反逆罪にはあたらない」
「主君が無道なら、革命をしてもいいのですね」
司馬炎が、身を乗り出した。
「そんなに逸るな。どうせ昭は、曹氏の皇帝を殺したくて、ウズウズしているのだろう。そのための口実を、古典に探しているんだろう」
「・・・」
「そうか、図星か。しかし孟子は、革命を戒めている。クーデターを起こしてよいのは、赤子のような純粋な気持ちの持ち主だけだ。曹氏に大した過ちがないのに、危害を加えたりすれば、司馬氏が責められることになる」
「はい」
「このことは、注意しても、注意し過ぎることはない。わが手で禅譲を・・・などとは、くれぐれも思わないことだ」

次回、最終回。仲達が司馬炎に、アドバイスをします。