表紙 > 漢文和訳 > 『世説新語』に登場する、鍾会を総ざらい!

03) 司馬懿のいみなを冒す

『世説新語』より、
鍾会が登場する全てを抜き出します。
早くも最終回ですが・・・

巧芸21、荀勖のしかえし

鍾会の妹は、荀勖の母である。おじとおいに当たる、鍾会と荀勖は、あまり仲が良くなかった。
荀勖は高価な宝剣を持っていた。鍾会は、荀勖の筆跡を真似て、宝剣を持ち出し、そのまま自分のものにしてしまった。

鍾会は、筆マネがうまい。のちに蜀で鄧艾の筆をマネて、鄧艾を罪に陥れた話が『世語』にある。

荀勖は悔しがったが、宝剣を取り戻せない。

のちに鍾会の兄弟が、豪邸を作った。鍾会が入居する前に、荀勖は門堂に、鍾会の父・鍾繇の姿を描いた。鍾繇の肖像は、まるで生きているようにリアルだった。
鍾会は、父の絵に恐れ入って涙を流した。鍾会は、せっかく建てた豪邸に、住むことができなかった。宝剣の値段の数十倍を、荀勖のせいで、鍾会はムダにさせられた。

父に恥じるような屋敷を立てるから悪いんだろ (笑)
鍾会の兄弟とは、前頁で見た、汗かきの鍾毓のことか?
兄弟で一緒に住むなんて風習を、他の場面であまり見ない?

簡傲3、見えるものを見て、聞こえるものを聞く

鍾会は、嵇康のことをよく知らなかった。

嵇康は、竹林の七賢の1人だ。

鍾会が、友達をゾロゾロと連れて、嵇康に会いに行った。嵇康は、向秀を助手にして、鍛冶の仕事をしていた。

向秀も、竹林の七賢だ。

嵇康と向秀は、鍾会を無視して、鍛冶を続けた。

生計を立てるために、鍛冶をやっているんじゃないだろう。どうせ趣味なんだ。サラリーマンが土日に、陶芸を習いに行って、何かを悟った気になるのと同じだ。貴族の遊びだ。

鍾会は、面白くないので帰ろうとした。
嵇康が聞いた。
「こら鍾会よ。私に何を聞きに来たのか。そして、私から何かを聞くことがなく、何を見て帰ろうというのか
鍾会が答えた。
「聞こえるものを、聞きに来た。見えるものを見たから、帰るんだ」

「何とか言ってみろ」と言ったら、「何とか」と言う子供がいますが・・・そんなノリだな。
鍾会は、とんがった人です。

排調2、1言で3人、父のあざなで意趣返し

司馬昭は、陳騫と陳泰とともに、車を走らせた。鍾会も同じ車に乗るはずだったが、身支度に遅れた。車は、鍾会をピックアップせず、先まで走ってしまった。
鍾会が追いついた。
「司馬昭さん、なんで私を置いていったんだ」
「きみが遥遥として(遠くにいて)見えなかったからだ」

「遥」とは、鍾会の父・鍾繇の「繇」と同音。父の名を口に出すことは、もっとも失礼なこと。司馬昭は、遅れた鍾会が悪いくせに、反省せず逆切れしているから、怒ったんだね (笑)

鍾会は答えた。
然として、実としていれば、どうしてを同じくしないことがあろうか」

陳矯は、陳騫の父。司馬懿は、司馬昭の父。陳羣は、陳泰の父。3人分の父の名を言って、鍾会がやり返した。
いちおう意味不明ではないが、内容なんかどうでもいいんだ (笑)

司馬昭は、鍾会に聞いた。
「ええと、舜の時代のコウ繇は、どんな人だったかな」

このタイミングで、超古代の話をする必要は、まったくない。ただ、鍾会の父と同名だから、口に出したかっただけだ。
仕返しのため、父の名を出すにしても、まったく脈絡のない発言をしたので、司馬昭の負けだと思う。ダサい。

鍾会は答えた。
「彼は、士だったと思います」

「懿」には「すぐれている」という意味だ。どんな文脈でも、登場させやすい。鍾会のほうが、いくらかハンデをもらっているなあ。

おわりに

鍾会が登場するのは、以上で終わりです。
入蜀してからの話が読みたかったが、中央のサロンには記録が残らないからか、ネタなし。それは仕方なし。

魏晋の名士たちは、やりこめ、やりこめられ、腹を探り、探られ、陰に陽に張り合っていたようです。その風土を楽しく読めることは、『世説新語』の恵みですね。100124