表紙 > 漢文和訳 > 『後漢書』劉縯を抄訳、更始帝に荊州北を奪われた敗者(光武帝の兄)

02) 平林兵に、荊州北部を奪われた

『後漢書』列伝第四、劉縯(劉伯升)伝をやります。
吉川忠夫訓注をみて、抄訳と感想をつけます。

光武帝を知ることが目的。

劉縯は、光武帝の兄です。はやくに更始帝に殺された。

劉玄=更始帝の即位に反対するが、架空のセリフだ

自阜、賜死後,百姓日有降者,眾至十余萬。諸將會議立劉氏以從人望,豪傑咸歸於伯升,而新市、平林將帥樂放縱,憚怕升威明而貪聖公懦弱,先共定策立之,然後使騎召伯升,示其議。

新軍を倒してから、降ってくる人がおおい。劉縯の集団は、10余万になった。諸将は、劉氏のリーダーを立てたいと考えた。豪傑は、みな劉縯をおした。
しかし、新市と平林の将帥は、ほしいままに暴れたい。もし劉縯をリーダーにしたら、劉縯は威明があるから、好きに暴れられない。だから新市と平林は、惰弱な劉玄(更始帝)を、皇帝に推した。

「劉玄=惰弱」は、史書の歪曲である。
ひらたく云えば、このとき劉縯は、主導権を争い、劉玄に負けただけ。
劉縯の軍10余万には、2つの派閥がある。
 1.もともと劉縯が、舂陵でまじわった人。
 2.あとから合流した、もと緑林軍。
前者は劉縯をおし、後者は劉玄をおした。軍の主力は後者の緑林だから、緑林からリーダーが出されたのだ。
劉縯が、軍団で指導力がない。これを『後漢書』に書いたら、ダサい。そこで「緑林は、惰弱な劉玄をおして」というフィクションが作られた。

緑林は、さきに劉玄を皇帝にすることを、決めてしまった。あとから劉縯を呼び出して、結論だけを示した。劉縯は、反対した。

決定のプロセスに、参加すらできないとしたら、劉縯はリーダー候補どころか、仲間はずれである。
しかし出席が遅れたのは、事実でなかろう。緑林の身勝手さと、つぎに読む劉縯の反論を記すための、舞台装置である。


伯升曰:「諸將軍幸欲尊立宗室,其德甚厚,然愚鄙之見,竊有未同。今赤眉起青、徐,眾數十萬,聞南陽立宗室,恐赤眉複有所立,如此,必將內爭。今王莽未滅,而宗室相攻,是疑天下而自損權,非所以破莽也。且首兵唱號,鮮有能遂,陳勝、項籍,即其事也。舂陵去宛三百里耳,未足為功。遽自尊立,為天下准的,使後人得承吾敝,非計之善者也。

劉縯は、緑林たちに云った。

ぼくは、この劉縯のセリフを、創作だと思っている。以下に示す。

青州と徐州に、赤眉がいる。うちが荊州で劉氏の皇帝を立てたら、赤眉も対抗して、劉氏の皇帝を立てるだろう。劉氏どうしが争っていたら、王莽に浸けこまれるぞ」

のちに赤眉は、劉盆子を皇帝にする。この史実からさかのぼり、劉縯のセリフを、史家が書いたのだと思う。
なぜなら赤眉は、いかにも劉氏の皇帝を、立てなさそうな集団だから。劉縯は赤眉を「単なる流浪の盗賊」と認識するのが精一杯だろう。赤眉が、劉氏の皇帝をつくるなんて、予想できないはず。
赤眉について。徐州と青州の民衆が、秩序をもたず、ウロウロしている。ピラミッド型の組織など作らない。まして、劉氏を祭り上げるわけがない。
のちに、樊崇という、赤眉の「異分子」によって、劉盆子が立てられた。しかし赤眉は、劉盆子を無視していた。無用な飾りだった。

さらに劉縯はいう。
いちばん初めに皇帝を名のる人は、失敗する。陳勝と項羽は、失敗した。まだ私たちは、舂陵から宛城まで、3百里しか攻め進んでいない。たいした手柄もないのに、皇帝を名のるのは、早すぎる」

「一番手は、バカを見る」とは、范曄の持論だ。劉玄伝のおわり、論のところでコメントされていた。
范曄が、持論の正しさをアピールするため、劉縯に託した。


今且稱王以號令。若赤眉所立者賢,相率而往從之;若無所立,破莽降赤眉,然後舉尊號,亦未晚也。願各詳思之。」諸將多曰「善」。將軍張B421拔劍擊地曰:「疑事無功。今日之議,不得有二。」眾皆從之。

劉縯はいう。
「皇帝でなく、まず王号を名のり、様子をみよう。もし赤眉が立てる皇帝が、老賢者であれば、その皇帝に臣従すればいい。もし赤眉が皇帝を立てなければ、王莽と赤眉を降したあとに、皇帝を名のればいい」

光武帝が、あとから通るプロセスを、劉縯が喋らされている。史家のいたずらである。劉縯が未来を予測し、戦略を立てられたのではない。戦略家なら、あっさり殺されなかっただろうし。笑
ちなみに。赤眉が立てた皇帝は、少年だった。賢者でもなかった。年齢は揺らがないが、賢さの評価は、主観がまじるけれど。つまり、赤眉の皇帝は、劉縯が云うところの、皇帝の資格がなかった。
光武帝は、兄のガイドにしたがい、正統に即位した。そういう表現技法。

