表紙 > 読書録 > 安野光雅&半藤一利『三国志談義』の同席メモ

03) 名言の用法、川柳や俳句

安野光雅、半藤一利『三国志談義』平凡社2009
を読んでいます。
ぼくより50歳以上も年上の文化人が、座談しています。最終回。

4章、三国志の名言や至言

「泰山鳴動して、鼠一匹」は、ローマのホラティウスの詩。元々の意味は、山脈(大山)が噴火しそうで胎動したのに、ハツカネズミが生まれただけだった、という意味。「泰山」は字が化けたもの。そもそも中国の泰山は、火山ではない。

へええ!そうだったのか!と感心した。本当かなあ (笑)


「蟷螂の斧」は『文選』が初出で、『後漢書』袁紹伝に流用されたもの。陳琳が檄文で、曹操の弱小さを言うときに使った。『平家物語』への引用がある。
『荘子』の「龍のヒゲをアリが狙う」よりも、ずっと上手だ。
鏡を水面と間違えて産卵するトンボ、自動車から身を守れると思って、路上で丸まるアルマジロがいる。アルマジロは、当然死ぬ。

「水魚の交わり」と「魚心あれば水心」は違う。後者は、賄賂を要求するニュアンスがある。男同士なら「刎頚の交わり」の方が、使いやすい。男女なら、女が水だ。

「強弩の末」は、諸葛亮が遠征した曹操軍の弱さを表現したもの。
ガタルカナルの零戦は、往復の燃料しか積んでおらず、敵の上空では10分しか飛べなかった。攻撃に時間を費やすと、ラバウルの基地に戻る前に墜落した。

リアリティがある比喩です。諸葛亮に「薄い絹すら貫けない」なんて言われても、いまいちピンと来ていなかった表現だったが。

「燃眉の急」とは、蝋燭が顔の近くにあって、眉に引火するほどギリギリという意味。「焦眉の急」と同じ。諸葛亮より。

「焦眉」はショウビ。「愁眉」はシュウビで、心配そうに眉をひそめること。「愁眉をひらく」は、心配がなくなること。


「豚児」は、曹操が劉表の子をけなしたもの。つまり自分の子を謙遜するときに使うのは、間違い。他人の子をバカにするとき、使え。

じゃあ、あんまり使いどころがない。死語になる。。

危急存亡の「秋」を「とき」と読み、進退「谷まる」を「きわまる」と日本人は読んできた。
「後出師の表」にある「死而後已」は「死してのち已まん」だ。「撃ちてし已まん」という太平洋戦争の標語を連想させる。

松本清張の小説で、汚職企業が馬謖を斬る。
「妻子の面倒は見るから、犠牲になって飛び降り自殺をしてくれ」
太平洋戦争中、大本営は「破竹の勢い」をよく使った。

5章、俳句と川柳で名場面をうたう

おじいさん2人が、思いつきで俳句やらを読んでいく章です。「なるほど、うまい」と思ったものだけを、厳選して引用しておきます。

三国志、書簡のところは飛ばすなり

引用文や難しいところは、読まない。ふふふ。

茶に酔ったふりで、玄徳は挨拶し

曹操と英雄談義をしたとき、雷が鳴りました。

孔明は、三会目から帯を解き

男女関係に例えているそうです。

橋1つ、張飛、長阪、ノモンハン

チョウ、ハン、が韻を踏んでいるそうで。
ノモンハンをぼくはよく知らんが、橋を1つ落とされたら大いに困った戦いだそうだ。ネタが・・・話者らしいなあ、と。

趙雲は、ネンネンコロリと首をはね

劉禅をあやしています。

赤壁の、業火 3月10日なり

東京大空襲の日だそうです。

赤壁や 戦さこのかた 水ぬくし

火計で煮えたのでしょう。


さっぱりしたと 曹操へらず口

潼関で曹操は、ヒゲを切って逃げました。

荀彧は、死を予感して餃子喰い

毒入りギョーザ事件のことのようです。

黄原や、馬謖をどこに埋めたやら

切ない・・・

初かつを、下女 鶏肋をしゃぶってる

初鰹が食べれないから、鶏肋で我慢。。

五丈原 羽の団扇の重さかな

体力が衰えて、羽扇すら重いのです。上手いなあ。

おわりに

話者の2人は、生まれ育った時代の影響を、積極的に反映させて、三国志を読んでいました。ぼくは太平洋戦争を知らないので、そのままマネすることは出来ません。マネする必要もありません。
ただこの本を通して、
自分の世代にしかできない解釈が、三国志を読むとき、他にない特徴になることが分かりました。毎日の会社生活で考えていることを、もっと反映させていきたいなあ、と思いました。100130