表紙 > 読書録 > 岡田英弘『倭国の時代』で、三国から日本史を知る

03) 中国の人口増減と、日本史

岡田英弘『倭国の時代』文藝春秋社1976
を読みました。
気になった内容だけを抜粋し、感想をはさみます。

7章、中国はアジアをつくる

漢代に、日本からの外交を請け負ったのは、楽浪郡である。
皇帝に捧げる書物にミスがあると、楽浪太守にも責任が及ぶ。だから上表文は、中国側が作ってやった。

そんな上表文に、史料価値があるのか?

大鴻臚からお迎えがきて、午前2時に使節は出発する。夜明けに、朝廷にたどり着く。

わざわざ遠くに宿を取らせて、ありがたみを増す演出だ。

朝貢は、皇帝個人に対して行なうものだ。皇帝は、遠方から使者がくると、自分の臣下に対して面目が立った。皇帝は、外国の使者に、稀少な名産品を持ってこさせる。皇帝は、名産品を臣下にバラまいて、面目を立てる。
これは礼物のやりとりであり、「貿易」ではない。

朝貢とは違う、貿易について。
涼州は、西域への窓口だ。雲南は、インドや中央アジアへの窓口だ。同じように、幽州や朝鮮は、日本への交易窓口だ。前漢の武帝が、朝鮮を討ったのは、交易ルートを確保するためだ。
後漢になって国力が弱まり、朝鮮半島が放置された。郡が統合された。高句麗が誕生した。
会社に例える。本店である中国が縮小すると、現地の代理店が独立する。中国の周囲は、いつも同じ動き方をする。

8章、奴国から邪馬台国へ

食料が余剰しないと、国家は形成されない。なぜなから国家は、生産に携わらない人を抱えるからだ。
紀元前1世紀、倭人の諸国は、中国の貿易商船と接触して、農業だけでなく、商業を始めた。余剰する食料を作り始めた。楽浪郡や前漢皇帝と仁義を切り、縄張りを認めてもらおうとした。

前漢は、人口が過剰である。中国大陸が無理なく養えるのは、5千万人だ。西暦2年のとき、人口はほぼ華北だけで、6千万人弱もいた。

華南の開発が完了した1381年ですら、前漢と同じ6千万人弱。

過剰な人口は、都市を成長させた。武帝時代の戦争を知らず、都市で育った人は、空想的・神秘的な宗教にハマった。儒教である。元帝は儒教に浸水し、王莽の革新運動を招いた。
戦乱が始まり、光武帝の末・西暦57年は人口が2千万人。3分の1に減ってしまった。人口が少ないので、後漢は都市を減らして、政府を小さくした。

後漢は、前漢の3分の1からしか税金を受け取ってない!
岡田氏は、初歩的なミスをしています。「国家に徴税する人間=大陸で息をしている頭数」という調子で書いている。違うよな。
まあ徴税人口=国力、だから行論に問題はないが。

漢委奴国王が封じられた理由は、後漢が末端まで、直接支配できないからだ。倭に強力な王が登場したからではない。後漢の政治は、幼帝&外戚のせいで安定しないから、金印で権限委譲されたのだ。

後漢の人口は毎年2%回復し、2世紀のはじめに5千万人に戻った。

捕捉している人口から、国家の衰亡が語れますね。

157年、後漢で最大の人口記録。5007万人だ。

曹操が生まれたのが155年だ。梁冀の圧政があっても、人口は順調に増えたらしい。後漢がグラつく(三国時代へ向かう)のは、この後か。

184年、黄巾の乱のため、洛陽の支配が東方に及ばなくなった。卑弥呼が封じられたのは、後漢末に貿易を保護する権限を、委譲するためだ。黄巾の乱のおかげで、親魏倭王が誕生した。
卑弥呼は、中国と日本の間で、貿易利権と関わりがない人だから、却って王に選ばれた。

9章、謎の4世紀

魏晋のとき、倭国からの使者は頻繁だった。
魏の三少帝の時代は、陳寿が政治的な意図を見出せなかったから、削ったことが多い。また「東夷」で括られて、明細が見えないだけだ。

『晋書』に登場する、倭国の使者の頻度にびっくり。


西晋末から倭国は、のちに前燕&後燕を建国する、慕容部の影響下に入った。395年、後燕の主力が北魏に破れ、高句麗が巻き返した。「広開土王碑」に描かれた時代である。

慕容部の変遷について、とても詳しい。五胡十六国への興味が再燃したら、是非とも読み返したい部分です。

広開土王と朝鮮半島で競ったのが、仁徳天皇である。
仁徳天皇を350年ごろの生まれとする。百済と倭が同盟した396年に19歳。朝鮮半島に初めて介入した391年に41歳。倭の五王が朝貢したとき、子や孫の世代が生きたことになる。
時代が合う!

ここはもっとも異論の多いところでしょうが・・・

以後、任那日本府など、ホット?な話題について触れ、日本古代史を天武天皇まで語っておりますが・・・ぼくの 三国志の関心からは離れるので、終わりです。

おわりに

『晋書』載記にあるような感じで、奴国~邪馬台国~五王までを捉えたら、面白そうです。王莽~司馬懿~劉裕と並行する歴史です。
仁徳天皇に始まる7人の天皇の王朝は、「ある中国風の政権の興亡」みたいに、中国の本紀のパロディが『日本書紀』にコンパクトにまとまっています。パロディが持つ構成に、興味もあります。
中国の歴史小説風に、倭国を描いてみたいかも? 歴史学の考察ではなく、趣味の範囲であることは、返すがえす断りながら。100219