02) 子の司馬紹にやり込められる
『世説新語』より、
東晋の元帝・司馬睿が登場する全てを抜き出します。
規箴11、アルコール断ち
司馬睿は、長江を渡ってから、ますます酒量が増えた。
ぼくも酒が好きで、前職でストレスが溜まったとき、意識がなくなるまで、よく飲みました。まずいと思い、禁酒本を読むと、
「もともと酒を飲めない人が、ストレスのせいで後天的に酒飲みになることがある」
と書いてました。
バカを言っちゃあいけない。先天的な酒飲みがいるわけない (笑)
王導は、涙を流して、司馬睿を諌めた。
「司馬睿さん、酒を飲みすぎてはいけません」
揚州に逃げ込んだ無念が、いかに酷かったか想像できる。
司馬睿は、分かったと言い、酒を1杯酌ませた。
「これで最後だ。もう飲まない」
これっきり、司馬睿はもう酒を飲まなかった。
まあ晩年は王敦に脅かされて、死期を早めたから・・・どれだけ酒が寿命を縮めたかは分からん。
夙慧3、長安と太陽は、どちらが遠いか
司馬睿の子・司馬紹が幼いときの話。
司馬紹は、司馬睿の膝の上にいた。長安から、建康に人がやってきた。司馬睿は、長安から来た人に洛陽の様子をたずね、はらはらと涙を落した。
『世説新語』を書いているのは、南朝宋の人だ。中原を異民族(北魏)に占領されている憂さが、溜まっているはずだ。その憂さを、何でもかんでも集めて、司馬睿のイメージを作ったのかも知れない。
幼い司馬紹は、父の司馬睿に聞いた。
「なんで父上は、泣くのですか」
「私たち司馬氏が洛陽を陥落されて、こんな辺境の地に移ってきた経緯を教えてやろう。まず、初代の武帝・司馬炎さまが崩御したとき・・・」
司馬睿は、八王の乱と、永嘉の乱を、教えてやった。
つづけて司馬睿は、司馬紹に聞いた。
「お前は、長安と太陽と、どちらが遠いと思うかね」
司馬睿は大人だから、長安が太陽より近いことを知っている。だがセンチメンタルな心情的には、長安のほうが遠い。だから幼子に、こんな発問をしたんだろう。
幼い司馬紹は答えた。
「太陽が遠いです。長安から来る人はいますが、太陽から来たという人は、おりません。ちゃんと分かります」
「父は『長安が遠い』と感情的に嘆いているが、長安は遠くありませんよ」と、慰めたのでは? 理性で引き戻してあげた。
司馬睿は、この答えにとても感心した。
翌日の宴会で、司馬睿は司馬紹に、同じことを聞いた。
「お前は、長安と太陽と、どちらが遠いと思うかね」
「太陽が近いです」
親バカな司馬睿は、色を失った。
司馬睿は、司馬紹に言った。
「おい、昨日の答えと違うだろ」
「だって、太陽は見上げれば見えますが、長安は見えません」
豪爽5、息子のおねだりと叛逆
前出の司馬紹は、池台を作りたいと思った。だが父の司馬睿は、これを許さなかった。司馬紹は皇太子の身分だから、皇帝の父の言うことは絶対だ。
司馬紹は、武芸が好きで、体力のあり余った士人を養っていた。ひと晩のうちに、司馬紹は士人に池を掘らせて、明け方に出来上がった。司馬睿は、息子の早業に驚いた。
これが、現代でも残っている「太子西池」である。
注釈の『丹陽記』によれば、司馬紹は、孫権の太子・孫登が作ったものを、修復しただけだそうだ。孫登と司馬紹、どちらにしろ「太子」だから、ぼくはどっちでもいいと思う!
次回、司馬睿が全力で恥ずかしがります。