諸将は、劉縯に賛成した。だが、緑林の将軍・張卬は、剣をぬいて地を撃ち、云った。
「ごちゃごちゃ迷っていると、成功しない。劉玄を皇帝にすると決めたから、劉玄は皇帝になるのだ

ネタバレすると、この張卬は、のちに劉玄を見捨てる。笑

豪傑たちは、みな更始帝を立てることを認めた。

ぼくは、このときの劉縯の心中を推測する。
劉縯は「オレ以外のやつが、皇帝になるのを認めない」という思考の持ち主だ。「赤眉を見守るべき」なんて、悠長なことは言わない。劉縯は、漢室復興の志(野心ともいう)にあふれている。もし自分が皇帝に選ばれたら、勇んで即位しただろう。『後漢書』は、ウソだと思う。


数千人で戦争をして、劉縯が更始帝に敗れる

聖公既即位,拜伯升為大司徒,封漢信侯。由是豪傑失望,多不服。平林後部攻新野,不能下。新野宰登城言曰:「得司徒劉公一信,願先下。」及伯升軍至,即開城門降。五月,伯升拔宛。六月,光武破王尋、王邑。自是兄弟威名益甚。

劉玄が即位した。劉縯は、大司徒となった。豪傑たちは失望した。
平林が新野を攻めたが、おちない。新野の県宰はいう。
「劉縯さんが来てくれたら、降伏するのになあ」
劉縯がきて、すぐに新野は降った。

劉玄はダメで、劉縯こそイイ。都合のいい逸話。
新野は、舂陵にちかい。劉縯と、あらかじめ交際があったのかも。さっきからよく出てくる、劉縯を支持する「豪傑」とは、荊州北部の有力豪族だろう。新野の県宰も、おなじ系統の人脈をもつか。
劉玄の平林兵は、すこし南方出身だ。荊州北方にいる豪傑とは交流がなく、歓迎されなかったのかも知れない。

5月、劉縯は宛城をぬいた。6月、光武帝は、王尋と王邑をやぶった。劉縯の兄弟の威名は、たかまった。

更始君臣不自安,遂共謀誅伯升,乃大會諸將,以成其計。更始取伯升寶劍視之,繡衣禦史申屠建隨獻玉B94B,更始竟不能發。及罷會,伯升舅樊宏謂伯升曰:「昔鴻門之會,範增舉B94B以示項羽。今建此意,得無不善乎?」伯升笑而不應。初,李軼諂事更始貴將,光武深疑之,常以戒伯升曰:「此人不可復信。」又不受。

更始帝は、諸将の宴会で、劉縯を殺そうとした。
劉縯の母がたの叔父・樊宏は、劉縯に警告した。
「さっきの宴会で、更始帝は申屠建から、"決"断を促されていました。鴻門の会にならい、劉縯さんは、殺されるところでした」
劉縯は、笑って取りあわなかった。
光武帝も、李軼は裏切り者だから気をつけろと、兄をさとした。劉縯は、せっかくの忠告を、無視した。

どうも、小説めいてしまう。光武帝の兄という、おいしい立場なのに、たいして事績がないから、妄想のターゲットにされたのだろう。


伯升部將宗人劉稷,數陷陳潰圍,勇冠三軍。時將兵擊魯陽,聞更始立,怒曰:「本起兵圖大事者,伯升兄弟也,今更始何為者邪?」更始君臣聞而心忌之,以稷為抗威將軍,稷不肯拜。更始乃與諸將陳兵數千人,先收稷,將誅之,伯升固爭。李軼、朱鮪因勸更始並執伯升,即日害之。

劉縯のちかい親戚・劉稷は、戦功ある英雄だ。劉稷は外にでて、魯陽を攻めていた。劉縯でなく劉玄が皇帝になったと聞き、怒った。
起兵したのは、劉縯だ。あとから来た更始帝が、何をしたのだ」
更始帝は、劉稷に官位を与えてまねき、殺そうとした。劉稷は、更始帝に会わない。更始帝は、数千人で攻めて、劉稷を殺そうとした。劉縯は、更始帝をふせいだ。

数千も動員した。これは、暗殺や派閥争いでない。本格的な、戦闘である。舂陵の豪族と、緑林兵が決裂したのです。

李軼と朱鮪は、更始帝に勧めた。
「劉稷だけじゃなく、劉縯も捕まえましょう」
劉縯は、更始帝につかまって、その日のうちに殺された。

緑林軍を招いたのは、劉縯だった。つまり劉縯は、客軍であった緑林に、荊州北部を奪われたに等しい。ひさしを貸して、母屋を取られるというやつ。ダサい。光武帝は、はやくも危機だ。どう乗り越えたんだろう?


有二子。建武二年,立長子章為太原王,興為魯王。十一年,徙章為齊王。十五年,追諡伯升為齊武王。

劉縯には、2人の子がいた。後漢で王に封じられた。

おわりに

更始帝は、光武帝の兄の野心を利用し、荊州を征圧した。勝者だ。
更始帝への関心が強まってきました。
この時点で光武帝は、長兄を殺され、次兄を失っており、姉も戦死している。どうやって、挽回したのだろうか。100807