表紙 > 漢文和訳 > 『世説新語』に登場する、東晋の元帝・司馬睿を総ざらい!

02) 子の司馬紹にやり込められる

『世説新語』より、
東晋の元帝・司馬睿が登場する全てを抜き出します。

規箴11、アルコール断ち

司馬睿は、長江を渡ってから、ますます酒量が増えた。

辺境での建国は、つらかったのです!
ぼくも酒が好きで、前職でストレスが溜まったとき、意識がなくなるまで、よく飲みました。まずいと思い、禁酒本を読むと、
「もともと酒を飲めない人が、ストレスのせいで後天的に酒飲みになることがある」
と書いてました。
バカを言っちゃあいけない。先天的な酒飲みがいるわけない (笑)

王導は、涙を流して、司馬睿を諌めた。
「司馬睿さん、酒を飲みすぎてはいけません」

宰相に泣かれるほどの酒飲みって、、どれだけ飲んでたんだ?
揚州に逃げ込んだ無念が、いかに酷かったか想像できる。

司馬睿は、分かったと言い、酒を1杯酌ませた。
「これで最後だ。もう飲まない」

禁酒本によると、最後の1杯を飲み干して、断酒せよと。20世紀に欧米人が書いた本と、同じことを元帝がやっている。。

これっきり、司馬睿はもう酒を飲まなかった。

酒好きの諸兄が気になる情報だと思います。酒好きの司馬睿は、何歳まで生きられたか。47歳でした。
まあ晩年は王敦に脅かされて、死期を早めたから・・・どれだけ酒が寿命を縮めたかは分からん。

夙慧3、長安と太陽は、どちらが遠いか

司馬睿の子・司馬紹が幼いときの話。

司馬紹は、前頁で王導に支持されて、皇太子になった長男。

司馬紹は、司馬睿の膝の上にいた。長安から、建康に人がやってきた。司馬睿は、長安から来た人に洛陽の様子をたずね、はらはらと涙を落した。

つくづく中原が恋しい、無念な人です。司馬睿は。
『世説新語』を書いているのは、南朝宋の人だ。中原を異民族(北魏)に占領されている憂さが、溜まっているはずだ。その憂さを、何でもかんでも集めて、司馬睿のイメージを作ったのかも知れない。

幼い司馬紹は、父の司馬睿に聞いた。
「なんで父上は、泣くのですか」
「私たち司馬氏が洛陽を陥落されて、こんな辺境の地に移ってきた経緯を教えてやろう。まず、初代の武帝・司馬炎さまが崩御したとき・・・」
司馬睿は、八王の乱と、永嘉の乱を、教えてやった。

つづけて司馬睿は、司馬紹に聞いた。
「お前は、長安と太陽と、どちらが遠いと思うかね」

永嘉の乱のあと、西晋で最後の愍帝が、長安で即位した話から脱線したんだろう。2つの乱を説明した内容は、『世説新語』に一切書いていないから、ぼくの推測ですが。
司馬睿は大人だから、長安が太陽より近いことを知っている。だがセンチメンタルな心情的には、長安のほうが遠い。だから幼子に、こんな発問をしたんだろう。

幼い司馬紹は答えた。
「太陽が遠いです。長安から来る人はいますが、太陽から来たという人は、おりません。ちゃんと分かります

「ちゃんと分かります」の原文は「居然として、知るべし」です。この漢字4文字がなくても、充分に質問の答えになっているのに、なぜわざわざ加えて言ったのか。幼子の心中を推測してみます。
「父は『長安が遠い』と感情的に嘆いているが、長安は遠くありませんよ」と、慰めたのでは? 理性で引き戻してあげた。

司馬睿は、この答えにとても感心した。

翌日の宴会で、司馬睿は司馬紹に、同じことを聞いた。

子供の受け答えが優秀だから、群臣に見せびらかしたくなったのです。

「お前は、長安と太陽と、どちらが遠いと思うかね」
「太陽が近いです」
親バカな司馬睿は、色を失った。

子供を見せびらかすつもりが、子供のバカを宣伝した。焦るよね。

司馬睿は、司馬紹に言った。
「おい、昨日の答えと違うだろ」
「だって、太陽は見上げれば見えますが、長安は見えません

数年前に「アメリカと月、どちらが遠いか」という小噺を読んだなあ。

豪爽5、息子のおねだりと叛逆

前出の司馬紹は、池台を作りたいと思った。だが父の司馬睿は、これを許さなかった。司馬紹は皇太子の身分だから、皇帝の父の言うことは絶対だ。
司馬紹は、武芸が好きで、体力のあり余った士人を養っていた。ひと晩のうちに、司馬紹は士人に池を掘らせて、明け方に出来上がった。司馬睿は、息子の早業に驚いた。
これが、現代でも残っている「太子西池」である。

現代とは、『世説新語』が書かれた南朝宋。
注釈の『丹陽記』によれば、司馬紹は、孫権の太子・孫登が作ったものを、修復しただけだそうだ。孫登と司馬紹、どちらにしろ「太子」だから、ぼくはどっちでもいいと思う!


次回、司馬睿が全力で恥ずかしがります。