01) ぼくと三国志との出会い
今朝、西嶋定生『中国史を学ぶということ』を読みました。
要約をエクセルで作成し、HTML化しました。
とても面白い論文だから、せっせとレジュメを作ったんだが、これを読みながら考えたことを書きとめておこうと思います。
結論:ぼくの知りたい三国志は、倭の五王が終わらせた
70ページの論文、短くみじかく要約
西嶋氏曰く、日本人が中国史を学ぶ理由は、前近代の日本史を知るためである。
日本は、中国を中心とする「東アジア世界」で形成された。東アジア世界とは、西洋やイスラムと没交渉で、自己完結した領域だ。
東アジア世界は、中国皇帝を中心とした冊封体制によって築かれた。周辺諸国は、自国の権威を確立したいという政治的ニーズにより、冊封を受けて、中国皇帝に臣従した。
皇帝の言葉を知るため、周辺諸国は漢字を勉強した。共通する文化を持つ、1つの世界を形成するに到った。日本はその一員だ。
日本の冊封は、光武帝から金印をもらったときに本格的に始まり、邪馬台国が「王号」をもらってピークに。
だが5世紀後半に、冊封が終わった。倭の五王が「治天下大王」を名乗るようになり、中国への臣従を辞めたからだ。遣隋使も遣唐使も、貢物と文化のやりとりであり、臣従ではない。
東アジア世界は、唐の滅亡とともに消滅。周辺諸国は、文化を分化させる。日本では、仮名文字を発明し、国風文化を形成した。
宋明の時代になると、政治的な冊封体制でなく、経済交易をベースとする新しい東アジア世界が作られる。倭寇と貿易の時代だ。
ぼくが三国志に興味を持った事件
ぼくは小学生のときから、日本史が好きな少年でした。
どれくらい好きかと言うと、就職のしにくさを無視して、高校で理系クラスに通いながら、日本史をやるために、大学の文学部を選んだほど。大学3年生まで、ぼくは日本史が好きでした。
しかしあるとき、日本史の窮屈さに直面します。天皇制が云々とか、イデオロギー的なテーマで、とても不自由な思いをしました。そこで考えたことは、
「日本史に興味がある。だが、タブーが存在する日本史は、扱い方を間違えると大惨事を招く。日本史への興味と、言論の自由を両立できないものか」
タブー問題に苦しんだとき、たまたまPS2で『真・三國無双』シリーズに没入し、三国志を知りました。
「三国志には、日本史の起源がある。そしてタブーがない。魏や蜀の正統論で、眉を吊り上げる人は、ほとんどいない。理想郷だ!」
三国志は、外国の歴史ではない
西嶋氏が述べておられるように、日本人が中国史を学ぶとき、2つのニーズがある。現代中国の研究と、日本史の研究だ。
西嶋氏は後者、日本史に関心があった。ぼくも同じく後者です。日本史のために、中国史をやる。日本人なら、ありがちな関心だ。
枝分かれする大木を想像して下さい。
いま中国と日本は違う国です。違う枝に、葉を茂らせている。だが遡れば、同じ幹に行き着きます。西嶋氏が述べる、東アジア世界が、その幹に当たります。
三国時代に邪馬台国は、魏に臣従していた。邪馬台国(日本)は、魏の一部だった。曹操や司馬懿の話は、外国の歴史ではない。
次回、西嶋論文を踏まえて、
王莽の時代から、
ぼくが知りたい三国志が始まると思う理由と、
南朝宋の途中までで、
ぼくが知りたい三国志が終わると思う理由を書きます。