表紙 > 漢文和訳 > 『世説新語』に登場する、東晋の元帝・司馬睿を総ざらい!

03) 名士に拒絶され、占領地で失言し

『世説新語』より、
東晋の元帝・司馬睿が登場する全てを抜き出します。最終回。

寵礼1、皇帝を名乗るなんて、恥ずかしい

元旦の儀式のとき。
司馬睿は王導を、玉座に上らせようとした。王導は固辞した。だが司馬睿は、いよいよ力を込めて、王導を引き上げようとした。

司馬睿の心の声を推測します。
「東晋皇帝の玉座なんて、大して価値がない。辺境のチッポケな政権じゃないか。東晋皇帝の地位を、ご大層に権威づけるなんて、バカみたいだ。いっそのこと、本当に実力のある奴が、東晋皇帝になれば良かろう。むしろ、セイセイするじゃないか」

王導は言った。
「太陽の輝きと、その他の万物の輝きが、同じだったら、臣下たちは何を仰ぎ見たらいいのですか。皇帝というポジションは、唯一絶対だから、価値があるのです」

王導の心の声を推測します。
「東晋皇帝というのは、確かにオママゴトでしょうよ! 辺境しか治めていない皇帝なんて、本来の皇帝じゃないよ。でも、せっかく司馬睿さんを即位させて、恰好が付いたんだ。中原から逃げてきた漢族の安寧のため、司馬睿さんは皇帝を演じ切りなさい。心細いからって、私を巻き込んではいけない」
司馬睿の苦しみ&恥ずかしさを見ると、劉備や孫権が、皇帝として、ふんぞり返っていた図太さが、強調されますね。

排調11、子づくりの功労者?

司馬睿に、皇子が生まれた。お祝いとして、群臣に賜りものがあった。
殷羨は、お礼を述べた。
「皇子のご誕生、おめでとうございます。しかし私は、申し訳なく思います。皇子の誕生のために、私が何かお役に立ったわけでもないのに、タダで賜りものをもらうとは」
司馬睿は言った。
「子づくりに関しては、あなたに手伝ってもらうわけにもいかんよ」

穏やかな日常の一幕。ホームドラマ。ジョーク。
ストレスばかりの後半生だったけど、おめでとう!司馬睿!

尤悔9、名士に歓迎されていない?

温嶠は、司空の劉琨に命じられて、司馬睿に皇帝即位を勧めようと思った。だが温嶠の母が、止めた。
「司馬睿を皇帝にしたら、かえって漢族が混乱するでしょう」

温嶠の母がなぜ止めたか、『世説新語』に書いてない。いちばん知りたいところなのに! ここに書いたセリフは、創作です。
司馬睿は、司馬氏の生き残りではあるが、傍流です。漢族が中原を失ったとき、つぎの求心をどこに置くか、いろんな異説があった方が自然です。揉めて当然。
ありがちな「母」の行動パタンとして、我が子に危ない橋を渡らせたくなかった、というのも考えられるが。

温嶠の母は、温嶠の衣のスソを握って、引きとめた。だが温嶠は、母が握ったスソを切り落として、司馬睿のために出かけた。
こんな親不孝をしたから、温嶠は、中正官から評価が低かった。

九品中正とか、州大中正とか、、人事評価の仕組みです。


司馬睿は、温嶠に恩を感じていた。だから司馬睿は、温嶠に高い爵位を与えたい。
だが、司馬睿の思惑は実現しない。中正を経由させた、正規の任命ルートでは、温嶠は高い地位に就くことができないからだ。だから司馬睿は、温嶠を任命するときだけ、個別に詔を発した。

「温嶠の恩に報いた」というとキレイだが・・・
温嶠をのちのちまで顕彰しなければならぬほど、司馬睿その人の立場が弱かったと読むこともできる。
魏晋の名士がつくった人物評価の秩序に、司馬睿が歓迎されていなかったとしたら・・・いくら皇帝を名乗っても、針のムシロだろうな。名士を冷遇した公孫瓉と同じく、孤立するリスクが高い。
もともと中正の制度は、陳羣や司馬懿ら名士が、自分たちを有利にするために作った人事制度だ。これが司馬睿を苦しめるとは・・・皮肉なものだ。司馬睿の血筋が傍流だから、認められないのかな。

紕漏2、ノコギリで首を斬られたのは誰だっけ

司馬睿は、はじめて賀循に会った。司馬睿は、孫呉の時代のことを、賀循と喋った。

司馬睿は、共通の話題でも見つけようとしたのだろう。もし司馬睿が、絶対の権力を持っていれば、こんな気遣いは不要だ。一方的に相手に、テーマを提出させればいい。偉そうに、
「何か、面白い話はないのか」
と賀循に言えないところに、司馬睿の苦労が見えます。

司馬睿曰く、
「呉の最後の皇帝・孫皓に、焼いたノコギリで、首を斬られた人が、揚州にいたよな。たしか姓は、賀循さんと同じ、賀氏だった気がするけれども・・・」
賀循は、何も答えない。
司馬睿は、自ら思い出して、言った。
「ああ、そうだ。首を斬られたのは、賀劭という人だった」

賀循の目から、涙が落ちた。
私の父は、孫皓に無道な目に遭わされました。私の心の傷は、あまりに大きく、また痛みが深かったので、司馬睿さんの質問に答えることができませんでした」

司馬睿がネタにした、首を斬られた賀氏とは、いま目の前で喋っている、賀循の父だった。

司馬睿は失言に気づいて、3日間、引きこもった。

三国統一から、まだ30年しか経っていない。西晋の短さは残念だったが、三国との繋がりが読めるのは嬉しい。
勝った側の司馬睿にとって、三国時代はすでに「歴史上の出来事」だ。司馬睿は、司馬懿の曾孫だから、文字通りに「隔世の感」だ。
だが、負けた側の旧呉の人々にとって、三国時代は「生々しい傷跡」だ。
脱線します。
ぼくは、日本が前世紀に経験した戦争を、まるで7世紀の白村江の戦いや、13世紀の元寇と同列に感じている。「白村江のときの、天皇は誰だっけ」「元寇のとき、上陸された地名は・・・」という感覚で、太平洋戦争の話題を、外国人に振らないように注意せねば。地雷だ。

おわりに

以上で、司馬睿が登場する『世説新語』のネタは終わりです。
司馬睿は、いくつもの抑圧を受けていた人でした。西晋で皇族が失敗した責任と、中原を失った無念さと、自分が司馬氏の正統か?という怪しさと、皇帝という肩書きと、皇帝を名乗るわりには小さな領土と、揚州の在地勢力との対立と、変に知恵が付いた息子と。
司馬睿を好きになりました。もっと掘り下げたい。100207